26話 静電気と森の民人 ①
「っつ……」
瞼を閉じているにも関わらず、陽の光を眩しく感じるのは、仰向けに倒れているからだろう。
双眸に残る白い残像のような影を感じながら目を開けると、顔を覗き込むように大勢の虎達が俺を見つめている。
「うわぁ!」
やばい! 森林虎か!?
思わず飛びのくように後ずさる。
しかし、距離を取って冷静によく見ると、俺は自身の勘違いに気が付いた。
なんと虎達は、皆二本足で立っていたのだ。
俺の顔を覗いていた者は虎ではなく、虎の頭付きの毛皮を被った褐色の肌の人々だった。
その中の一人が一歩前に出てくる。
「さっきは危ないところだったね!」
まだうまく頭を整理できない俺に、先程、巨木の根元から聞こえた声の主が話しかけてくる。
彼女が、頭にかぶった森林虎のフードを軽快に脱ぐと、その動作に合わせて、胸元辺りまでの長さの銀色の髪が煌びやかに波打った。
よく見ると向かって右側だけはドレッドヘアーの様に編み込まれている様だ。
歳の頃は十八歳位だろうか。
健康的な褐色の肌に、全体的に整った顔立ち。
眼は、カラッと晴れた、夏の青空の様な色をしている。
かなりの美人だ。
身体つきは鍛え上げられたアスリートの様に筋肉質だが、肌のハリを見ると筋張った印象はなく、まるで絹の様に滑らかな四肢だ。
「助かりました。思ったより魔物の数が多くて、どうしようかと思ってたところでした」
「あんな状況だったのに随分と冷静なんだねぇ。もしかして余計なお世話だったかな」
「いえ、死にはしないとは思いますけど、あれだけの数を処理するのは大変だったと思います」
「自信家だねぇ。もしかしてアンタ、名のある冒険者なのかい?」
「あぁ、すいません。申し遅れました。私、D級冒険者のベックと申します。彼女は花ちゃんです」
そういうと腰回りに巻き付いていた花ちゃんがひょっこりつぼみを出す。
「魔界草!? もしかしてアンタ、今話題の冒険者『ブラッディローズ』かい!?」
「ブラッディローズ?」
俺って今そうやって呼ばれてるの?
名前的に、俺の二つ名じゃなくて、花ちゃんの二つ名っぽいなぁ。
「アンタの他に、魔界草連れた冒険者っているのかい? いないんだとしたらアンタのことだと思うけどねぇ」
「いえ、俺以外に魔界草連れて歩いてる冒険者は見たことないので、多分俺のことですね……」
『パパは有名さんなのー?』
花ちゃんが会話を聞いてか、話しかけてくる。
『花ちゃんが有名さんなんだよー』
『花ちゃん有名さんー! みんなと仲良くしたいのー!』
嬉しそうに蔓をウネウネする花ちゃん。
今日も可愛いなあ。
「? 急に黙ってどうしたんだい?」
銀髪褐色の女性に質問される。
あれ? そういえば俺は名乗ったけどこの人の名前聞いてないな。
「あぁ、いえ、そういえばお名前を伺ってないなと思いまして」
確かにといった感じで両手をぽんっと打ち合わせて「私はヌウォル族のライラ=ヌウォルさ」と笑顔で挨拶してくれた。
どうやらここはヌウォル族の村らしい。
運がいいことに、大陸一の皮革職人がいる、あのヌウォル族の村だ。
ヌウォル村は、巨木の滑り台を通り抜けた先にある、周囲が険しい山に囲まれた円形の盆地にあった。
広さはウルガ村の二倍ほどの広さだろうか。
村の入り口は、村の西側にある正面門で、村のあちこちには俺が通ってきた様な抜け道があるらしい。
山に囲まれているため正面門さえ守っていれば魔物も入ってこない様で、盆地の周囲はムエスマ大森林が続いているようだ。
そして改めてお礼をする。
「ライラさん。助けていただき、本当にありがとうございました。何かお礼ができればいいんですが……何か困った事などはありますか? 俺でよければ手伝います」
周囲で俺に話を聞いていた女性陣は「今は暇なのよ」と口を揃えて言った。
「どういうことですか?」
「最近、魔物の数が多すぎて危険だから、まともに狩りに行けないのよ。私達はこの周辺に生息してる魔物を狩って生活しているから、狩りができないのは死活問題なのよねぇ」
そういうことだったのか。
余りにも多いから変だとは思ってたんだよなあ。
「私からも質問していいかしら? アンタはこんな所に何しにきたんだい?」
「目的は魔法都市に向かう事なんですけど、ムエスマ大森林には大陸一の皮革職人が居るって聞いて、外套を拵えてもらおうかと思ってきたんですよ」
「魔法都市に行くんだとしたら、大分方向が違うよ。アンタ街道から入ってきたんじゃないの? 街道沿いを北に行けば魔法都市だけど、ここは大森林の東側だよ。それに今職人達は出かけていていないんだよ」
あるぇ?
