185話 願い
──シャッ。
カーテンが擦れる音が聞こえる。
瞼越しに感じる陽の光。
暖かい布団の温もりが身体を掴んで放さない。
「洋也、起きなさい」
優しい声が聞こえる。
誰の声だろう。
安心する懐かしい声だ。
「後一時間……」
まるで瞼が鉛で出来ているような、そんな重さを両の瞼に感じる。
「もう七時よ。社会人なんだから、しっかりしなくちゃ」
「んー……。もう少しだけ」
「だぁめ。洋也、いい加減起きなさい? 遅刻は頂けないわよ。また夜遅くまでゲームしていたんでしょう」
──バサッ。
「おはよう、洋也」
「おはよう、かぁちゃん」
布団を引っぺがされた俺は、瞼の塞がった目を擦りながら洗面所へと向かった。
蛇口を捻って水を出し、両手ですくい上げて顔を洗う。
「ぷはぁ……」
ふぅ、スッキリした。
タオルはっと……。
お、あったあった。
「ほら、朝ごはん出来てるわよ」
「ありがとう」
この人は誰だろう。
顔だけがぼやけて見える。
トーストに目玉焼き、そしてベーコン。
焦げ目のついたパンに挟み、口に放り込む。
「時間大丈夫? かぁちゃん、もう仕事行くからさっさと着替えていくのよ」
「大丈夫だって、もう23歳だよ。子供じゃないんだから」
「あんたはいつだって──、いっけない! 時間だわ!」
女の人は、慌てながら出ていった。
スーツに着替えてネクタイを締める。
革靴を履いて家を飛び出し、電車に揺られて会社へ出社した。
「おはようございます……」
「おー別宮おはよう!」
「袴田……。朝から元気だなぁ」
「おうよ! 今日は合コンなんだよ。ナースがくるんだってよ。気合が入るってもんだぜ」
同僚の袴田は鼻が膨らみ大興奮の様子。
まるで盛りのついた猿の様に腰を振る仕草をした。
「終業時間までに絶対終わらせろよな。お願いだから俺に仕事押し付けるなよ?」
「だ〜い丈夫だって! 頑張って仕事するぞ〜!」
今日は深夜にヒメキュアの最終話だかんな。
絶対に頼まれてもあいつの仕事なんて、やってやらんぞ。
……。
…………。
………………。
「すまねぇ!! このとーり!!」
この男に恥じる心は無いのか……。
派手に土下座をしている袴田の所為で、悪目立ちしている。
「はぁ……。今日は嫌だって言ったじゃねぇか……」
「埋め合わせはちゃんとするから!!」
「いやいや、前回も同じこと言ってたじゃん」
「今日はナースなんだよ!」
だからなんだよ……。
全くもって俺には関係ないぞ。
だからそんな目で見るなよ。
「……はぁ。寄越せよ、仕事」
大概、俺もお人好しだなぁ。
ま、残業代出るからいいか。
「恩にきるッ!!」
袴田は鞄を担ぎ、風の様に去っていった。
「あーやべ……。こんな時間になっちゃった。連絡しておけば良かった」
ガチャリ。
家の鍵を開ける。
「ただいま〜」
返事がない。
グツグツと鍋が煮立つ音が聞こえる。
この匂いは肉じゃがかな?
若干焦げ臭い。
「火、付けっ放しは危ないなぁ」
ふと視線を下に向けた。
何かを見ようとした訳でもなく、本当にただ何と無く見た。
──ドクン
「かぁちゃん……?」
テーブルの横に母親が倒れていた。
頰に手を寄せると、顔は青白い。
「かぁちゃん!!!!!」
⌘
「かぁちゃん!?」
額を流れる汗の感触。頰を伝う涙の軌跡。
硬い床の寝心地の悪さと、その冷たさで目が覚めた。
「……またこの夢か……」
最悪な気分だ。
よりによってあの夢とは……。
「それにしてもここは……」
周囲を見回す。
龍の装飾のなされた柱が永遠と連なる白亜の空間。
そこには数ヶ月ぶりに見た、あの少女がそこに居た。
「やれやれ、私は君のかぁちゃんじゃないよ。あれ? でも、世界を作ったのは私だから、間接的には母親になるのかな……?」
俺をまじまじと見ながら、木製の質素な椅子に座った、全身が真っ白な少女が言った。
俺はこんな幼女が母親でたまるか、と思いつつ「お久しぶりです。神さま」と返事をする。
「どうやら彼はあっち側に着いちゃったみたいだし、おまけだった君にお願いしようと思うんだけど、どうかな?」
顎に手を当てそう話しかける彼女。
数ヶ月前に俺はここに来たことがある。
懐かしい。
本当に懐かしい。
だが俺がここにいると言うことは……。
自身の体を確かめるように触り、状態を確認する。
(手も足もついてる……けど……)
目の前にいる少女の姿をした神様に聞く。
「質問に質問で返して申し訳ないんですけど、俺ってばまた死んだんですか?」
俺は、高難易度迷宮《海底神殿》の第七十九階層で太陽鱏と戦っていたはずだった。
あの怪物を倒すために、ありったけの電力を身体中からかき集め、雷化した腕から特大の一撃を放電しようとした時、突如魔法が制御が出来無くなった。
全身の雷化に耐えながら両腕から放電した後の記憶がない。
(制御できなかったのか……)
「君は死んでないよ。けれど、今のままだと肉体の維持は出来ないかもしれない。それを死と捉えるならそうなのかもしれないね」
「肉体の維持……? 今ここにあるじゃな──」
俺の話を遮るようにパンと手を叩き、「私の質問には答えてもらえるのかな?」と首を傾げた。
相変わらず仕草があざと可愛い。
だが威圧感は凄まじく、有無も言わさずと言った雰囲気だ。
「まぁ話が違いますけど……内容によります。頼み事って一体どんなものですか?」
俺が尋ねると重苦しかった威圧感は消え、神様は申し訳なさそうな顔で言った。
「それは本っ当に申し訳ない。だけど今は猫の手も借りたいくらいなんだ」
幼女の様にしか見えない神様はお願いと言わんばかりに手を合わせた。
「君の同僚でもあった勇者袴田アキラの代わりに世界を救って欲しい」
君の同僚の袴田アキラ??
