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154話 静電気とクラーケン?



「「「うわああああああぁぁああぁああ」」」


響き渡る騎士達の叫び声。

頭上から降り注ぐのは、帆船のマストよりも太い、圧倒的な質量を持ったしなやかでぬるりとした魔物の触手腕。


太陽を塞ぐ様に持ち上げられた触手腕から、フレデリカの整った美しい顔の上に、大粒の海水がぼたりぼたりと降り注いだ。


普段のフレデリカならば確実に不快感を示し、直ぐさま海水を拭い顔を歪ませていたであろう状況だが、目の前に広がっている悪夢とも言えうる光景が、その反射とも言える行動を阻害していた。


「…………クラーケン……なのか?」


汗か、海水か。

頰を伝い流れ落ちる雫を手で払うと、フレデリカは小さく呟いた。





彼女のがその魔物を正確に判断できないのは、彼女の知っている海の怪物クラーケンとは、ある一点を除いてかけ離れた姿形をしているからだ。


フレデリカの知っているクラーケンは、高難易度迷宮《海底神殿》の中層から下層に向かう通路、四十九階層から五十階層に至る道を塞ぐ、赤茶色のでぬめりのある皮膚を持った十m程の大型の魔物だ。


クラーケンはオクタゴンが他の魔物を喰らい、その魔魂石を体内に取り込む事で進化した個体と言われている。


眼下から髭のように生えるその特徴的な八本の脚(触手腕)は、全て筋肉で構成されており、脚の腹側には吸盤と呼ばれる捕まえた獲物を逃さない様にする為の円柱状で中が空洞の器官が存在する。強靭な筋肉を収縮させ吸盤内部の圧力を上げると、中の空気や水が押し出され外側から大気圧、水中なら水圧等がかかる事で様々なものに吸着する事ができる。


そうやって一度捕まえた獲物は、その強靭な筋肉でできた触手腕と吸盤で絡めとり、力強く締めあげ、水面や硬いものに叩きつけて弱らせた後、腕の根元に付いている鋭い嘴で貪り喰う。


小さいオクタゴンなら巻きつかれても笑い話で済むが、クラーケンなどの巨大な筋肉の塊に締め付けられでもしたら、鎧はひしゃげ、全身の骨は砕かれる。


それが意味するのは絶望的で圧倒的な死だ。

まして、水中でやられた場合呼吸もままならない。

海中でクラーケンに捕まったら最後、生を諦めるしかない。


この様に迷宮で対峙する十m程の大きさのクラーケンでも、海の怪物と言われるくらい並みの冒険者では手も足も出ないほどの脅威的な存在なのだが──、


たった今フレデリカの頭上に振り下ろそうとされている触手腕は、迷宮のクラーケンのそれより遥かに太く強靭で、その腕の先端に付いている本来ならば(通常のクラーケンに)あるはずのない黒い鉤爪は、経験豊富な歴戦の魔法使いであるフレデリカの目をしても死神の鎌の様に見えて仕方がなかった。


振り上げられた触手腕の奥に見える全体像は、二十mは超える折れた帆船がまるで蛸壺の様な役割を担い、黒い体表を持った丸く膨らんだ胴体をすっぽりと覆い隠している。その異様な出で立ちは、今まで何度も相対したクラーケンとは似て非なるものだった。






「ぼけっとするな!」


同行している冒険者の声が、飛んでいたフレデリカの意識を引き戻した。


「くっ」


フレデリカは恥じた。

そして後悔した。

一瞬でも絶望し、死を受け入れそうになっていたからだ。

しかし、その一瞬は、事、魔物との戦闘においては致命的な隙になりうる。

意識を引き戻した時には、既に、船ごとフレデリカを叩き潰そうとする悪魔の一撃が直ぐそばまで迫っていた。


全てがもう遅かった。


一秒だろうか、それとももっと短い時間だろうか。

しかしそのたった一秒未満の短い時間が、今のフレデリカにとっては途轍もなく長い時間に感じた。

小さい頃から今までの思い出が、走馬灯の様に脳内を駆け巡る。

あの時こうしていれば、あぁしていれば……。

後悔した事は幾度もある。

最大の後悔は最愛の娘を残して死ぬ事だった。

愛している、その言葉を何かしらの形で残せる様な、そんな最後の時間すらもうほとんど残されていなかった。


(あの子の花嫁姿、見たかったわぁ……)


フレデリカは反射的に目を瞑り、情けなく意味なさないであろう自身の腕を顔前に突き出して距離をとった。

最後の悪あがきをするように。







──バッチィイイィィィイイィン!!!







何かに当たる様な音。

大きな衝撃と船の揺れ。


(何も……来ない……?)


フレデリカは自分の死を確認するかの様に、そぉっと目を開ける。

一向に身に降りかからない、振り下ろされた死を孕んだ一撃は、フレデリカに、船に直撃する直前、見えない壁のようなものに阻まれていた。


触手腕が叩きつけられた場所には、べちゃりと粘着質な液体だけが残り、それは浮いている様に見えた。


「…………一体何が……くっ」


情けなく腰を崩し、床にヘタリ込むフレデリカ。


(なぜ立ち向かえるの……?)


一度折れた彼女の心はそう簡単に元に戻らない。

未だ拭えぬ恐怖に、足がすくんでいた。


「ぼけっとするなってば! あんなの食らったらこの船も沈没するぞ!」

「おいおい、デカすぎだろ! ベック! しっかり守れよ!!俺っちは泳げねぇからな!」

「すっご〜い! 大きいよ!! それに真っ黒!」


次々と襲いかかってくるクラーケンの攻撃を弾き返す冒険者の魔法。

均衡を崩すのは、頭に花の咲いた少女の一撃だった。

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