第1話:忘れてしまった大切な記憶。吸血姫とケモ耳天使。
*******
どんなに大好きなモノでも。
インフレすると、つまらなくなる。
チートも、ハーレムも、美味しいごはんも。
ケモミミだって同じだぞ? 一方的に与えられたモノは、その価値を忘れてしまいそうになるのが「人間」という生き物だ。
(引用:煮魚アクア☆『けもみみ聖書』最終章・エゼルの言葉より)
*******
「あなたには、守りたいモノがありますか?」
「お前は、護りたい人がいるのか?」
「おみゃーは、『信念』を持っているんかぃな?」
聞こえる言葉は、潤いのある女性の優しい声。
重なる言葉は、野太い男性の勇ましい声。
そして小さく響いた最後の言葉は、しゃがれた老婆の嘲笑混じりのため息だった。
神秘的な誰か。勇ましい存在。
禁忌的な何か。
甘い誘惑が3つとも、俺の耳へと流れるように入ってくる。
俺を誘い、俺を惑わす魔法の言葉は、頭の中で反響しながら幾重にも重なって、ゆっくりと空気に溶けていく。
「「「もしも今宵も『是』と答えるのならば、あなたに再びチャンスを与えますよ?」」」
ぴったりと重なった誰かの提案に対して、俺は迷うことなく首を縦に振る。
それはまるで「身体が自分のものではない」ような行動だった。あるいは自分の姿を「別人の視点から眺めている」ような酷い違和感だった。
それなのに俺の唇は、彼らに対して誓いの言葉を口にする。
「もう一度、俺にチャンスを下さい。俺には護りたい仲間がいます。守りたい女の子達がいます。今度こそ俺は****」
「「「よろしい♪」」」
誓いの言葉は、あやふやなままに承認された。
最後の方は、言葉を口にした俺自身にさえも「歪んだ何かの音」にしか聞こえなかったというのに。
そして、契約の締結と同時に、じわじわと記憶の奔流が俺の頭に流れ込んでくる。
ゆっくりと、ゆっくりと……乾燥した地面に染み渡る、水のような流れのように。
でも、それは次の瞬間に濁流のように暴れる。昏い情景と文字の羅列があふれ出す。
俺の目の前に、漆黒の闇と浮かび上がる文字が現れた。
膨大な情報。脳が焼き切れて崩壊しそうな情報。
一瞬で脳のシナプスが焼かれて、言葉にできない悲鳴をあげる。
――でも、今夜も無事に耐えることができた。
そう、今夜も耐えることができた。
気が付けば、俺がこの不思議な夢を見るようになってから、すでに数十日が過ぎているのだから。
「素晴らしいわ♪ 今夜も成功するなんて!」
「賞賛するぞ! 誇って良いからな?」
「まぁ、ぼちぼち頑張りぃーやぁ♪」
神秘的な誰かの声からは、苦笑と嬉しさを表す「何とも言えない」蔑みのニュアンスが伝わってくる。
これを別の言葉に換えるならば、生体実験用のモルモットに向ける「絶対的強者の好奇の視線」に似ているだろうか?
……でも、この苦痛と快感をごちゃ混ぜにしたような儀式は、失ってはいけない。今の俺にとっては、この夢の中の儀式は『逃しちゃいけない大きなチャンス』なのだと確信している。
全てのはじまりは、唐突な『ある夜』の夢。
そこで始まったのは、俺がどこか遠い世界の洞窟で戦っている映像。
楽しくて悲しい、俺に似ている『誰か』の記憶。そして――俺は、この「失われた記憶」の正体と結末を知りたいと感じている。
「……さぁ、目を覚ますのです♪」
ふいに感じた、優しい空気。
ぬくぬくとした「真冬のお布団」のように、甘い香りがする魅惑的なこの場所からは……温かくて抜け出したくない。
そう、ふわふわとした浮遊感に包まれて――トクトクと聞こえる、誰かの心臓の音色が心地よい。
俺の中に眠っている、遠い日の記憶。人間として生まれた俺の、生命の根源となる記憶。
俺の視界は今、昏き深淵から湧き出た「赤い闇」に塗りつぶされている。
いや、闇という言葉は不適切かもしれない……俺の視界を塞いでいる色彩を言い換えるなら「瞼を閉じて太陽を見た時の色」であり、母親の中から「まだ見ぬ外」を憧憬した、原始の記憶の欠片でもあるのだから。
そして、再び声が聞こえてくる。
「さぁ、目を覚ますのです♪」
姿が見えない彼女の優しい言葉と同時に――俺の視界は徐々に白く染まっていく。
そう、朝がやってくるのだ。全てを忘れてしまう、朝がやってくるのだ。
(次回につづく)