208話
王都にある我が家のリビングに立ち込めるのは懐かしい香り。
例えるならそう、これは昔から知っている幼馴染の様な、小さい頃から慣れ親しんだ心躍らせる芳醇な香りだ。
「お、おい……。これはまさか……」
その香りを漂わせている目の前のテーブルに広がっている光景。それはまさに俺が夢見ていた光景だった。
「お口に合えば良いのですが……」
合わないはずがないだろう。
テーブルに並べられているそれは、俺が恋い焦がれてやまなかった探し求めていた食べ物。
まるで飴細工の様な白色と橙色の縞柄、真っ赤に燃えるルビーを彷彿とさせる濃い赤色、海の宝石と言われる真珠の様な煌びやかな乳白色。
食べやすい一口サイズに薄く切り分けられた新鮮な生の魚介類が、黒と金の豪華な大皿に所狭しと並べられている。
大皿の脇に添えてある小さな小皿には、先程鼻腔を刺激した芳醇な香りを漂わせる茶褐色の液体が並々と注がれていた。
少しばかり行儀が悪いが、小皿に注がれている液体を指に付け口へと運ぶ。
「やっぱり醤油だ……」
思わずもう一度指につけて舐める。
懐かしい味。心休まる故郷の味。
「おや、そんなに感動していただけるとは」
「え?」
「目に涙が」
いつの間にか俺の頰には涙が流れていた。
幼少期、前の世界では誕生日などささやかなお祝いごとの時しか食べる事の出来なかった刺身の味に心が満たされる。
指がボロボロになるまで昼夜問わず工場で働いていた母親が、決まって俺の誕生日にはマグロの柵を買ってきてくれた。
それを薄く切り、まるでケーキの様に酢飯の上にデコレーションしてくれた事を思い出した。
三角に切りそろえられた刺身を半分だけ重なる様に並べ、端から順にクルクルと巻いていけば刺身の花の完成だ。
丸く成形された酢飯の上には、その刺身の花がいくつも咲いていたのを覚えている。
『ごめんね。両方準備してあげられなくて……』
申し訳なさそうに母親は言った。
豪華な食事かケーキ、どっちかしか買えない経済状態の母親が考え出した苦肉の策だったのだろう。
だがその刺身のケーキが堪らなく好きだった事を覚えている。お店で売っている、ネームプレートのついたケーキなんかよりもずっとずっと。
歳を重ねる程に、なんだか小っ恥ずかしくなってやらないで良いと言ってしまった誕生日のお祝いだが、俺の食べる姿を嬉しそうに見ていた母親の顔はよく覚えている。
あの時の優しい笑顔。大好きだった母親の笑顔。
「母親を思い出しました」
「そうですか、白米もあります是非食べてください」
茶碗にこんもりと盛られた白米にゴクリと喉が鳴る。
気がつくと俺は口いっぱいに刺身と白米を掻き込んでいた。
久しぶりに食べたお米はしょっぱかった。
⌘
「ベック。お前はいつまで浸ってんだい」
漆黒の濡れ髪に齢六百を超えているとは思えない極上の肢体。
整った美しい顔の悍婦が声をかけてきた。
ライアである。
晩餐を終え二階のバルコニーで夜風に当たりながら久しぶりの故郷の味の余韻に浸っていた俺は急に現実に引き戻される。
「良いだろ。少しぐらい」
唇を突き出し拗ねた様に言うと目の前の美女は「餓鬼じゃあるまいし飯一つで浸るな」とつっけんどんに言った。
食事くらいで。
彼女はそう言いたいのだろう。
しかし俺にとってこの世界での食事は、”くらい“と言えない程、自己形成に必要な物だと感じている。
時たま出会うことのできる今日の様な食事は、もう二度と帰ることは叶わないかもしれない元いた場所を思い出すきっかけの一つとなっているからだ。
そんな俺の思いは露知らず、ライアは話を続ける。
「あたし達が阿波国に行っている間にまた一つ国が滅んだ様だぞ」
「……そうか。じゃあ次の目的地はそこだな」
「それだけじゃない。ある噂が広がっている」
「ある噂?」
「傘下に降れば力を与えて貰えるとな」
攻め入られ、滅ぼされた国の生き残りが目撃した情報。
それは各国にいる幽閉された凶悪な犯罪者や、隠れて牙を研いでいた魔王崇拝者が続々と新マノス王国の傘下へと降っており、彼らはスウマーの手によって開発された造王薬を摂取することで尋常ならざる力を手にしていると言う話だった。
次回更新は2019年6月24日になります。




