174話 半年後
「あの馬鹿は一体どこで何してるんだか……」
女が手に持ったグラスを傾けると、中に入っていた氷が滑り、カランと小気味良い音が鳴る。
秋の夜長、静かな夜に独りごちるのは、遥か昔数百年前魔族の女王であったライア=マノス、その人。
彼女は王都にあるベックの家のリビングにて、一人寂しく晩酌の盃を舐めていた。
ベックが《海底神殿》に潜り、行方が分からなくなってから既に半年。それは奇しくも同じようにいなくなった、彼の娘である花子が失踪した月日と一致する。
花子は、小鬼病の血清が完成したその日、一人で先に帰ると皆に告げそのまま戻らなかった。
ライア、ノーチェ、ニエヴェの三人で王都を隈なく探したが見つけることはできず、既に王都を離れているものと考えている。
冒険者ギルドには捜索の依頼を出してみたものの、有力な情報は得られないまま半年が過ぎてしまった。
無事完成した血清はと言うと、フォレスターレ王国の王女へと献上され、不治と言われていた小鬼病は完全に治癒された。
長年、病で床に伏せていると言われていた王女の姿を見た国民は歓喜し、大々的な快気祝いのパレードが行われたのも記憶に新しい。
しかしその王女の病を完治させる為に、危険を顧みず凶悪な魔物が跋扈するドルガレオ大陸に向かった、功労者の一人である冒険者はここにはいない。
小鬼病の治療に必要な血清を作成する為には、大量の魔吸虫の毒が必要になる。それを提供してくれる魔樹人と意思の疎通ができるのはベック只一人だ。そういった意味でも彼がいないと言うことは王国にとって痛手であると言える。
この国の国王も心を痛めていると言う話を王女から聞かされた。本当かどうかは知らないがな。
彼は、半年前単独で《海底神殿》に潜り、第七十九階層でA等級パーティ《銀の翼》と遭遇、そして窮地に陥っていた同パーティを救出し七十五階層まで送り届けた後、再度七十九階層に向かったのを最後に消息が途絶えている。
良くある話だ。
絶賛売り出し中の冒険者が、身の丈に合わない挑戦をしてその命を儚く散らせる。
ありふれたこの世界のどこかでは、毎日のように起こっているちっぽけな悲劇の中の一つだろう。
でもこれはそれとは少し違うと考えている。
そもそも前提が違うのだ。単身で現段階での最終階層に辿り着くような巫山戯た男はそれには当てはまらないだろう。
その後《銀の翼》は七十九階層を再調査したものの、ベックが向かったと思われる、階層の中心にある火山に到達する前に敗走を喫している。
しかし、遠目から見ても分かる程火山上層の地形が大幅に変わっていることから、そこで何かが起きたことは間違いはないらしい。彼らからはそれ以上の情報は得られなかった。
「全く、心配ばかりかけさせおって……。これじゃあ飲酒量ばっかり増えてしまうではないか」
酒の量にいちいち口を出してくる小煩い男はいない。
とは言うものの、ゆっくりとグラスと傾ける彼女は不思議と暗い気持ちにはならなかった。
何故ならあの二人はどこかで生きていると確信していたからだ。
あの二人はライアが出会った中でも特に特別な存在だった。
魔法を作るという奇異なる魔法、今は亡き雷神の加護を受けた稀有なる人間。そして何より、その優しい心根が彼女は気に入っていたのだ。
殺しても死ななそうな人間──、
それがライアが受ける彼の印象だった。
彼の娘もそうだ。
全ての属性を扱える者など魔族にも聞いたことがない。
彼女は魔界草と言われる、ドルガレオ大陸では何処にでも生息している比較的ポピュラーな魔物だった。
しかし通常の魔界草とは生い立ちも見た目も異なっていた。
ぷっくりとした多肉植物のような茎、赤い花弁と白い水玉模様の蕾、伸縮自在で柔剛一体の蔓、そして何より彼女には感情と知性があった。彼女は魔界草の中でも特殊な個体だったといえよう。
