裏の顔
「分かりました。メンバーは三人なんですね」
「ええ、そうだけど……」
「しかしそれでよく申請が通りましたね?」
「まあ先生には色々良くしていただいて」
彼女は世渡りがうますぎる。
「ごめんなさい、本当はもっとメンバーを集めたかったのだけど、私が……」
「いえいえ、いいんです、もともとよく分からない愛好会でしたから」
「ええ、その言い方はひどいよ~舞浜くんも活動に賛同してくれたでしょ?」
「でも客観的な事実ですから」
このやりとりを見て、もう一人部屋の中にいる女子生徒はにこやかに笑っている。彼はその生徒の方を一瞬だけ見て、何とも言えない表情を浮かべた。自分から直接何者かを尋ねる勇気はないようだった。
察しの良い春山先輩は反応する。
「ああ、この子は私の幼馴染で同じクラスの秋里美咲ちゃん。もちろん言霊愛好会のメンバーだよ」
「初めまして、二年の秋里美咲です。どうぞよろしくお願いします」
「いえいえ、こちらこそ。一年の舞浜明です」
「美咲ちゃんには私から活動内容について説明してあるから。一応美咲ちゃんも舞浜くんラブ勢の一員みたいだよ?」
「ちょっと、言葉、それは語弊が……」
「ええ、語弊しか無さそうです」
確かに語弊が。それと、「も」という言葉に異様に執着してしまう彼であった。それは春山先輩の潜在意識の現れなのか……?
「なんというか、言葉がここまで影響を受ける人って珍しいから、興味を持って……」
「はあ、そう言っていただけると光栄です」
そろそろ自分にそれなりの才能があることも自覚し始めた彼ではあるが、この学校では一度しか演説したことがないので、人からそれを称えられることにはまだ違和感を覚えるようだった。それに、秋里先輩はまだ彼の演説を聞いたことがないわけで。
「じゃあ具体的な活動予定の話に移りたいんだけど、正直な話舞浜くんの活動をサポートするだけだから三人でも充分すぎるくらいなんだよね」
春山先輩が再び仕切る。
「とりあえず、来週の月曜日の昼休みに演説会の予定入れておいたから、ポスターの広報は美咲がお願いね」
「いや、ちょっと待ってください、いきなり話が飛躍しすぎでは?」
「舞浜くんならいつでも喋れると思ってのことだけど、それに来週のことだからあと数日あるでしょ?」
確かに彼はいままで原稿が適当でも場当たりで話せてしまっていたが、別に即興劇に自信を持っていたわけではなかった。第一、そういうことなら事前に本人に連絡を入れておくのが筋じゃないか、と思う。
「いやいや、いきなりそんなことを言われても。せめてセットする前に一度連絡を下さいって!」
「善は急げってね、折角チャンスがあったんだから」
「あと、そもそも昼休みにそれほど人が集まるんですか?だいだい生徒からしたら昼食をとる貴重な時間でしょうが」
「そう言うけど、結構持て余してない?みんな」
この学校の昼休みは一時間近く。確かに昼食の時間を除いても充分時間があった。
「それでも、そんなに人が集まるとは……」
「でも、一年生での舞浜くんの地名度は相当なものだって聞いたよ?」
確かに、それは間違いのない事実だった。でもそれは、半分くらいは春山先輩の存在が原因のものなのだ。
「まあ、それは言葉が……」
秋里先輩が小声で漏らす。春山先輩はすっとぼけていたが、彼には秋里先輩の独り言の意味するところが分かっており、「なかなか物分りの良い人だ」と思った。
「それじゃあ私は用事があるから今日は外すね、それじゃあ二人とも準備はよろしく」
「は、はあ」
春山先輩は必要事項を説明すると早々に帰ってしまった。
教室の中は彼と秋里先輩の二人きり。気まずい空気が流れる。
「えっと、秋里先輩は幼馴染ってことですけど、春山先輩ってずっとあんな感じの人だったんですか?」
「……私には答えられない」
「え?」
「確かに私にはあんな感じでいつも接してくる。だけど他の人では違う」
「そうなんですね」
秋里先輩は深刻そうな表情をした。
「あの子、他の子にはちょっと固いの。口調がきついとか、変な性格だとか、そんなことはないんだけどね。どことなく距離を感じる」
