65話 静電気と歴史
『今日はこの位にして寝よっか』
『花ちゃんも眠いぃ〜』
二時間程魔法の訓練を行い、間もなく深夜だ。
花ちゃんも眠い様で動きが緩慢になってきている。
明日は王都に行かないといけない。
飯も食った。シャワーも浴びた。
後は早めに切り上げて、明日に備えなくては。
『おやすみ、花ちゃん』
『おやすみパパ〜』
花ちゃんが俺の身体に巻きついてくる。
最近はこの巻き付きの圧迫感がないと安心して眠れなくなってきた。丁度いい抱擁感に包まれ、寝返りをすると軋む簡素なベッドで、惰眠を貪ろうと瞼を閉じた時だった。
ヴゥォン
《探知》を使っていなくても分かる程の、肌を刺す様な巨大な魔力の奔流が一瞬でソーンナサラム魔法学校全体を包み込んだ。
まるで制御ができないかの様に増減を繰り返す魔力に当てられた部屋の食器や小物は、その魔力の増減に合わせてカタカタと小刻みに震え、この異常事態に警鐘を鳴らしている様だった。
『花ちゃん、今の気がついたか?』
『うん、すっごく大きくて禍々しい魔力。この魔力は今まで一回だけ感じた事があるよ。《岩山の迷宮》で会ったあの黒いローブの人と一緒の魔力だよ……』
『まさかアイツがこの学校に現れたのか!? それだけじゃない! 少ないけれど、教頭先生の魔力も混じってるから、もしかしたら交戦中かもしれない。 助けに行かないと!』
俺達は急いで装備を整えると、《探知》を使い魔力の発生源へと向かう。学生寮のすぐ隣だ。
『魔力の発生源は魔物学の校舎だ! アイツ性懲りも無く次は学校で飼育されている魔物にまたちょっかい出す気か!?』
魔法学校の魔物学の校舎で飼育されている魔物は全部で四体。
基本的に人間にとって無害な、ブルースライム、イエロースライム、リスの様な魔物であるナッツリンクス、そして最後にムエスマ大森林に生息する森亀、フォレストタートル。
どの魔物も主食が草であったり、木の実であったりと温厚な魔物達だ。スライム二種類などは、草以外にもなんでも溶かす性質がある為この学校でもゴミ処理場で複数飼育もされている。
《岩山の迷宮》にいたブラックスライムの様に好戦的な性格ではないからできる事だが、もしあの薬で凶暴化したとしたらスライム系統の魔物は非常に凶悪な魔物になりかねない。
酸で出来たあの粘着質な身体に巻き込まれたら最後、骨まで溶かされてしまいそうだ。
『花ちゃん、準備はいい?』
『大丈夫だよ!パパ!』
魔物学教室の扉をゆっくりと開ける。
《探知》で教頭先生と魔物四匹がいるのは確認済みだ。
あの魔族の存在が確認できないが、あの時の様に影の中に隠れているのかもしれない。
慎重に行動しなければ。
(《魔障壁》!)
何があってもいいように俺と花ちゃんに予め新魔法の《魔障壁》をかけておく。
これでよほどのことがない限り、手傷を受けることはないはずだ。
薄暗い部屋の中には、ズルっズルっと何かを引きずるような音やチチチというナッツリンクスの声がする。
どうやら部屋の中で飼っている魔物達に変化はないようだ。
部屋の奥にはスーツ姿の男性が倒れている。
見慣れた格好だ。教頭先生だろう。
「教頭先生!大丈夫ですか?」
教頭先生からの返事はない。
もうやられてしまったのか……?
それに先程までの魔力の奔流がなくなっている。
走って教頭先生に駆け寄ろうとすると、『パパ!駄目!』と花ちゃんに静止される。
『花ちゃん!? 早く教頭先生を助けないと!』
『パパ! あれは教頭先生じゃない! あの黒いローブの人と同じ匂いがする!』
「ベックさん、貴方ならきてくれると信じていました。 どうしたんですか? 倒れている私を助けてくれないんですか?」
アイツの声だ……。
ゾッとするような、冷め醒めとした低い声が魔物学の静かな教室に響く。
「お前は誰だ? 教頭先生をどこにやった!?」
「貴方は何を言っているんです? 私ならここにいるじゃないですか!」
教頭先生が語気を強めるとその身体から魔力が吹き荒れ、周囲の魔物が恐怖の所為か激しく動き回っている。
その身体からはまるで血が蒸発しているかのような、赤い蒸気がゆらめいている。
(どういう事だ? 教頭先生から感じる魔力は、あの魔族のねっとりと身体に纏わりつくような魔力とほとんど一緒だ……)
『パパ! 教頭先生の身体の中に二つの魔魂を感じるよ』
『じゃあ教頭先生は乗り移られてるのか!?』
『ごめんなさい、そこまではわからないよ……』
『《賢者》のおっさんにどうしたら救えるか聞いておいてくれ! 俺は時間を稼ぐ!』
『わかったよ!』
再度教頭先生と相対する。
俺の記憶にある教頭先生の姿とは若干の変化が見られた。
顔つきなどに変化はないが、皮膚は血色が抜け落ち青白くなり、茶色だった瞳は燃えるような蛍光色の赤色へと変色していた。
「どうして教頭先生の身体から、あの魔族の魔力を感じるのですか!?」
教頭先生は赤い目を大きく見開いたがそれは一瞬のことだった。
何か考え込むように、顎に手を当てると、紫色に変色した唇を開いた。
「そうですか……貴方はスウマー様にお会いになった事があるのですね。全く、羨ましい限りです」
「羨ましい? ヤツは、魔族は人類の敵ではないのですか?」
「まぁこの世の大半の種族にとってはそうでしょうね。でも私たち魔族と人族との混血児にとってはそうでは無いのですよ」
教頭先生の口から語られたのは、持たざる者と全てを持つ者の欲望にまみれた歴史の裏側だった。