93話 蹴兎の嫉妬
『それではこれより、A等級昇格試験の模擬戦闘試験を行います!』
王都冒険者ギルドのベテラン受付嬢であるサラが、声を拡大する魔鉱石、拡声石のはめ込まれた拡声棒に、試験開始の挨拶を吹き込む。
先程まで思い思いに騒がしかった観客達の座る、大変な賑わいを見せていた観客席は、サラの一言によって一瞬にして静まり返った。
すり鉢状になった観客席の、この場にいる全員がまるで息を忘れたかのような静寂が訪れる。
俺の前方に座っている親子も、右の席でエールを飲んでいた同業者も、左の席でポップチキンの骨つきグリルを齧っていた巨乳のネェちゃんも、皆一様に開始の合図を待っているようだった。
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『始め!!』
永遠とも感じられるような永い永い一瞬がこの訓練場を駆け抜けた。
開始の合図が訓練場に響くと、あいつのA等級昇格を懸けた戦いと、俺の金貨十枚を賭けた熾烈な戦いが今始まった。
ーーバチィッ
ーーヒュンッ
ーーカチンッ
多分、いやきっと、瞬きをしていたら見逃していただろうと思う。
一秒にも満たない攻防だった。
サラの開始の合図が訓練場に響いた直後、構えもしない俺の依頼主のだらっと下がった手から、一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、小さな青白い光が見えると、バチっと言う小さな音が響いた。
次に聞こえてきたのは、師匠が剣を振った音と左腰の鞘にしまうカチンという音。
師匠の持つ剣は阿波国の名工が打った、カタナという反りのある片刃の剣だ。
カチンと聞こえてくる音は、剣の持ち手と刀身へ隔てるようについている、ツバと呼ばれる部分が鞘に収まる時に聞こえてくる音だった。
動きが全くない二人の最初のやり取りはそれだけだった。
俺が見ている限りでは、ベックは突っ立ったままだったし、師匠は俺が光ったなと思った時には既に動き終わっていた。
正直、周りの人間も何が起こっているか理解できていない様子でただただポカンとした顔で訓練場の中央と見つめていた。
俺っちの耳だけが目で捉えられなかった音を見ていた。
ベックが攻撃し、師匠がその攻撃を切り払ったのだ。
「随分な挨拶だな」
「ははっまさか切り落とされるとは思いませんでした」
やはりそうだ。
ベックが攻撃し、師匠がそれを防いだのだ。
師匠の動きはわかりやすかった。
剣を抜き、斬りはらい、そして鞘に戻す。
しかしあいつが何をしているのかさっぱりわからない。
ーーバチィッ
ーーヒュンッ
ーーカチンッ
次は師匠の左側、何もないところが青白く光ると、またしてもカチンという音が静かな訓練場に響く。
「魔力の扱いが上手いようだな。器用な使い方をする」
「お褒めに預かり光栄です」
一体なんだというのだろう。
あの師匠が、B等級の冒険者を褒めている。
一歩も動いていない、あの冒険者の事を、だ。
なんだかモヤモヤした感情が湧き出てくる。
俺っちが師匠に訓練で刀を抜かせたのはA等級になってかなり時間が経った時だ。
それもニエヴェと二人掛かりで師匠と相対した時。
しかしあいつは正面から、試験開始の合図を持って攻撃し、そしてたった一人で師匠に剣を抜かせている。
その事実が、師匠に憧れを抱く俺っちの心を堪らなくかき乱す。
(『心配したぞ』)
抱きしめてくれた日の顔。
(『良くやったな』)
A等級になった時喜んでくれた時の顔。
(『二人とも強くなったな』)
始めて師匠に抜剣させた日のあの顔。
俺っちに見せるどの顔よりも、楽しそうに剣を振るう姿。
あんなに楽しそうにする師匠を見たことがない。
素直に悔しいと思った。
「さっきから光と音しか聞こえないんだが、もう試験は始まっているのか?」
右隣にいる冒険者が声をかけてくる。
ハッとして顔を向ける。
確かコイツはC等級だったな。
「あぁ、受験者が攻撃して、グランドマスターが剣で弾いてる」
「まじか……。あれが何してるかA等級にはわかるんだな……。アンタを含めて、やっぱり上に行こうって奴らはバケモンばかりだな。アンタの昇格試験も見てたが、俺があんなに早く動けるようになるとは思えねぇわ……」
“ドォォォオオン!!”
大きな破砕音と共に観客席が崩れる。
どうやら大きな攻防を見逃してしまったようだ。




