209話
切り立った険しい山々や見渡す限りの大草原、底の見えない深い渓谷に海と見紛うばかりの巨大な湖。
様々な自然の芸術が連なるオレガルド大陸の中でも一際異彩を放ち、人々に忌み嫌われる場所がある。
フォレスターレ王国から東、徒歩で一ヶ月程の距離にそれはあった。
死の沼地、ライメムトー。
ライメムトーは草原のど真ん中に突如として現れる毒の沼地だ。まともな生者は寄り付かず、そこに住むのは魂の縛られた悪霊に不死者、それに魔物と呼ばれる怪物達くらいだろう。
何故死の沼地と呼ばれる様になったのか。
それは原初の魔女が産まれるより遥か昔の事。
魔法がただの自然現象だった頃、剣の腕こそが武力の証だった時代に遡る。
当時ちらほらと小国こそあれ、大国と言える程大きい国は二カ国しか存在していなかった。
東の大国イースグランデ。
西の大国ウェスカバーナ。
この二つの大国はオレガルド大陸を二分する様に東西に君臨していたのである。
二カ国は特に争う事もなくこのオレガルド大陸で栄華を極めていた。寧ろ関係は良好でさえあったと書物には記されている。
交易も盛んに行われており、大国を繋ぐように東西を横断する大きな街道は、現在でもしっかりと整備されて残っている。
その街道は昔も商売に向かう商人や出稼ぎの労働者、はたまた気ままな旅人や怪物退治に向かう古強者たちの通り道として賑わっていた。
それと死の沼地ライメムトーがどのような関係があるのか。
事の始まりは大国同士の親睦を兼ねた会食で起きた些細なことだった。
言うなれば文化の違い、ただそれだけの事だ。
食事時、フォークやナイフなどの食器を使って食事をするイースグランデに対し、素手での食事が主流のウェスカバーナ。
この些細な文化の違いが両国の貴族同士のくだらない争いを引き起こした。
素手で食事をするウェスカバーナにイースグランデの貴族はやれ行儀が悪い、野蛮だ、などと言い掛かりをつけ、対するウェスカバーナの貴族はイースグランデの貴族に対しやれ高慢ちきだ、高飛車だと言い返したそうだ。
数百年経った現在、それは単純な言い争いだったのか、それとも誰かの策略でそうなったのかは定かではないが、そのくだらない争いがいつしか周囲の小国をも巻き込んだ東西大戦まで発展し、合戦の場所として選ばれたのが丁度二ヶ国の中心である大草原だったのだ。
二ヶ国による戦争は数年に及び、数十万の犠牲者と両国の消滅をもって終結。
後に残ったのは、踏み荒らされた地面に戦場で流された血液が流れ込む事で出来た赤い沼地。
それが死の沼地、ライメムトーだ。
ドロっとした真っ赤な血液のような水は猛毒。
少しでも体内に入れば助かる事は無く、それ故に勇猛果敢で命知らずな冒険者たちですら普通ならば近づかない。
周囲の草木は枯れ果て、常に赤黒い霧の立ち込めるその沼地はオレガルド大陸でも屈指の攻略難易度を誇る自然環境。
故にここは亡者たちの楽園と言える場所だ。
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阿波国より帰国して一ヶ月後、花ちゃんへの手掛かりは思わぬ所からもたらされた。
オレガルド大陸を横断しながら行商行う商隊が死の沼地付近で一夜を過ごした翌朝、赤霧の中に巨大な城を見たと言うのだ。
「その話が本当なのであれば、考えられる中で最悪な場所だな」
黒兎がぶるりと身体を震わせた。
「アンデット系の魔物に毒の沼地、足場は最悪ぬかるみだらけ」
それに続くようにライアが言った。
「行くとしたら解毒薬と口を防護する布地は必須ですね。早速準備しないと」
薬師の白兎がせっせと支度を始める。
俺はそんな状況を見ながら、これから起こるであろう出来事に頭を悩ませている。
「もう……庇いきれないよな」
「「「…………」」」
家のリビングを沈黙が支配する。
新マノス王国の毒牙にかかり滅亡した国は四ヶ国。
阿波国から始まり、レビオ王国で四ヶ国目となった。
その四ヶ国の滅亡に花ちゃんが関わっている。
どのくらいの人数がこの新マノス王国の侵攻により犠牲になったのかわからない。
何千人、何万人……途方も無い数の人々が家族を失い、住処を追われ、そして今まさに苦しんでいる。
ライアは俺に「覚悟を決めろ」と言った。
それは彼女なりの優しさだろう。
何も言葉が出てこなかった。
ライアの言う通り覚悟を決めないといけない。
最悪の事態を想定して。
花ちゃんをこの手で……。
いや、これ以上は言うまい。
俺は気を紛らわせるために一人夜の街へと繰り出した。
街明かりは眩しく、楽しそうな会話が周囲の屋台からは聞こえてくる。
導かれるように入った店で久し振りに口にした酒の味は分からなかった。
次回更新は2019年6月28日になります。




