第2話:対して悪くない日常。後輩女子の好意
「水島先輩! 水島先輩!!――水島鮎名先輩ってばー!!」
「七社、俺のフルネームを部署内で叫ぶのはやめてくれ」
「私を無視する先輩がいけないんですよ??」
プンプンという擬音が似合いそうな表情で、わざとらしく頬を膨らませている七社。
なんだか今日も、ご機嫌が斜めになっているらしい。
正直嫌なのだが、こんな相手には適当に、先に折れておく方がトラブルを避けられると俺は知っている。
「分かったから、俺が悪かったから。――で、何か用か?」
「む~! 仕方ありませんね」
小さく憎まれ口を叩いてから、七社が本題を切り出してきた。
その手には、つい3分前まで会議で使っていた資料と、おそらく七社が作ったであろう表計算ソフトの書類。
「えっと、先月の仕入れに関して質問があるのですが」
そう言って俺に2~3枚の資料を渡してくる七社。
……でもな? 近づき過ぎだぞ? 大人だからあえて言葉には出さないけれど、俺のパーソナルスペースに入ってくるな。
まったく、大好きアピールは会社の外でしてくれよ。
それなら俺は接点を一切作らないから、しっかりと逃げ切れるから、ね?
「にへへ~♪」
可愛い声で七社がにやけている。
そして、それを無視する俺。ちくりと罪悪感が、俺の心にトゲのように刺さった。
なんというのか、俺的に七社は違うんだ。
見た目では、『48人いるアイドルグループ』のトップ10くらいの可愛さを、こいつは持っている。アニメの声優みたいな声だって、社内の一部には絶大な人気を誇っている。
性格は、まぁ悪くないだろうというのも知っているけれど……BL大好きな腐女子なのが頂けない。
「ふへへ~♪」
二次会で酔っ払いながら「我知無知なおっさん×幼気なケモ耳ショタの組み合わせ」の話を、興奮して俺に延々と語った戦犯を、普通の女の子として意識出来るようなメンタルは……残念ながら俺には無いんだよ。
俺だって18禁なRPGゲームにハマったことも一時期あったけれど。
――なんてな。
正直、今の俺は七社の性癖を問題にして、彼女の好意から逃げているだけだ。
流石に俺も、自分で気付いている。多分、七社が我知無知好きじゃなかったとしても、俺は何かしらの理由を付けて、彼女が恋人になることを拒んだだろう。
その理由が何なのかは分からない。
でも、彼女は違うと猛烈に感じてしまう俺がいるんだ。
だから俺は、彼女にとっては「いい人」とか「いい先輩」であることが、大切なのだと思う。
さて、色々な邪念が頭の中を過っていったけれど、七社の書類の問題点が理解できてしまった。
小さく深呼吸をしてから、俺はなるべくゆっくりとした声を作って、七社に注意をする。
「……なぁ、七社、ここの数字が間違っていないか? この国に精密機械を輸出することは、法律と防衛上の理由でできなかったはずだぞ?」
「あっ! それです! それです! 良かった~、何か違和感を覚えて先輩に聞いてみて♪」
「だな。このまま課長に上げていたら、お説教15分コースまっしぐらだったぞ??」
「ですよねー。『叱る時間がもったいないから、15分間で集中して叱るぞ?』とか言って、ガチでパワハラギリギリのラインを攻めてきますから困りますよねー」
七社が俺に同意を求めてきたけれど。
俺は曖昧な笑顔だけを返して、頷きそうになった首を固定した。なぜなら――
「うぉーい、お前ら聞こえているぞ~!!」
――室内が多少騒がしいとはいえ、課長には確実に聞こえる距離だったからだ。
ほら、笑っているけれど課長の表情がちょっと硬いぞ?? 七社、お前のせいだからなー??
「ぼそぼそり(先輩、助けて下さいよぉ~)」
「ぼそっ(……仕方ないからフォローしておくよ)」
「ぼそっ(ありがとうございます! 大好きです!!)」
ちょっと軽率な七社に頭痛を感じながら、俺は仕返しのために悪戯を仕掛ける。
「課長? 俺はこの件に関しては、同意も否定もしていないですよ? 俺まで巻き込まないで下さい!」
「ちょ! せんぱぃ! ひどっ!!」
七社の悲鳴が聞こえたが、俺には関係ない。
なんというのか、七社にはこれで懲りて、もう少し落ち着きを身に着けて欲しいと思うんだ。
でも、俺が想像していなかった無情な回答が、課長からは戻ってきた。
「ん~、七社さんと一緒にいた時点で、水島君は有罪だぞ(笑)」
「先輩、ふふふー、諦めて下さいなー♪」
「課長、楽しそうですよね?? あと七社、お前が言うな」
「はぁ~い♪」「はははっ、二人とも仲が良いな(^-)b」
どちらとも、ちょっとイラっと来る返事の仕方だった。
けれど、コレは口に出しても仕方がない。とりあえず雰囲気が柔らかくなったから、会話のまとめに入ろう。
このままだと、俺の仕事が進まないし。
「……まぁ、七社には言いたいことがたくさんあるが。とりあえず、結果としては良かったんじゃないかな? 事前に間違いに気付くことが出来た訳だし、ちゃんと自分で対処しようと頑張ったことだし」
俺は、基本的には後輩や部下を褒めて伸ばすタイプだ。
叱ったり怒鳴ったりしても、大抵の人間は委縮してしまう。あるいは、態度に出すとか出さないとかに関係なく反抗することもある。
それは仕事として考えると、かなり効率が悪い。
だったら、少しでも効率よく仕事ができる工夫をするべきだと俺は思うんだ。
そんなことを俺が考えているとは知らずに、七社の表情が嬉しそうにほころんだ。
……なんというのか、こいつの頭に犬耳が見えてしまう。
「えへへ♪ 水島先輩にはお礼として、手作りお弁当を明日から毎日作ってきてあげますねー♪」
「……いや、いらない。ストレスでおなかが痛くなりそうだから(笑)」
冗談っぽく口にしたけれど、本気で俺は要らないよ?
敵に外堀を埋められたら、次は本丸だということは、歴史が証明しているんだから。
そんな俺の塩対応に、七社が唇を尖らせる。
「ぅあぁひどっ! 乙女の淡い恋心を――「今は仕事中だぞ。アフターファイブに聞いてやるから、さっさと自分の席に戻る、戻る」」
「うぇーい♪ 言質は取りましたよー!! 今夜は、先輩のおごりでリッチなディナーだ♪♪」
「なっ、ちょ、ま――「待ちませんっ! 水島先輩、ありがとうございましたー♪」」
なんか予想外のことを叫びながら、脱兎のごとく――そんな表現が本当に似合う素早さで――会議室から逃げ出していく七社。
まったく。
俺の何が彼女の琴線に触れているのか、本当に理解できないからガチで困ってしまう。
入社5年目の6月。
後輩に懐かれている日常が、当たり前のように感じてきている自分が――なぜか不思議だけれど……少しだけ怖い。
(次回につづく)