「えっ」
彼はてっきり春山先輩は人気者だと思っていた。だってあんなに綺麗で、ちょっと困ったところもあるけど気さくな感じの人で、それでいて大事なところではおそらく真面目な人。そんな彼女が、どうして。
「春山先輩は、クラスでもあんな風に明るい人じゃないんですか?」
「いいえ、言葉にはほとんど友達がいない。別にいじめられたりしているわけではないし、機会があればクラスメイトと話すこともあるけど、でもなんだか周りからは一歩引いている感じがある」
「そんな……」
「私が思うにね、言葉は美しすぎるし完璧すぎる。私の前でこそあんな性格だけど、彼女は勉強はもちろんスポーツ系も万能だし、音楽的なセンスにも長けているし家庭的なスキルだってある。でも、それが却って他の人を遠ざけてしまうきっかけになる」
「それはつまり、嫉妬されているということですか?」
「そうとも言えるけど、そんなに単純でもない。男の人は、あの子に惹かれすぎてしまう人もいれば、恥ずかしくて遠ざかりすぎてしまう人もいる、女子からはもちろんその美しさゆえに嫉妬されるし、あの子の噂は飛び交いすぎて話す前から先入観で見られる」
「それだけじゃない、あの子の美しさは、愛らしいだとか、その類のものじゃない。不自然なまでの美しさ。あの子があるだけで、言葉という異質な存在のせいで、彼女がその場にいるだけで、和やかだった雰囲気はすぐに一変してしまう。私だって時々感じてしまう。あの子の側にいることが本当に許されるのかって。嫉妬をする気がなくとも、自分に不完全のレッテルを貼られたように感じてしまう」
「でもそんなのおかしいです、春山先輩は、確かに突出している人間かもしれません。でも、話してみれば人間らしいところもあって、普通の人間じゃないですか!」
「外面ばかりに囚われて、本当の中身を見られないなんて愚かだ!そんな人たちはおかしい!」
彼は、気付けば自分でも驚くほど熱く語っていた。秋里先輩も、その気迫に驚いていた。しかし彼女は、しばらく考えた後にこう言った。
「残念だけど、おかしいのはあなたの方かもしれない」
彼は唖然とした。そんな言葉が秋里先輩から繰り出されるとは、全く想定していなかった。
「そんな言い方、ひどいですよ!」
これは自分の怒りの形を借りた義憤だった。
秋里先輩は、そう言われてなお冷静に答えた。
「少なくとも周りの人間は彼女を『完璧すぎる人』として見ている。その事実は曲げられない。私だって彼女の本当の人間らしいところも少しは見てあげられているつもり。でもそんな私でもそんな風に時折感じてしまうことはある」
「ごめんなさい、さっきの言い方は確かにひどかったかもしれない。でもね、あなたが他の人達とは少し違っていることは紛れもなく事実だと私は思う。あの子が素に近い姿を見せる相手なんて、そうそうはいないの」
彼はぐっと息を呑み込んだ。何か言葉を発しよう、そう思っても口からは何も出てこなかったのだ。彼は負け惜しみのように言った。
「そんな……」
彼は複雑であった。彼にとって春山先輩は……今のところ何者でもない。彼もある意味で彼女に振り回されているが、だからといって何か特別な親近感を抱いているわけではない。
彼が彼女に初めて接触しようと思ったのは、彼女が彼の演説に反応したというちょっとした偶然と、その美貌のベールに包まれた人間らしい純粋さに彼が興味を持ったことが原因だ。それ以上でもそれ以下でもない。
だから、彼が春山先輩のことであれこれと考える義理や必要はないはずだった。
しかし、彼女の本当の正体を知ったとき、彼は色々な思いに飲み込まれずにはいられなかった。
彼女を、普通の人間と同じように扱わない人々への漠然とした怒り。自分を惹きつけた「純粋さ」が、本当に彼女の内に存在するものなのかという不安のような感情、どうして自分のような人間が彼女に特別扱いされるのかという疑問。
いつの間にか、春山先輩の問題は彼自身の問題へと転化していく。