どうやら全く違う方向に進んでいた様だ。
まぁ目的の場所に着いたから、結果オーライだな。
しかし職人がいないとはどういう事だろう。
帰ってくるまで待たせてもらうことはできるかな。
「じゃあ帰ってくるまで、待たせてもらっても良いですか?」
「それは構わないけどね。かれこれ一週間程帰ってきてないんだよ。心配になってちょうど探しに行こうとした時に、アンタを見かけたって訳」
「それって大丈夫なんですか?」
「大丈夫だったら探しに行こうとはしてないってば」
デスヨネー。
ムエスマ大森林が急激に魔物の数を増やしたのは二週間くらい前らしい。
本来ならば森の奥にいて滅多に姿を現さない森林大猿を頻繁に見かける様になり、今までは種族ごとでしか行動していなかった魔物達が、急に徒党を組んで襲いかかってくる様になった。
まるで何かに対抗する様に。
そして何かから逃げる様に。
で、その原因を探るために狩人であり、職人である村の男達が調査に出たのが一週間前という事みたいだ。
「まぁ今日はもうすぐ日が落ちる。村でゆっくりしていきな。空き家があるからそこに案内するよ」
ライラのお言葉に甘えて、家を借りることにした。
旅をする以上しかないと思うが、出来るだけ野宿はしたくない。こういう時は素直にお言葉に甘えておこう。
(明日辺りにもひょっこり帰ってくるかもしれないしな)
周囲も完全に暗くなり、森に静けさが戻ってきた頃、宿泊している家の扉を二回叩く音がした。
こんな遅くに誰だ?
「はい、どちら様でしょうか?」
扉越しに話しかける。
「ベック、アタシだよ」
扉の向こう側から聞こえるのはライラの声だ。
一体こんな時間に何の用だろう。
疑問に感じながらも、扉のカンヌキを開ける。
「ライラさん、こんな遅い時間にどうしたんですか?」
ライラの姿は、昼間の様に毛皮を纏った、如何にも狩猟民族と言った姿ではなく、胸元と、腰回りをサラシの様なもので巻き、その上から麻でできた衣を着ただけの、単純だが、非常にボディラインがわかりやすい服装だった。
「お願いがあるんだよ……」
何やら深刻そうな顔をしている。
「お願い……ですか?」
「うん……明日……明日アタシと一緒に、森に入って欲しいんだ。父さんを探すのを手伝って欲しいんだ……」
「良いですよ」
「今森に入るのがどんなに危険かは理解してると思う、だから断ってくれても良い……って……えぇ?」
「良いですよ。明日森に行きましょう」
「い、良いのかい? 本当に危険なんだよ?」
「それは今日体験したんで、重々承知していますよ。それに、今日、俺も、助けてもらったんです。お互い様じゃないですか」
ライラの目元に薄っすらと涙が見えた気がした。
しかし気のせいだったのか、ライラが一瞬だけ下を向いて、次に俺の顔を見た時には、見えた様な気がした涙は影も形もなくなっていた。
俺を見据えるその表情は、何かを決意した様な、凛とした、とても綺麗な表情をしていた。
思わず、ドキッとしてしまうくらいに美しかった。
「ありがとう……」
「それに、早く帰ってきて頂かないと、俺の目的も達成できませんからね!」
「そうだね。じゃあ明日、朝迎えに来るよ」
「わかりました。準備して待ってます」
「それじゃあ、お休みなさい」
「お休みなさい」
ゆっくりと扉を閉め、カンヌキを掛けた。
明日は忙しくなりそうだ。
寝具に入り、瞼を閉じると花ちゃんが絡みついて来る。右半身に心地よい締め付けを感じながら、意識は闇に堕ちていった。




