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23話 静電気とこだわり

 

 この世界に来て一か月がたった。

 ここ二週間ほどは大きな厄介ごとに巻き込まれることもなく、冒険者ギルドで依頼を受けたり、岩山の迷宮に潜ったり、休日には花ちゃんとデートしたりと、充実した毎日を送っている。



 そんな充実した毎日を送っているのだが、どうしても気になることが一点だけある。

 それは風呂に関してのことだ。

 この世界で風呂があるのは金持ちの貴族の邸宅か、高級な宿屋だけだ。 



 俺が宿泊している《猫の尻尾亭》は高級宿屋なので、風呂場がある。

 防水・撥水加工がしっかりとされた、色とりどりのタイルが敷き詰められた床。

 浴槽は大の大人が10人、隣り合って並んで足を延ばしてもまだ余裕のある大きさ。

 壁についているシャワーノズルからはしっかりと温水が出て、水圧も高い。

 正直言って《猫の尻尾亭》の風呂場は素晴らしいと思う。

 浴槽や、洗い場などの作りには一切の不満はない。



 しかし、一つだけ不満を上げるとしたら《石鹸》が粗悪品なのだ。

 この世界の石鹸は泡立ちは悪いし匂いも油臭い。

 ボディーソープやシャンプーがほしいなどという我儘なことは言わないが、どうしても石鹸だけはいいものがほしい。今ある粗悪品の石鹸では、しつこく洗うことで汚れなんかは落ちるものの、どうしても洗い終わった後のさっぱり感がないのだ。



 ここ数日で市場や露店などに上質な石鹸がないか、片っ端から買って使ってみたのだが、どこの店でも売ってるのは宿にあるのと変わらないパッとしない石鹸ばかりだった。



 風呂好きな俺としては、これの問題をどうしても何とかしたいのだ。

 素晴らしい石鹸で綺麗に体を洗い、さっぱりとしてから浴槽でゆっくりとその日の疲れを癒す。

 満足できる風呂生活のためには、良質な石鹸が必要不可欠なのだ。

 と、いうことで、ないなら作っちまえの精神で俺はオリジナル石鹸作りをする事にした。



「え~っと、確か必要なのはっと……」



『パパ~今日はなにをするの~?』



 市場で石鹸を作る素材を吟味する俺に、花ちゃんが話しかけてくる。

 ここ、ボラルスの街の市場は中央にある城を取り囲むように露店や店舗が犇き合っており、朝は陽が昇る前から、夜は日が暮れるまで、実に様々なものが販売されている。



 肉や魚、野菜などの食品や、民族衣装のような綺麗な刺繍が施された衣料品、見たこともない鉱石や魔法陣が描かれた本など、その品揃えはバリエーションに富んでいて見ているだけでも楽しくなってくる。



 しかし、《猫の尻尾亭》の若旦那、元C級冒険者のリックは「王都はこんな所の比じゃないくらい品数が多い」というものだから驚きだ。いつかは行ってみたいと思っている。

 ここ最近は毎日のように市場に通い詰めているせいか、お店側の人たちにも顔なじみが増えてきた。



 そのおかげかどうかはわからないが、嬉しい事に俺の右肩に乗っている魔界草という魔物である花ちゃんを見て驚いたり、怖がったりする人はほとんどいなくなっていた。

 それが俺には堪らなく嬉しいことだった。



『今日はねー、石鹸を作ろうかと思うんだ』



『石鹸―? おいしいものー?』



『石鹸は人間が手や体を洗ったり、衣服を洗ったりするものだよ』



 花ちゃんは石鹸にまるっきり興味がないようで、『そっか~! パパ頑張ってね~!』というと静かになった。どうやらおネムの時間らしい。可愛いやつめ。



 確か石鹸を作るのに必要なのは動物性の油と植物性の油、それに水と食塩と水酸化ナトリウムだよな……。植物性の油だけのパターンや、動物性の油だけのパターンなどいろいろ試してみたい。

 どうせ作るなら良いものを作りたいし、しっかりとこだわりたいからな。

 香りを付けるのに香料も欲しい。気に入った香水も手に入れるか。



 市場を探し始めると牛脂や食塩、香水なんかは取扱っている商店を簡単に見つけることができた。

 が、植物性の油と水酸化ナトリウムが見つからない。

 そもそも水酸化ナトリウムなんて売ってるわけないよなあ……。



 確か、水酸化ナトリウムは、食塩水を電気分解するとできるんだよな。

 中学校の理科の実験でやった記憶がある。

 水酸化ナトリウムは、今の俺なら簡単に用意ができそうだ。

 と、なると後は植物性の油になるんだが、泡立ちをよくするためには確か、ココナッツオイルとかがよかったはずなんだけども、そもそも植物性の油を売っている店が見当たらない。



 どうしようか途方に暮れていると、背後から「ベックさんお久しぶりです」と声をかけられた。

 頭にターバンを巻いた白いローブ姿の中年の男、ケルセイだった。



「ケルセイさん!お久しぶりです!」



「いやはや……大活躍ですねえ。噂はかねがね聞いておりますよ。何でも新しい迷宮を発見したとか。王都のほうでも噂になっていましたよ。その右肩の植物のことに関しましてもね」