全然顔が違かったと思うんだけど……。
「あいつってあの袴田だったんですか? 全く顔が違いません? それにオレガルドってそんなに切迫詰まってましたっけ?」
「イケメンにするのは彼の願いだったからね。それに彼は転移ではなく転生だから大幅に変更できたのさ」
まじかよ……。
転移でもちょこっとくらいなら出来たって事?
だったら俺もイケメンにしてくれって頼めばよかった……。
悲しみに暮れる俺を尻目に神様は話を続ける。
「君も知っているはずだよね。ドルガレオ大陸の精霊神達の話を」
「まぁ齧ったくらいにしか聞いたことがありませんけど……」
「彼らは七つの精霊神たちの一角である雷の精霊神を殺した。もうずっとずっと昔の話だ」
「はい、そこまでは知っています」
コクリと頷く。
「雷の精霊神はこの世界における精霊たちを纏める制定者だったんだ。ドルガレオ大陸も昔は普通の大陸だったんだよ。雷の精霊神が消え去るまではね」
神さまの説明を掻い摘んで言うと雷の精霊神が居なくなった後、好き放題やり始めた他の精霊神たちのせいで崩壊しかけているこの世界を、立て直すために送り込まれている人々が勇者だったと言うところか。
目的は制定者が居なくなり力をつけ過ぎた精霊神の粛清と世界の治安維持。
しかし力をつけ過ぎた精霊神たちに歴代の勇者たちは敵わなかった。
もちろん疑問に思った事は質問しましたよ。
じゃあ貴女が行けば解決するんじゃないんですか、とね。
返答はこう。「他の世界の事もあるし、おいそれと行けません。行けるんなら勇者送り込んでいません」とな。
前々から気になっていた、あまり科学技術が発展していない事について聞いてみたところ、精霊神たちがその文明を壊し勇者を倒してきたかららしい。
誰かが知識チートしててもおかしくないもんな。
精霊神一体一体が強力な存在であるにも関わらず、ここ数年は徒党を組んでの怪しい行動が目立ってきているようで、ドルガレオ大陸での迷宮核の一件にも絡んでいると教えてくれた。
そればかりか今代の勇者である袴田は、精霊神のたちと手を組んだ魔族の生き残りの下についたようだ。
そういやあいつ、昔から部長にゴマするのは上手かったな。
あいつらしいったらあいつらしいか。
「あっ、そういえばもう半年くらい経ってるよ?」
「半年? 何がっすか?」
「何がって君が精神体になってからだけど」
「太陽鱏と戦ってから半年経っているって事ですか……?」
「その通り! 因みに今、王都が襲われています!」
「えぇぇぇええぇぇぇええ!!!!」
半年間も意識がなかったのか俺は!?
むしろどういう状況だったんだ?
全身が雷化して、そのままバラバラになってしまったって事か?
「君の魂をここまで復元するのに苦労したんだよ」
「つまりまた神さまが助けてくれたと?」
「その通り。魂のかけらを集めるのに半年もかかっちゃった」
「それで今、王都はどうなってるんだ! 花ちゃんやライアは無事か!?」
「……それは自分の目で確かめるといい。早く行かないと君の友人は手遅れになる。それ程の強敵だ」
「まじかよ! じゃあ早くあっちに送ってくれ!」
「……ではお願いを聞いてくれるかい?」
「わかったから! 精霊神の暴走を止めれば良いんだろ!? 早くしてくれ! あの時みたいな気持ちにはもうなりたくないんだ!」
「では、別宮洋也、改めてお願いしよう」
純白の少女はゆっくりと頭を下げた。
「頼む、可愛い私の世界を救ってくれ」
次回の更新は2019/04/10になります。
宜しくお願い致します。




