62話 静電気と密造
ソーンナサラム魔法学校の中央棟は、一階が大食堂と受付、二階が職員室、三階が応接室や校長室といった造りになっている。
石のブロックを積み上げて出来た建物の外壁は開校六百年と言う歴史の中で補修を繰り返され、雨風に晒され所々崩れた外壁はその建物の荘厳な雰囲気を醸し出す一因となっている。
その中央棟の前には豪華な馬車が四台と質素な馬車が一台、中央棟唯一の入り口を塞ぐように陣取っており、学生寮から夕食を食べに来る多くの生徒が非常に迷惑そうな顔をしながら、馬車合間を縫うように入り口へと抜けていく。
馬車の周りには鎧を着た兵士が立っており、馬車の見張りをしている。一般の生徒ではかなり近寄りがたい雰囲気だが、そこを通らなければ夕食にありつけない。
中央棟の入り口は兵士を警戒しながらも食堂に向かう生徒と、その場で足踏みをする生徒でごった返している。
全くもって迷惑な話だ。
「あれぇ? なんか見たことあると思ったら、じぃじの馬車だ!」
アーニャが指を指したのは、馬車の前方、馬を連結する部分である軛が竜の頭骨を模した悪趣味な馬車だった。
「教頭先生、あの馬車邪魔なんでどかしてもいいですよね?」
「いやあれは、辺境伯様たちのーー」
(《魔力手》!)
ぐわしと魔力手で鷲掴みした馬車をひょいひょいと邪魔にならない場所へ寄せていく。破壊されないだけ、ありがたく思ってほしいものだ。
急に浮き出す馬車を見て、兵士や生徒達が慌てふためいているが、それとは違う意味で教頭先生は慌てふためいている。
恐らく俺が馬車を壊さないか心配しているんだろう。
移動した馬車を見て周囲の生徒は気兼ねなく通れるようになり、その場で歓声をあげる生徒達に「早く食堂へ向かいなさい!」と、声をはりあげている教頭先生の脇をすり抜け、中央棟の中へと入っていく。
(いい匂いだなぁ。今日の夕飯は何だろう……)
食堂の前を通ると、食欲をそそる胡椒のような香辛料の香りが鼻腔をくすぐる。食堂の料理はなんでも美味い。
その美味しそうな香りに後ろ髪を引かれながらも、校長先生の待つ三階へ向かっていく。
「それにしても師匠。本当に何もしていないんですかっ?」
「だから何にもしてないって。鉱山を吹き飛ばしちゃったことはあったけど、お咎めなしだったしなぁ」
「充分問題起こしてるじゃないですかっ!」
「でもその話は村で止まってるはずだから大丈夫だと思うんだけど……」
「実は報告されているかも知れませんよ? それでは師匠!私はじぃじに逢ってきますので、牢屋でのお勤めが終わるまで頑張ってくださいっ!」
「縁起でもない事言うな! まったく……向かう先は殆ど一緒じゃないか」
「そうですよ。ベックさんも、ズールさんも目的地は一緒です」
「教頭先生いつのまに……」
生徒の誘導をしていた教頭先生は、いつの間にか俺たちに追いついていた。乱れた頭髪や衣服が、先程の大変さを物語っている。
「教頭先生、お疲れ様でした」
「本当なら、馬車はそのままで、先を急ごうとしたんですけどね」
「生徒達が可哀想じゃないですか。あんな所に馬車を堂々と止めてる方が悪いんです。何なら今からでもぶっ壊してきましょうか?」
「それだけは辞めてください!!」
教頭先生が本気で焦っている。虐めるのも可哀想だな。
悪いのはあそこに馬車を停めた奴らで、馬車をどかした俺ではない。なのでそんな恨めしそうな顔をするのは辞めてもらいたいものだ。
それにしても……最近この世界に慣れてきてしまっているせいか、少し攻撃的な性格になってきてしまっているような気がする。
落ち着け俺。BE COOL。
「では、これから室内に入りますが、ベックさんお願いですから、くれぐれも失礼のないようにしてください。私や貴方の首なんて簡単に飛んでしまいますからね!? 勿論比喩ではなく、物理的にですよ!?」
