憑依術師
大慌ての様相で伝令に走ろうとするゴブリンの一人を、ギデオンは呼び止めて制止した。
「ど、どうかされやんしたか、ギデオンさま?」
「さっきあんたは、ウィンゼにノズフェッカの問題と言っていただろ? 鉱山の奥で起こった水難の他にも、何か問題があるのか?」
「ああ……それでございやんすか」
彼は目を逸らし、もごもごと口ごもった。
「た、大した問題ではございやせん。リルパや、リルパのアンタイオにお聞かせするようなお話では……」
「いいから教えてくれ。俺はあなた方の助けになれるのなら、何だってするつもりだ」
「な、なんと崇高な精神をお持ちでございやんしょう! やはり、このお方を選んだリルパの目に狂いはございやせんでした! 流石はリルパ――」
「それはいいから。問題を教えてくれ」
またリルパ称賛を始めそうだったゴブリンを、ギデオンは遮った。
「それが、その……自殺が多発しているのでございやんす」
「自殺?」
「ええ。それまでずっと何事もなく生活していた小鬼が、突然狂ったようになって自殺するのでございやんす。それで、いま街には目に見えない悪魔でも潜んでいて、その悪魔が取り憑いて小鬼を発狂させているのではないかと噂されておりやんして……」
「悪魔憑きか……そう見えるものには色々なパターンがあるが、実際に超常なるものが取り憑いていることは少ない。大体が、魔物や人の魔法だ」
ギデオンが言うと、そのゴブリンは口をぽかんと開けた。
「魔法? 悪魔憑きは魔法でございやんすか?」
「そうとも。俺たちの世界ではわりと一般的だ」
「で、ではその魔法を使う魔物の正体を恐れながら申し上げやんす! 黒い犬でございやんすよ!」
ゴブリンは身も世もないとばかりの調子で、ギデオンに言い募った。
「黒い犬?」
「シャルムートさまが飼う犬でございやんす! その犬が現れるところで、『悪魔憑き』は起こるのでございやんす! 昨日も、町長の娘がその呪いにかかって亡くなりました……」
呪いと聞いて内心ギクリとしたが、ギデオンは冷静な態度を崩さなかった。
「呪いだと? その犬が呪いをかけるのか?」
「絶対にそうでございやんす! 黒妖犬と呼ばれる魔物でございやんすよ! 死のそばにいるという犬! あれはただの犬ではなく、きっとブラック・ドッグに違いありやせん!」
「そいつはまさか黒い大きな体で、赤い目をしているんじゃないか?」
「そ、そのとおりでございやんす!」
ギデオンはじっと考えた。
死のそばにいるという犬。黒く大きな体で、目が赤い。
思いつく魔物はたった一つしかなかった。
「黒妖犬……こっちでは、そう呼ばれているんだな。俺たちの世界では、多分その魔物は教会グリムというやつだ」
「教会グリム?」
「そうだ。死ではなく、マナを見とおす瞳を持った犬。その魔物と同じような瞳を持っている人間は瞳術師と呼ばれる貴重な存在で、彼らの瞳は輝きの瞳と呼ばれている」
「ブラック・ドッグは、誰かに死の呪いをかけるのではないのでございやんすか?」
「そうだ。死期の迫った人間は、身体から発するマナを大きく乱す。教会グリムは、見慣れないマナの動きに興味を示して近寄ってくるんだ。だから彼らが死のそばにいるという表現も、あながち間違いというわけじゃないんだが」
「しかし……」
そのゴブリンは、口をへの字に曲げている。
「それでは、悪魔の正体は別にいるということでございやんすか?」
「そうだな。悪魔憑きの原因の多くは、さっきも言ったように何者かの魔法である可能性が高い。もちろん各々の魔法の細部は異なるのだろうが、人間の使うものだけに限って考えると、それは憑依術師として大別されるやつらの使う魔法だろう」
「憑依術師……でございやんすか?」
「ああ。やつらは、他の生物の魂を自分に降ろしたり、逆に己の自我を他の生物に植え付ける力を持っている。そして、その生物の身体を乗っ取って操るんだよ」
「自分の自我を……植え付けて……操る……ああ、そんな! では、小鬼たちは操られて自殺していたのでございやんすか? いや、自殺させられていたと?」
「それは考えにくいな。発狂したものが自殺するんだろ? 普通に考えると、身体を操られて他の生物の生命を奪ってしまうとか、そういうかたちになるはずだ。憑依術師と憑依対象である憑代は一心同体なんだよ。自殺などすれば、憑代の苦しみを術者も味わってしまうことに……」
そこまで言って、ギデオンはピタリと言葉を止めた。
「どうかされやんしたか、ギデオンさま?」
「……その犬はシャルムートの犬と言ったな?」
ギデオンは、物事が一つに繋がってきたと感じた。
マナで構成された、目に見えない魔法生物……。
マナを見とおす目を持った教会グリム……。
そして、この街で起こっているという悪魔憑きの噂……。
――俺は生き物の苦しみを味わわなければ落ち着かない。
――楽しい楽しくないじゃない。それは俺にとって必要なことなんだ。それに、小鬼を痛めつけるんじゃなくて、俺が苦しむのさ。どうしても、そのための身体が必要なんだよ……。
シャルムートが先ほど発した言葉の真意を理解したギデオンは、燃え上がる怒りで頭が沸騰しそうになった。
「……あの被虐主義者め……報いを受けさせてやる」
「え?」
「……話をしてくれてありがとう。あなたは他のゴブリンたちと同じように、海近くにいる者を避難させてくれ」
ギデオンはそのゴブリンの背中をそっと押した。もうゆっくりと話をしている段階は終わった。ここからは、事態を収束させるために急がなければならない。
ゴブリンが力強く頷いて走っていくのを見届けてから、ギデオンはリルパに目をやった。
「君は海へ行って、そこで妙な動きがないか見張ってくれ。とはいえ、ウンディーネは別にとりわけ異常な個体というわけじゃなかったらしい。精霊を怒らせたとか言って悪かった」
「そうなの? ウンディーネは怒ってないの?」
「ああ。ある意味では、ウンディーネも被害を被った側だ。そして、まだ力を利用される恐れがある。この街で水の怪物に対抗できるのは、君しかいない」
「ギデオンは?」
「俺は正常なウンディーネなら相手にできるが、操られていれば無理だ。力だけでの解決は好ましくないが、力でしか物事を解決できないときもある」
そう言いながら、ギデオンはリルパをじっと見つめた。
「君がこの街の人々を守るんだ」
「ギデオンはどうするの?」
「シャルムートに話をつけてくる」
自分の考えが正しければ、この街で起きている全ての問題は、あの男によって引き起こされている。
「それに、俺がいても君の邪魔になるだろ?」
「そんなことない……一緒にいたいけど……」
リルパは消え入りそうな声でそう言って、またロゼオネの身体にさっと隠れてしまう。
「この街の人々を守る? 旦那さまはいま、そう言いなんしたか?」
そのとき、ロゼオネが不思議そうな声を出した。
「そうだ。これから、この街では一人としてゴブリンの犠牲者を出してはならない」
「……一人として……はあ、やっぱり旦那さまは変わっておりんすねえ」
しかし怒りで燃え上がるギデオンには、ロゼオネの言葉を深く考える余裕がなかった。
 




