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執念の炎

「――ペリドラ!」


 リルパを連れてフルールの城に戻ったギデオンは、メイド長の姿を探した。


「……旦那さま? いったい何事でありんす?」


 フルールの寝室から現れたペリドラは、ギデオンの腕の中でぐったりとするリルパを見て、ハッと息を呑んだ。


「なんと、リルパ!」

「すごい熱が出て、一向に引く様子がない。彼女は食事をしていただけだったんだが……」


 ギデオンは首を傾けて言った。傷はもう塞がっているが、リルパはそこからギデオンの血を飲んでいた。


「お食事を? いったいどういうことでありんす……」

「俺にも何が起こったのかわからない。突然、彼女がぐったりと動かなくなった」


 二人はリルパの部屋に急ぐと、ベッドに部屋の主の身体を寝かせた。


「力を使い過ぎたんだろうか? 彼女は今日一日、大地を弄り回していたわけだが……」

「リルパに限って、そのようなことがあるはずもなさんす……ちょ、ちょっと待ちなんせ!」


 ペリドラが目を見張る。


「……見たことがない模様が浮かんでおりんす」


 ペリドラはリルパの腹に、そっと手を置いた。そこには老女中の言う通り、紫色にうっすらと光る妙な模様が浮かび上がっている。

「おお、まさかこれは……これこそが……」


 言いながら、ペリドラは口を押さえる。


「フルールさまが待ち望んでいたことが、ついに起こったのでありんす。これは『前夜蛹』と呼ばれる紋様……あの方がおっしゃるには、リルはときに供物同士を自らの身体の中で戦わせ、そこから爆発的な活力を得ることができたという話でありんす」

「供物とは何だ……?」

「それすなわち、飲んだ血のこと。そこに含まれたまったく異なった力をぶつけ合わせて、その矛盾からさらなる力を生み出す。まるで弁証法の如く、リルはその都度まったく新しい力を身につけることができたと」

「まったく新しい力……」

「ええ、リルの子であるリルパにも同様のことが起こるだろうと、フルールさまはそうおっしゃっておられなんした。つまりリルパはいま、さらなる成長をしているということでありんしょう」


 それを聞いて、ギデオンの背筋にぞくりと悪寒が走った。


 ……成長しているだと? この怪物は、これ以上の力を身につけるというのか?


「やはり旦那さまとの出会いは、リルパにとって運命だったのでありんす。フルールさまの血だけでは、この現象は起こり得なかったはず。フルールさまは、リルパの力を覚醒させてくれる存在をずっと待ちわびていたのでありんすよ」