 ほう……。俺もそんなに有名になったか。

 そんな事を考えていると、中にはあまりよくないうわさが混じっていることに気が付く。

 なんでも、「変態」「植物が本体」「無詠唱」など、様々なうわさが流れているようだ。

 怪訝そうな顔をする俺の表情を察してか、ケルセイさんが話題を変えようとする。



「ところで何かお探しですか? 私も商人の端くれですので何か品物をお探しなら、お手伝いできることがあるかもしれません」



 俺が植物性の油を探してることを教えると、「何に使うんですか?」と興味がありそうだったので、「石鹸づくりに」とだけ答えておく。



 植物性の油といっても色々あるそうなので、「色々な種類のものをあるだけお願いします」と頼んでおいた。届くまでに一週間ほどかかるそうなので、それまでにほかの素材の下準備をすることにする。



 と、いうことで下準備だ。

 まず食塩を使い食塩水を作る。

 木製の容器に入れた食塩水に両手の指を突っ込み放電する。詳しいことは省くが、そうすることで食塩水が塩素と水素と水酸化ナトリウムに分解されていくのだ。

 これを数日間繰り返し、水酸化ナトリウムの結晶をある程度揃えることができた。静電気様様だ。



 水酸化ナトリウムを用意した翌日、ケルセイさんが複数の植物性の油を用意してくれた。



 植物性の油は高価なものらしく、結構な金額になったが、「この間助けてもらったお礼に」と格安で譲ってもらえた。



 素材さえ手に入れてしまえば、あとは配合を変えつつ石鹸を作っていくだけだ。

 残念ながらココナッツオイルやオリーブオイルはなかったが、それに近いものはいくつかあったのでそれで代用していこうと思う。



 街はずれの空き地を使い、大きな鉄の鍋に、牛脂や食塩、水酸化ナトリウムなどの素材を夏休みの自由研究でやったことを思い出しながら手順通りに煮込んでいく。



 額に大きな汗をかきながら、数時間混ぜ続ける。

 段々と腕に力が入らなくなって来たが、攪拌を止めると焦げ付いてしまうため、混ぜ続けなければいけない。そうすると次第に鍋の表面には油脂が浮き上がってきた。このドロドロの白い塊が増えなくなるまで混ぜ続けた後、それを掬いあげ、天日干しで乾燥させる。これで石鹸の大元は完成だ。



 ここからは香りや、洗い終わった後の保湿力を石鹸に持たせていく作業だ。



 乾燥させた石鹸は細かく砕き、香料や保湿力を上げる為の油を混ぜて、火にかけ直して練り上げていく。これを再度乾燥させてようやく完成だ。



 香料や油の配合などを何度も何度もやり直し、ようやく満足のいく石鹸を数種類程作り上げることができた。



「本当にしんどかった~まだ腕がパンパンだよ! 石鹸づくり、一からやるとめちゃくちゃ大変だな……。前作ったときは既存の石鹸を溶かしてからそこに香料とか着色料入れて作っただけだったからなあ」



 冒険者の肉体がなかったら一時間も混ぜていられなかったかもしれない。油を煮込んでいるせいで液体の粘度が非常に高く、腕にかかる負担はかなりのものだった。混ぜ終わってから数日経った今でも腕の筋肉が張っている気がする。



 出来上がった中でも自信作の3種類の石鹸を、ケルセイさんに、植物性油の調達してくれたお礼として渡し、俺は早速完成した香りつき石鹸を《猫の尻尾亭》の風呂場で使うことにした。



 シャワーで全身を濡らしていく、これだけでも石鹸作りの苦労が流れていく気持ちがするのだが、本番はここからだ。体を洗う為の布地に完成した石鹸を擦り付けていく。石鹸の硬さもちょうど良い硬さで程よく布地に移っていく。



 次は泡だてだ。

 ゴシゴシと布地同士を擦り合わせていく。

 すると、あっという間にきめ細かいふわふわと雲のような泡が出来上がっていく。



 思わず風呂場で「これだよ!これ!」と叫んでしまったが、幸いなことに、こんな昼間から風呂に入るような酔狂な人間はこの世界にはいないようで、誰にも聞かれることはなかった。



 実際に身体を洗うと備え付けの石鹸との違いは一目瞭然だった。泡切れの良さもさる事ながらお湯で洗い流した後の肌の水の弾き具合、しっとり感、そしてふわっと香る金木犀の花のような心洗われる香り。



 苦労して作った甲斐あってか、泡立ちや泡切れの良さ、香りなども大満足の品ができた。



 しっかりと泡を流し、身体を綺麗にした後はいよいよ入浴だ。

 右足から左足、臀部、腹部、胸部、そして肩と、順に湯船に入っていく。

 両足の皮膚に感じる温かいお湯の抱擁感、腰まで浸かると背中に感じる心地良い刺激はここ数日の疲れを一気に取り払ってくれた。



 この世界に来て一ヶ月。

 初めて満足のいく入浴を体験することができた。



 しかし、この石鹸作りが後にあんな騒動になるとは、俺は思ってもみなかったのである。


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