0話 プロローグ 静電気と死因
「ぷっ、くくく…あーっはっはっは」
光沢のある純白の大理石で出来た、豪華絢爛な龍の彫刻が施された見事な柱。
その柱が、幾千も、幾千も規則的に立ち並び、地平線の彼方まで続いている。
不気味なほど静まり返った、透き通るような白い景色の中。
彼女は一人、その空間に不釣り合いとも言える、古めかしい木製の質素な椅子に座る。
その手に持った紙束の、最後の1ページを眺めながら、目じりに涙を浮かべ笑っていた。
人を小馬鹿にしたような、あざ笑うかのような、甲高い女性の笑い声が響く。
その声と、冷たく硬い床の感触で、この物語の主人公、別宮洋也は目を覚ました。
◇
洋也は酒も飲まないし、煙草も吸わない。
年齢=彼女なしで、趣味は主にゲームにアニメ。
草食系でインドア派の、仕事に疲れたくたびれ系サラリーマンだ。
クリスマスイブの今日、『すまん!彼女との約束の時間に間に合わない!』と、数少ない友人の一人である職場の同期から、残っていた仕事を押し付けられた。
入社してすぐ、上司からの飲み会の誘いを『見たい深夜アニメがあるから』という理由で断ってから、周囲の人間の洋也に対する反応は冷ややかになった。
変わり者として扱われ、飲み会などの行事に誘われることはなくなっていったし、本人も参加する気は更々なかったためどうでもいいと思っていた。
唯一話しかけてくるのは、ちょくちょく仕事を押し付けてくる同僚くらいだ。
まぁ、いいように使われているだけかもしれないが、頼られるというのは悪い気はしない。
「ったく……こんなに伝票溜めやがって……」
周囲にはちらほら残って残業している人影があったが、基本的に各々の作業に集中している為、手伝ってくれそうな人間はいない。そもそも顔と名前だけ知っているような間柄で、関りもあまりなく、お互いに不干渉だ。
一人で黙々と手を動かし、作業を続けること数時間。
「んんっ……あ~~疲れたな……もうこんな時間かぁ……」
ふと、左手の手首を見遣ると、腕時計の短針は数字の八を指していた。
休憩するか……。
凝り固まった体を解すように腕を上にあげ背中を反らせる。
――その瞬間グゥッと情けない腹の虫が鳴った。
「腹減ったな」
空腹に耐えきれなくなった。
そういえば、お昼はサンドイッチしか食べてなかったなあ。
コンビニで弁当でも買うか……。
リュックを背負い、マフラーを巻いた。
今日はクリスマスイブだし、12月の夜は寒い。
(今頃アイツは聖なる夜ならぬ、性なる夜ってか……)
そんなおやじギャグのような、くだらないことを考えながら、何気なく事務所のドアのノブに触れた時、それは起こった。
バチィッ!
大きな音と右手を貫く衝撃。
陽も落ち、蛍光灯の明かりだけのやや暗い殺風景な事務所が、その瞬間だけは、目も眩むような青白い稲光で満たされる。
「っ……!」
右腕から全身にかけて稲妻にでも打たれたような衝撃の直後、刺すような鋭い痛みを胸に感じ、全身から血の気が失せていく。
薄れゆく意識の中で、自分が、膝から崩れ落ちるように倒れるのが分かった。
異変に気が付いたドア付近の席の同僚が驚きの声を上げる中、まるで都市全体が停電したかのように目の前が真っ暗になり、俺はぷつりと意識を喪った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「あれ……?」
つい先程までは職場に居たはずだった。
全身に冷たい床の感触を感じる。
どうやら俺はうつ伏せになり、床の上に倒れているようだ。
立ち上がろうとするも、体に力が入らない。
仕方なく、目だけをぐるりと動かし周囲を確認すると、真っ白な龍の彫刻が施された柱のある広い空間に、椅子に座わって脚を組む美しい少女がそこにいた。
「おや、目が覚めたかな?」
その少女と目が合った。
俺の視線に気が付いたようだ。
その美しい少女を形容するとしたら、白。
透き通るような白い肌に、白い双眸、絹のような美しい白色の毛髪を腰まで伸ばした、ボディラインに起伏のない、白いローブを纏った儚げな雰囲気の美少女。
彼女は目尻に溜まった涙を指ですくいながらこちらを見ていた。
「面白い。ここ最近で、一番面白いよ」
美少女は、組んでいた艶めかしい足を、ゆっくりと組み替えながら口を開く。
「面白い? 面白いってどういう……それより、ここは……」
いつまでも寝ているわけにはいかない。
感覚が戻ってきた腕を支えにゆっくりと立ち上がりながら質問する。
「ここかい? ここは白磁宮」
美少女は周囲を見渡し、両手を大きく広げて答えた。
「そして私は、君らの言葉でいう神という存在だよ」
腰に両の手を当て、フンス、と鼻息荒く尊大な態度だ。
神? 何を言っているんだこの少女は……。
もしかしてこれは夢か?
