誄歌(るいか)
ゆらゆら、ゆらり。
赤く染まった水面が、静かにゆれています。赤くにごった水底に、ちいさなからだが沈んでいるのがみえます。
地に伏したからだのうち、手だけが、わずかに上にのびています。
ぷかぷか、ぷかり。
なにか浮かんでいます。目です。瑠璃のあの青い目がふたつ、ぷかぷか浮かんでいます。
青い目はゆっくりと水面をわたり、やがて、土のあるところまでたどりつきました。
ころころ、ころり。
青い目はゆっくりと、それでいてどこか急いでいるかのように、野はらをころころとすすんでいきました。
やがて、はじめの林までたどり着いたところで。
瑠璃を心配して探しまわっていた、お友だちの透明な女の子が、瑠璃の目をみつけてくれました。
女の子は泣きながら、その青い目を大事に大事に抱え、やさしい樹のもとへと駆けていきました。
「ああ、瑠璃! なんてことだ」
たすけて! と走ってきた女の子の手のひらの上、その青い目をみて、やさしい樹は悲痛の声をしぼりだしました。
「あんなにかえるのをこころ待ちにしていたのに。彼女のかえりを、待ちわびているひとたちがいたのに」
呆然とするもの、泣きくずれるもの。
悲しいおもいが、そこらじゅうにみちていました。
「私は、彼女を守れなかったのか」
だれもが悲嘆にくれるなか。
やさしい樹は、静かに瑠璃の青い目をみつめました。
瑠璃のこころは、たしかに、まだそこにありました。
「瑠璃を、このまま死なせるなんてできやしない」
みんなもそうだろう。
そう問えば、みな口々に、そうだ、そうだとさけびました。
瑠璃の過ごした、ほんのわずかな時間のなかであっても。
みんな、たしかに彼女を愛してくれていたのです。
「汰一、私を切り株にしてしまいなさい」
やさしい樹は、みんなの支えです。失ってしまえば、みんなもうここにはいられないでしょう。
それでも、だれもなにも言わず、静かになりゆきを見守っていました。
しずけさをみなの了承とみなし、やさしい樹は言葉を続けます。
「このりっぱな幹のいいところを切り出して、瑠璃に、丈夫なからだをつくってやりなさい」
とん、かん、とん、かん、とん、かん、かん。
かるい音、おもい音、やさしい音、かなしい音。
いろんな音がなっています。
とん、かん、とん、かん、とん、かん、かん。
まず、芯となる胴ができあがりました。
大きすぎず、小さすぎず。
彼女はまだ子どもですが、樹のからだでは大きくなることはないので、大人と子どもの中間くらいの大きさに仕立てあげました。
とん、かん、とん、かん、とん、かん、かん。
右あし、左あし、右うで、左うで。
どれも丁寧にみがきあげ、のばし、まげても無理のないことをしっかりとたしかめて、ひとつずつ取りつけていきました。
とん、かん、とん、かん、とん、かん、かん。
できるだけ細やかな動きができるよう、手のゆびは木片をちいさく削り、慎重に組み上げていきました。
とん、かん、とん、かん、とん、かん、かん。
小さな頭をのせ、くろい髪をながし、みんなが知る瑠璃の、やわらかな笑顔を彫り上げました。
さいごの仕上げです。その青い目をはめて、ゆっくりと瞼をおろしました。
みんな、瑠璃をみまもっていました。
けれども、瑠璃は目を覚ましません。
時間がすぎてゆきます。
ひとり、ふたりと。ここに留まることはもうできないからと、後ろ髪をひかれながらも去ってゆきます。
けれども、瑠璃は目を覚ましません。
時間がすぎてゆきます。
草が枯れ、水が干上がり、空気がよどみ。
もう留まることはできないと、多くのものが去ってゆきました。
けれども、瑠璃は目を覚ましません。
瑠璃のこころは、たしかにそこにありました。
けれども、傷つけられた痛みで、彼女のこころはからからに乾いていたのです。
その目にもはやちからもなく、瞼をあけることすらできずにいました。
じっと、いく日も瑠璃の前に座り、彼女の目覚めを待っていた汰一の目が、日ごと濁っていきました。
失敗したのだと、たすけられなかったのだと。自分を責めているのが、瑠璃にはぼんやりとわかりました。
ちがうの、と伝えたくても、その唇もぴくりともうごかせません。
時間が過ぎてゆきます。
やがて、濁りきった目をして、汰一もその地を去っていきました。
目を覚まさない瑠璃を、ひとりのこして、その地には、もはやだれも、なにもいなくなってしまいました。
る、る、る
る、る、る
る、る、る、る、る、る、る
ロウは、うたっていました。
喉をしぼり、声を上げて、うたっていました。
けれども、もうずっと、うたがかえってこないのです。
る、る、る
る、る、る
る、る、る、る、る、る、る
何日も、何十日もすぎました。
それでも、うたがかえってこないのです。
ロウは、おそろしくなりました。瑠璃に、なにかあったのだ、と。
いつもほんのりあたたかかったこの花のお守りも、ひんやりと冷たく、重くなっていくように感じられます。
ロウは、たまらず駆け出しました。
瑠璃がどこにいるか、おしえてくれないか。
駆けあがった山の上、しとやかに座るえんびな狐に問いました。
「知らない。それよりも、おまえさま、その花飾りだ。
それは、かつてこそおまえさまを守っていたかもしれないが、もはやその力はない。
おまえさまも、もう守られる必要などないくらい、りっぱになったろう。
わるいことはいわない、燃やしてしまいなさい」
ロウはおどろいて、今にも火をつけようとするえんびな狐から、一目散に逃げ出しました。
これを燃やすなんてとんでもない。瑠璃がかえってこられなくなってしまう。
そう告げると、通りすがりの小さな狸が言いました。
「それにそんなちからは元々ないさ。
それはこれからどんどん冷たく、重くなって、きみをころしてしまうかもしれないよ。
わるいことはいわない、枯らしてしまいなさい」
ロウはまたもおどろいて、今にも枝を切ろうとする小さな狸から、一目散に逃げ出しました。
これをちょん切るなんてとんでもない。ここには、瑠璃のこころがあるのに!
そう告げると、かわらず空高くすわる、風のかみさまが言いました。
「そのこころは無事でなく、元となったものも、もうない。
わるいことはいわない、土に埋めておやりなさい」
無理にとろうとこそしないものの、風のかみさまは静かに目を閉じて、じっとなにかを考えておりました。
ロウはかなしく、さけび、涙をながしながら、どこへとなく走り続けました。
瑠璃がもう、かえってこないかもしれない。
さがさなければ。
泣いて、泣いて。
おびただしいほどの涙をながしながら、走り続けました。
そうして、ながい時間がすぎたころ。
やがて、ロウのその涙が、花飾りの枝に染み。
そのぬくもりは枝をつたい、元の樹へと届けられ。
ゆっくりと時間をかけて、瑠璃のからだへ、潤いをもたらしました。
その瞼のうらまで潤ったころ、瑠璃はゆっくりと目を開きました。
しかし、あたりにはだれもおらず。
瑠璃の脳みそは、前のからだと一緒にとけてしまったので。
ここがどこか、じぶんはなにか。なにもわからないまま。
ただただ、そこに佇んでおりました。
ひとりになってしまった瑠璃。
瑠璃をさがそうと決意するロウ。
一旦、ここで一区切り。
でも、この物語は『ハッピーエンド』です。
タイトルが変わりますが、続くのです。
よろしければ、ぜひ、最後まで見届けてください。
Next>『からくりきるけれころし』