そんな彼女は幼体から成体になると、植物だった姿から逸脱し人の姿を象り二本の足で地を踏みしめていた。魔界草が成体になるというと、せいぜい蕾から花が咲き、より強力な個体が黒く変色するくらいのはずで、人型になる事なんて聞いたことがなかった。
時折別種の魔物の中でも強力な個体が進化を重ねそう言った存在になることは確認されているが、魔界草がそうなったという話は聞いたことがなかった。
その時だ。
「雨……か」
ぽつり、ぽつりと雨が窓を叩き始めた。
それは次第に大きな雨粒となって、王都全体を濡らしていく。
窓から見える街の景色は雨の訪れと共に変化し、道を選んで行き交っていた人の姿は見えなくなった。
商店街に見える数々の屋台もすっかり灯を落とし、今日はどの屋台も店じまいのようだ。
先程までの星空が嘘のように、空にはいつのまにか暗雲が立ち込めていた。
上空が一瞬光ると遅れて雷鳴が響きわたる。
決して落雷する訳ではなく、蒼白い雷光がジグザグと黒雲の中を縫うように瞬く。
ベックが居なくなってから半年間でこの世界には色々なことが起きた。
王女の小鬼病の完治もその一つと言える。
そしてそれは今轟いている雷鳴も同じ事だろう。
例年に比べ異常までに雷の精霊たちが活性化しているのだ。
いや、正常に戻りつつあるといった方が正しい。
雷鳴がなる程の雷が発生するなんてことは数年、十数年に一回あるかないかの出来事だったからだ。
起きている現象は異常気象だけではない。
各国で魔王崇拝者の活動が更に活発になっているのだ。
どうやら残りの四人の魔族たちも頑張っているらしい。
崇拝するべき魔王なんてとうの昔に死んでいると言うのに。
(頑張ってるって言う言い方はおかしいか……私が言うのもアレだが……)
フォレスターレ王国における魔王崇拝者の活動は私が指示していた所によるものだが、ベックと出逢ってからと言うものそれに違和感を感じていた私は、実権をスウマーへと譲渡していた。
しばらくは定期的に報告が来ていたのだが、花子がドルガレオ大陸の別荘を出てベックの元へ戻った辺りから連絡がつかなくなっている。
実を言うと、別荘で花子の面倒を見させていたのはスウマーなのだ。
それからと言うもの、何か重要な事を見逃しているような違和感が喉の奥を突いている。今になって考えてみればあのスウマーが花子の異変に気がつかないはずがないのだ。
「まさか……な。気のせいだと良いんだけど……」
ライアは一瞬だけ浮かんだありえない考えをパンパンと顔を叩いて消し去り、気を取り直した。
カタリ──、
音に振り向くとメイド姿の屋敷妖精が酒瓶を片手に立っていた。
「ララか」
「はい、ライア様。お継ぎ致します」
「ありがとう、ララ」
「いえ、ご主人様は生きていらっしゃいますよ。主従の魔法契約が失効していないのがその証のなるかと」
「そうだったな。契約主が死ぬと契約が解除されるのだったか」
「はい、きっと今頃どこかで美味しいものでも食べているのではないでしょうか」
「ははっ! 米が食いたい!とか、そんな事を言っているかもな」
「確かにそうかも知れませんね。ご主人様らしいです」
「ふふ、どうだ? ララも飲まないか?」
「では少しだけ頂きます」
ララが指を振ると何処からともなくグラスが飛んでくる。
ライアが酒の入った瓶を手に取ると、音もなくテーブルに着地した盃に紫色の葡萄酒が注がれていく。
示し合せるわけでもなく、二人はお互いのグラスを取り上げるとカチンと打ち鳴らした。
「あの坊やが無事に戻ってくる事を期待して」
外に目を向けると雨は未だに降り続けている。
この雨も雲が散ればいずれやむだろう。
そして雨が上がった後には晴天が待っているのだ。




