142話 静電気と海洋都市①
「パパ!! なんか変な匂いがしてきたよ!!」
「……ん? 変な匂い?」
本当だ。
まぁ変な匂いではないのだが。
スンと鼻をヒクつかせると鼻腔に広がるのは濃厚な生命の香り。
寄せては返す潮騒の、繰り返される規則的なリズムが、スヤスヤと深い眠りについた赤子の寝息のように、翠蔓で編み込まれた客車を優しく包み込む。
花ちゃんの声で目が覚めた俺は、光が差し込む、景色を切り取った額縁のような窓から伺える、何処かで見たようなその光景に釘付けになった。
額縁から見える絵は二色の青で彩られている。
透き通るような青が上半分を支配し、幾重にも塗り重ねられた濃い青が下半分を支配していた。
窓から身を乗り出すと、太陽の光を浴びて燦燦と輝く海原が 、これから経験できるであろう出来事を想像させ、期待に胸が膨らむ思いになった。
いくつかの宿場町を経由して森を抜けると、オレガルド大陸の南東にある漁業の盛んな都市である、今回の旅の目的地ブリッジポートに到着する。
初めこそ移り行く景色を車窓から眺めたり、途中で休憩して狩りをして見たりと積極的に行動していたが、三日目、四日目ともなると森と草原と崖ばかりの代わり映えしない景色に、すっかり飽きてしまった俺とノーチェは、花ちゃんに甘え客車内でダラダラと暇を持て余していた。
魔物の襲撃があっても花ちゃんが一瞬で片付けてしまう為、本当にやる事がなかった。
そして王都を出発して五日。
ようやく周囲に変化が起こったのであった。
「うおっ下見てみろよ! 崖っぷちじゃねーか! 花ちゃん頼むから安全運転で頼むぜ!」
「大丈夫だよ〜。それにしても大っきな水たまり〜!」
俺につられて窓を覗き込んだノーチェが、窓から見える光景に思わず跳びのき、反対側の壁にガツンと頭をぶつけた。
段々と右側に急な斜面が現れ、先細りしていく森を抜けた先、目の前に広がったのは高台から見下ろせる港街の風景と断崖絶壁、そして見渡す限りの青い海だった。
「花ちゃん! あれは海って言うんだぜ!」
ノーチェが自慢げにそう答える。
「あれが海なんだねぇ!」
「それにあの水はめちゃくちゃ塩っぱいんだぜ?」
「本当!? 花ちゃん舐めてみたい!!」
二人とも大興奮だ。
しかし塩水なんて舐めて花ちゃんは大丈夫だろうか。
枯れたりしないかな。非常に心配だ。
「それにしても今日はあんまり船があまり見えねぇな」
ノーチェが首を傾げている。
「昼時だし、みんな休憩でもしてるんじゃないの?」
この世界の漁についてはよく分からないが、地球だと大体は早朝に漁に行って、昼ぐらいには帰ってくるんじゃなかったっけ?
「俺っちが前に来た時は、何時でも船がいっぱい浮いてた気したんだけどなぁ」
「ねぇねぇ、船ってなぁに?」
「あぁ花ちゃんは見た事ないか。水に浮かぶ乗物だよ」
この世界の船はどんなものなのだろうか。
「わぁ! 花ちゃんも乗ってみたい!!」
「漁船って載せてもらえるのかな?」
俺も個人的に興味がある。
そのうち別大陸にあるという、阿波国にも行って見たいからな。醤油大事。
「いや、漁船は無理じゃねぇか? どのみち《海底神殿》行くんだろ? そん時に乗れるから安心しなよ」
「なるほど、そうなのね。船乗れるってよ花ちゃん。良かったなー」
「うん! 楽しみ!!」
街とは高低差のある坂をゆっくりと下るのを感じながら、再び海に目を向けると崖下に何か落ちているのが見える。
馬車でも落ちている……のか?
違うな。あれは浮かんでいるといったほうが良いのか。
崖下には木片や布の切れ端が波に揺られていた。
他には崩れた木製の樽の破片やロープなどが、岸壁の岩に引っかかっている様がちらほら見受けられる。
難破船……いや、難破船の残骸か。
岸壁沿いをよく見ると、今見た残骸だけでなく、様々な色の布や木材の残骸がずらりと続いていた。
布にロープって事は帆船か?
それにしてもまるで船の墓場みたいだな。
「パパ〜! 街が見えて来たよ〜」
車窓から顔を出して前を向くと、この世界ではお馴染みの壁と門が見えてくる。
「パパ、どうする? このまま行っても大丈夫かなぁ?」
「あぁ、いいんじゃない? 早めに慣れて貰うためにもそのまま行っちゃえば」
「お、おい、大丈夫か? 絶対に警戒されるぞ」
「まぁ行ってみればわかるさ」
王都に入る時のように、街に入る為の渋滞などは無く、すんなりと入場門まで到着した。
「な、なんだこれは! 馬車……なのか?」
駆け寄って来た衛兵とは別に、門の横にある詰め所から、数人の衛兵が慌てた様子で出てくる。
俺とノーチェは客車から降りる。
花ちゃんに普段の姿に戻るように指示する。
少女の姿に戻った花ちゃんを見て、衛兵たちは抜いていた剣を鞘に戻す。
「お、女の子……?」
そりゃ驚くよなぁ。
さっきまで翠蔓の全身鎧の人馬だったものが、いきなり美少女に変わるんだもの。
しかしなかなか久しぶりの反応で少し楽しくなってくる。
「冒険者のベックです。依頼で荷物を届けに来ました」
「認識票を見せてくれ」
首に掛けている認識票をノーチェと共に見せると「A等級か」と言いつつ、チラチラと我々三人の様子を確認している。
「A等級に牛頭人の格好……。もしや『雷帝』か?」
「隣にいるのは『蹴兎』だな」
「隣の少女は……? 先程は変身したように見えたが……」
「分からん。『雷帝』は魔物を使役していると聞いたが、見当たらないな」
「しかし、あの少女は可愛いな」
「「「あぁ、可愛い」」」
後から来た衛兵たちは、俺たちに聞こえているのを知ってか知らずか、全くもって同意しかない会話をしている。
花ちゃんは可愛い。
よくわかっているじゃないか。
こいつらとは仲良くできそうだ。
「おい、お前ら……。申し訳ない。身分は確認できた、通ってくれ。ようこそ、海洋都市ブリッジポートへ」