「それが俺だと……?」

「そのとおりでありんす。きっと、フルールさまもお喜びになりんしょう」


 とんでもない事態ではないか。まさか、自分の存在がリルパにさらなる力を与えてしまうなどと……。


「……ペリドラ……?」


 そのとき、リルパが苦しそうな声を出した。


「おお、意識が戻りなんしたか、リルパ!」

「か、身体が熱いの……それに、すごく苦しい……」

「気をしっかり持ちなんせ。大丈夫、リルパはどこも悪くありんせん。いま新しい力を消化し、身体に取り込もうとしているだけの話でありんすよ」

「怖いよ、こんなに苦しいの初めて……」

「大丈夫! 大丈夫でありんす! わっちがずっとそばにおりんすよ……」

「ギデオンは……?」

「ああ、旦那さまはほら、あそこにおられなんす!」


 ペリドラがギデオンを指差すと、リルパはますます顔を赤くして布団を引き寄せた。そして、たったいま熱いと言っていた割に、必死な様子でそれにくるまろうとする。


 ペリドラはハッと息を呑むと、ギデオンの方をジロリと見つめた。


「――旦那さま! 濡れタオルを持ってきなんし!」

「わ、わかった」


 ギデオンは老女中の迫力に押され、部屋から飛び出した。

 メイドたちが出払った城は恐ろしく静かで、妙な圧迫感を感じる。


 桶に水を汲み、近くに干されていたタオルを持ってリルパの部屋に急ぐ。

 次にギデオンが見たとき、リルパはかけ布団の下で頬を赤らめていた。


 ペリドラはギデオンから桶とタオルを引っ手繰るようにして受け取ると、礼も言わずに、ただシッシッと手を振った。


「……この子の面倒はわっちが見なんす。旦那さまは随分とデリカシーの欠けた方のようでありんすから」

「な、なんだと?」

「いくら火急の事態であったとはいえ、そのままの姿でリルパを連れてくるとは何事でありんすか! 旦那さまには、殿方としての自覚が足りなさんす!」


 それから、ペリドラは顔を思い切りギデオンに近づけ、ひそひそと囁く。


「……リルパをレディーとして扱うようにと、わっちは申し上げなんしたね?」

「も、もちろん! もちろん、そう扱っているつもりだが……」

「……この件に関しては、またのちほどゆっくりとお話しさせてもらいなんす」


 ペリドラはくるりとギデオンに背を向けてベッドに近づくと、今度はあやすような声で寝台の主に話しかけた。


「リルパ? 旦那さまには、わっちからきちんと言っておきなんしたからね。安心しなんせ」

「……うん」


 リルパは、目元まで布団を引き寄せて答えた。


「……ペリドラ、わたしが寝ている間、どこにも行っちゃダメだからね……?」

「もちろんでありんす。わっちはいままでもこれからも、ずっとリルパのペリドラでありんすよ」

「フレイヤが起きるまで、わたしの身体は良くなる?」

「きっと良くなりんしょう。フルールさまもきっと、さらに力強く成長したリルパの姿を見れば驚かれなんすよ。さ、いまは何も心配することなく眠ることでありんす」


 ペリドラは桶にタオルを浸すと、余分な水を絞ってから、それをリルパの額に置く。

 甲斐甲斐しい様子の彼女を横目に捕えながら、ギデオンはリルパの部屋を後にした。




 時間が経つにつれて、ギデオンは自分の逃した機会の大きさを思って歯噛みした。


 もしあのとき両手に力を込めていれば、リルパを殺すことが出来たのではないだろうか?


 たとえ防御膜に弾き返される事態になってしまったとしても、それを試すことすらしなかったというのは、自分がこの監獄世界にくるときに抱いていた強い決心を自ら侮辱することではないのか?


 リルパがいなくなれば、象牙を手に入れる難易度は遥かに下がるはず。そしてその象牙を手に入れることのみが、いまギデオンがこの世界にいる唯一の理由なのだ。


(……俺は弱い人間だ。いまだ何も成し遂げられていない……)


 ギデオンは、シャルムートを思い出した。


 あいつも殺そうと思った。しかし、彼のそばで献身的に尽くすマジェンタにほだされ、結局生命を奪うことはしなかった。


 そのときそのときに揺れ動く自分の心が、わずらわしい。


 どこへ行くというわけでもなく、ギデオンはフルールの城から出て、都市壁外の海岸でぼんやりと海を眺めていた。


 もはやそこに竜はいない。現れることもない。

 象られていた竜は、いま大きな海に溶けてかたちを失っている。


 俺の決意も同じだ――いや、このままでは同じになる。


 そう思うと、ギデオンはもう一度心の中に、暗い執念の炎を灯した。



 ※



 『苦痛の腕』で握った即席の掘削道具が妙な感覚を伝え、スカーは眉をひそめた。


 ずっと格闘していた石がぼろぼろと崩れ、その先にあるべき抵抗がなくなる。


 この地下牢を抜け出すために壁の奥を掘り始めてからというもの、進行方向にずっとあり続けた障害物――それは最初石であり、次に土に変わり、また石に変わったが――ともかくとして、スカーがずっと挑みかかっていた壁が突如としてなくなったのだ。


 その先に現れたのは空洞だった。


 スカーは唖然としながら、出来上がった穴の向こうに『腕』を伸ばして周辺をまさぐった。

 まず腕が触ったのは、まっ平らな石の床だった。さらにその先に、ひんやりとした流水の感触を得て、ついに目的が果たされたことを悟る。


 気づくと、スカーは傷のある顔を大きく歪めていた。

 

 やった……ついに地下水道に辿り着いたのだ!


(ああ、何てことだ、メニオール。ついに導火線に火がついちまったぜ……だから俺を殺しておけとあれほど言ったのに……)


 スカーは喜びに溢れながら、メニオールの美しい顔を思い浮かべた。

 閉じ込められて一月以上が経ち、もはや昼夜の感覚はなかったが、スカーにとっては毎日メニオールの顔を見ることが一日の始まりだった。


 しかし昨日に一度顔を出してから、メニオールはずっとこの家に帰ってきていない。


(あんたはいまどこにいる? 俺に探してほしいのか?)


 もうすぐ日の当たる場所で彼女と会えると思うと、興奮でおかしくなってしまいそうだ。

 とはいえ、まだ穴は人間一人が通れるほどの大きさには広がっていない。


 舌なめずりして、今度はその幅を広くする作業に取り掛かる。スカーは四本の『苦痛の腕』を操作し、燃え上がる執念の炎とともに、さらなる掘削を開始した。


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