いや、夢だとしたら、おかしい。
なぜなら俺の夢は大体、煩悩の塊のような都合の良い夢であることが多いからだ。
だから少女が脚を組み替えたタイミングで、神秘の逆三角形が見えないのは俺の夢らしくない。
一昨日夢に出てきたのは、総務の岩瀬さんで、非常にグラマーな男性社員にも人気のある美人さんだ。
魅惑的な双丘に張りのある臀部。きゅっとくびれた腹部はなんとも劣情を煽る。
一年先輩である彼女が入社して間もなく、社内で迷っていた俺を優しく導いてくれた時から心を奪われてしまった。
その岩瀬さんとあんな事やこんな事をする夢を──。
──って! いかんいかん!
そうじゃない!
今はそんな場合じゃないぞ、俺!
ぶんぶんと首を左右に振り自身の頬を叩く。
ピンク色の意識を引き戻し、白色の世界へ向き直す。
「……これは何かのドッキリですか?」
こんな状況で口から出たのがしょうもない質問。
我ながら恥かしい……。
「いや、ドッキリじゃないよ。君は死んだんだ」
君は察しが悪いね、と自称神様は微笑みながら答えた。
そりゃそうですよね。
この手に触れる床の感触とか質感とか、その他もろもろリアルすぎる。
これが夢ならばどれだけ俺は想像力が豊かなんだと、勘違いで才能すら感じてしまうよ。
ということは……だ。
死んでこんな所に召喚されているってことはこれから剣と魔法の世界、つまりは異世界へ転生か転移をして常人では考えられない特別な力を得て勇者になり、ばったばったと魔物や魔王を退治して女の子にモッテモテのハーレムを築けるってことか!?
よくある王道展開キタコレ!
ゲームやアニメが好きなら、自分が主人公になり世界を救うなんてそんな妄想、一度はしたことあると思う。
オラ、わくわくすっぞ!
(んん? でも待てよ? 俺はいつ死んだんだ……?)
「どうしたの? 何か考え事かな?」
「自分がいつ、どうやって死んだかわからなくて……」
俺は眉間に深い皺をよせ、思考を巡らせる。
別に外に出てトラックに轢かれたわけでも、バスに乗って事故に巻き込まれたわけでも、ましてや暴漢に襲われて胸や腹を刺されまくったわけでもない。
ただ、コンビニに行こうとして、事務所のドアノブを掴もうとしただけだった。
「覚えてないの?」
自称神様は、なにか意味ありげな眼で俺を見る。
うーん、アイツに押し付けられた仕事がなかなか終わらなくて……。
腹も減った事だし、休憩がてら飯を買いに行こうと思ったんだ。
「腹が減って飯を買いに……外に出ようと……」
頭の中でバラバラになったパズルのピースが一つ一つはまっていく。
「……あっ」
そうだ、思い出した。
「静電気……そうだ静電気だ……」
俺が呟いたその瞬間、白銀色の髪をした自称神様は、にたぁと口角をあげ満足そうな顔をし、また何か面白いものを思い出したかのように、くつくつと笑いだした。
「ぷっ。くくく……。おっと失礼、これは君の生涯が書かれた紙だよ。生まれてから死ぬまでの出来事がざっと書いてある。その最後のページには君が死んだ瞬間が記されているんだ。なんて書いてあると思う? 傑作だよ! 『静電気によるショックで心臓麻痺』 ぷっ! こんな死因の人間、滅多にいないよ? 久々に笑わせてもらったよ」
ひらひらと、手に持った紙の束を揺らしながら、神様は笑う。
「……」
てことは何?
静電気のバチッ! ってやつで俺は死んだの?
