第14話:失われた記憶と溶けていく意識
自分が「ダンジョンマスターに進化したこと」を自覚した瞬間、世界は真っ白に染まった。ディルの存在を唇越しに求めた時の光とはまた違う、落ち着いている白い世界。
見渡す限りの純白な世界の中で、俺はたった一人突っ立っていた。
自分の服装は、さっきまでと同じ。真っ白な麻素材のシャツに夏用の紺色のジャケット、そしてジーンズのパンツに黒い革のブーツ。
でも今の俺の周りには、ディルもエゼルもいない。
一瞬で2人が消えたことで狼狽えそうになった自分がいる。けれど大きく取り乱す前に、誰かの言葉が聞こえてきた。
「あなたには、守りたいモノがありますか?」
聞こえてきたのは、大人の女性の神秘的な声。どこかで聞いたことのある、心をグラつかせるような魔法の言葉。
そして神秘的な声は、俺の返事を促すように問いかけを続けた。
「もしも『是』と答えるのならば、あなたに再びチャンスを与えますよ?」
彼女の声を聞いた瞬間、俺の頭の中で「護りたい」という強い感情が湧き上がる。
そのせいだろう、俺はチャンスを掴むための言葉を、自然と口に出していた。
「もう一度、俺にチャンスを下さい。俺には護りたい仲間がいます。守りたい女の子達がいます。今度こそ俺は――ディルとエゼルを守ります!」
初めて口にする誓いのはずなのに。
何十回と繰り返し練習したかのように感じる、『自然過ぎて不自然になった言葉』が俺の口からは零れ出ていた。
それはとても不思議な感覚。まるで、自分の身体が「自分の意志を飛び越えて、現状を変えたい」と叫んでいるかのような体験。
「よろしい♪」
戸惑う俺を置いてけぼりにして、満足げな返事を口にした誰か。
それがきっかけで我彼の契約は完了したのだろう。
じわじわと、失われた記憶の奔流が、俺の頭に流れ込んでくるのを感じる。ゆっくりと、ゆっくりと……乾燥した地面に染み渡る水の流れのように。
でも、それは次の瞬間――濁流のように暴れ始めた。
膨大な情報。脳が焼き切れて崩壊しそうな情報。一瞬で脳のシナプスが焼かれて、言葉にできない悲鳴をあげる。
思わず目を閉じて……目を閉じたはずなのに……俺の目の前には、たくさんの情報が映像で流れていた。
それは、真っ白な世界に浮かぶ無数のモニター。
モニターの中では、「俺がディルに召喚された時の様子」や「敵対していたエゼルを俺が口説いている様子」、そして「女勇者の『鹿島さん』と俺がのんびりと話をしている様子」などが繰り返し映っていた。
モニターを見ることで、失われた記憶が戻ってくる。
あの時、あの夜、あの瞬間に――会社で残業していた俺は、ディルに異世界召喚されてしまった。
「私ちゃんと契約して、ダンジョンマスターになってよ?」
モニターの中では、愛の告白をするように、ディルが俺をDM契約へ誘っている。
ああ、ディルとの懐かしい出会いだ。
この後、俺はディルの存在を夢の中の登場人物だと勘違いして、泣かしてしまったっけ。確か「異世界召喚は、はっきり言って誘拐ですよね?」みたいな言葉を口にして。
「はぅっ!? ゆ、ゆっ、誘拐!? 私ちゃんは、そんなつもりは――」
モニターの中の俺の言葉で、あたふたするディル。まだ、この時は彼女の名前すら俺は知らなかった。
……懐かしい。全ての記憶が懐かしい。
他のモニターの中でも、俺の過去が一つずつ映っていた。
「あ、ははっ♪」
思わず零れた乾いた笑い。思わず零れていた涙。思わず伸ばした俺の右手。
俺の指が気付いたら、モニターに映るディルに触れていた。
「俺は……ずっとずっと、この記憶を取り戻したかったんだなぁ……」
そう口にした瞬間、さっと視界が暗くなる。
顔を上げると、モニターの画面が「水面を乱す波紋」のように歪みながら、大きく広がって俺を包み込んでいた。
不思議と恐怖は感じない。逆に、どこか温かくて安心できた。
俺の意識は、過去の記憶の中へ溶けていく。
……溶けていく……溶けていく。
(次回につづく)