「理不尽なことでもされない限りは何もしませんよ」
「絶対ですからね!?」
どうやら会話をしている間に、目的の場所に着いたようだ。
何時もは校長室で話をするのだが、今日はその向かい側にある大きな応接室で話をするようだ。
教頭先生が応接室の扉をノックすると中から「入りなさい」と言う、聞き慣れた校長先生の声が聞こえてきた。
扉を開け中に入ると、目の前には見慣れた人物達の他に、五人の見知らぬ人物がソファーに座っていた。
まず目に着いたのは校長先生の萎びた果実のような顔。
その隣にいるのはブロンドの髪をオカッパに切りそろえた、如何にも文官!といった出立の男性だ。
次いで見知らぬ人物達の隣にそれぞれ座っているのは、アーニャを除いたコスムカバと愉快な仲間達であった。
と、言うことは、だ。
それぞれの隣に座っているのは、彼等の親やそれに連なるような人物達なのだろう。
「じぃじ〜!」
「アーニャ!愛しの我が孫よ!」
アーニャが白髭の老人の元へ駆け出す。
白髭の老人は孫大好きジジイのようだ。
校長先生が「全員揃いましたね」と言うと、一斉にいくつもの視線が俺と花ちゃんに注がれた。
「私の名前はエゾット。国王陛下の秘書官でございます。貴方がB等級冒険者ベック、又の名を《雷騎士》と言う認識で間違いありませんね?」
校長先生の隣に立っているおかっぱブロンドが声をかけてくる。今俺は完全武装をしているのだがこの場には兵士一人もいない。どうやら無理矢理連れて行かれると言ったことは無さそうだ。
「はい、間違いありませんが、出頭命令とはどう言う事でしょうか。全く、身に覚えがないのですが」
「貴方には、石鹸の密造の嫌疑が掛けられています。先の《岩山の迷宮》を調査した迷宮調査官の報告によりますと、ボラルスの街にある猫の尻尾亭の風呂場に置いてあった石鹸は貴方が作ったものであると言う報告が上がっています。全く新しい匂い付きの石鹸のようですが、身に覚えがありますか?」
はい? ちょっと待ってちょっと待って……。
石鹸って個人で作っちゃいけないの!?
ケルセイさんそんな事一言もいってなかったよねぇ!?
数が合わないと思ってたら、あそこに忘れてきてたのか……。
「師匠……やっぱり犯罪者じゃ無いですか……」
「いや、知らなかったんだって! 確かに匂い付きの石鹸は作りましたが、個人で楽しむ為に作ったので、密造なんてつもりはなかったんですよ!」
「では石鹸の密造を行なったことを認めるんですね?」
「それは……はい。認めます石鹸を作ったのは事実ですから」
「この件に関して、国王陛下は貴方と会いたがっております。第一王女であらせられますペルシア王女様がその香り付き石鹸を大層お気に召したようで、是非とも献上するようにとのご命令です」
「それは石鹸をお渡しすれば、お咎め無しという事で宜しいですか?」
だとしたら非常に嬉しいのだが……。
石鹸の在庫はまだある。
少しくらい献上しても問題は無いだろう。
「それは国王陛下次第でございます。一度王宮にいらして頂くことになるかと」
「わかりました……」
「では、明日出発しますのでそのつもりでいてください」
哀しきかな、逃げられそうに無い。
それにしても、この案件だけなら他の四人がここに居る必要はない。一体何のようで、辺境伯の四人がこの場にいるんだろう。
「ねぇねぇ、じぃじ達は何でここに居るの?」
アーニャの問いに今まで黙っていた四大辺境伯の面々がその重たい口を開き始めた。
その内容を聞いた俺は愕然とするも、すぐそばまで来ている危険に改めてこの世界は異世界なのだと想い知らされることになった。