静電気って火花放電っていうんだっけ?
あれってあんな威力になるの?
まるでスタンガンをドアの反対側からあてられたような……。
そんな感覚だったんだけど!
いや、当てられたことないけどさ!
きっとそのくらいの威力だと思う!
ショックで死ぬくらいだし!
思い出してみると、スーパーに行って買い物カートに触れた時や、家に帰ってコートを脱いだ時とか、頻繁に静電気起きるんだよなぁ……。子供の時には下敷きでよく遊んだっけ。周りの友達より、髪の毛が逆立ったんだよなあ。
それに、なんかの本で読んだけど、肩こりや腰痛、冷え性のひどい人、乾燥肌の人とかって静電気が起こりやすいみたい。
血液がどろどろで酸性の不健康な証拠らしい。
俺はどれにも当てはまる。
デスクワークで腰痛も肩こりもひどいし、運動も全くしない。
俺ってば、静電気が起きやすい不健康体質だったみたい。
次生まれてくるときは、何とかして改善できないものか。
自称神様は一頻り笑うと、はぁはぁと苦しそうにお腹を擦り、息を整えた。
パラリと手に持っていた紙束に再度目を向けると、ペラペラと中身を確認し「ふぅ……」と息をついた。
「それにしてもずいぶんとまぁ、運に見放されているようだね」
ゲームの薄っぺらいキャラクター設定資料集を見ているような言い方だ。
うぐぐ……。
言い返せないのが悔しい!
でも、感じちゃう! ビクンビクン!
……。
親父はアルコール依存症で、夜な夜な酒を飲んでは母ちゃんに対して暴力を振るっていたし、仕事も碌にしていなかった。
マジでくそ野郎だったよ。
そのせいで家には借金があったし、昼夜問わず母ちゃんは働いていた。
心身共に疲れた母ちゃんは、俺が高校に進学するのを切っ掛けに父親と離婚した。
母ちゃんと俺は、住んでいた家から逃げるように飛び出した。
自分で言うのもなんだが、よくグレなかったと思う。
ドラマだったら間違いなく不良一直線のパターンだ。
「裕福で幸せな家庭じゃなかったもので……。毎日バイト漬けで、遊ぶ暇もありませんでしたし……」
高校三年間、複数のバイトを掛け持ちして貯めたお金で大学に行き、苦労して今の会社に就職した。
母ちゃんは今までの無理と心労が祟ってか、俺が20歳の時に倒れ、そのまま目を覚ますことはなかった。兄弟もいないし、親戚も疎遠になっていたので、俺は母ちゃんが死んだその日、天涯孤独の身となった。
(挙句の果てには、静電気で心臓麻痺って……なにかのコントかよ……)
もし、生まれ変われたり、違う人生を生きられるなら幸せになりたい。
可愛い奥さんに、可愛い子供。子供は一姫二太郎がいいかな。
小さいころ味わえなかった、暖かい食事を囲む、幸せな家庭を築いてみたいものだ。
現実世界では、就職して安定した生活を送ることが出来てたから不満はなかったけど、唯一の心残りとして挙げるとしたら、俺の“息子”を使ってあげることが出来なかったこと……。
つまり童貞のまま死んだってことだな……。
話が逸れてしまった。俺は不意に襲ってきた悲しみをなんとか……乗り越え、目の前にいる急に哀れんだ目でこちらを見る自称神様に、俺がここにいる理由を問いかけた。
「それで、なぜ俺はここにいるんでしょうか?」
「この紙束……『死者の書』は魂が目の前にないと読めないんだよね」
「じゃあ、それを読むためだけに呼んだってことですか……?」
「そ。あと、死因が面白かったから、どんな人間か見てみたくて」
神様、頭コツんで『てへぺろ』じゃありません。
可愛いけど! 確かに可愛いけど!
「それだけですか……?」
恐る恐るそれ以外の理由も聞いてみる。
まさかそんな下らない理由だけじゃないよね?
沈黙が周囲を支配する。
神様は顎に手を当て逡巡したのち、こう答えた。
「それだけ!」
え? 本当にそれだけなの?
もっとこう、世界を救ってほしいとか、君にはその素質があるとかないわけ?
ただ単純に、静電気で死ぬような間抜けな人間の人生を覗きたかっただけかよ!
こんちくしょう!
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