ウンディーネ
結局リルパによって、ウンディーネの住みついていた湖は、鉱山の奥にできていた空洞ごと埋め立てられてしまった。
ギデオンは、いまの神がかった力に半ば絶望的な気分になったまま、他の者たちとともに空洞前の広場に戻った。
「……そう言えば、水は竜にならなかったね」
ぽつりとそう言うのは、当のリルパ。
「きっとリルパの力を前にしては、竜になる暇もなかったのでございやんす!」
「……あれはウンディーネだ。竜になんてなるわけがない」
ギデオンは、嬉々として騒ぐウィンゼに釘を刺した。
「ウンディーネ?」
「水の精霊だ。身体がマナで出来た魔法生物だよ。特定の水辺に住みつき、さっきのような力で水を操る」
「はあ、魔法生物でございやんすか」
「そうとも。精霊は通常目に見えないものだから、神々の力だとか何だと言われて、神聖視されやすい。きっとあそこが遺跡のようになっていたのは、過去の誰かがウンディーネを神か何かだと勘違いして奉ったんだろう」
「目に見えないものなのに、それを生物と呼べるのは不思議な話でありんす」
今度は、ロゼオネがそう言った。上げ足取りの皮肉というよりは、純粋に興味を覚えている様子だ。
「見える者もいるんだ。例えば、輝きの瞳という特殊な瞳を持つ瞳術師とかな。彼らはマナを見とおすことができるから、マナでできた精霊も見ることができる」
ギデオンは、この場にミレニアがいればどれだけ助けになっただろうと思って肩をすくめた。
「そういう人たちによって、色々な精霊が発見された。水の精霊のウンディーネもそうだし、あとは火の精霊のサラマンダー、風の精霊のシルフ、土の精霊のノーム……」
「――ノームは知ってる! フレイヤが話してくれるから!」
ノームという言葉に、リルパが弾かれたように反応した。
「ノームはフレイヤのことが大好きなんだって。だから、いつもフレイヤの身体の周りを飛び回ってるみたい」
「精霊は本能で生きる魔法生物で、そこまで知能が高くない。フルールの身体に溢れるマナに引き寄せられているのかもしれないな」
言いながらギデオンがリルパに目を向けると、彼女はハッとした表情になり、すぐにロゼオネの身体を引き寄せて盾にする。
「リルパ。いま、旦那さまと普通にお話しできておりんしたよ? ずっとその調子で頑張ればいいのでありんす」
「……だめなの。いいからそばにいて」
「旦那さまはリルパに助けられてきっと感謝しておりんす。ねえ、旦那さま?」
「……え? あ……まあ……」
ロゼオネの問いかけに曖昧な返事を返すと、リルパはまたカァっと顔を赤くする。
先ほど、山中の地形を変えてしまうほどの力を放った怪物らしくない行動を見て、ギデオンは複雑な気持ちになった。
一度コホンと咳払いして、話を戻す。
「……とにかく、精霊というのは知能が高くない生物なんだ。ウンディーネも、竜のかたちに水を変化させることなんてできないはずだ」
「しかし、現にいままであの湖に現れたランページ・リキッドは、竜のかたちをしていたのでございやんす……」
「ずっとか?」
「え?」
「いま俺たちの前に現れた水の塊は竜のかたちをしていなかっただろ。あなた方は、常に竜のかたちをした水に襲われていたのか?」
「い、いえ、言われてみるとそういうわけではございやせん……確かに、水が竜のかたちになるのはまれでございやんした。しかし竜になったときの力は、先ほどのような単なる水塊のときとは比べ物にならぬほど強いのでございやんす……」
ウィンゼはあたふたしながら、説明を続けた。
「ですからわたくしめどもは、あれがランページ・リキッドの本気のようなものではないかと思っていたのでございやんす。あの魔物の真の姿こそが、竜であると……」
「では、特殊なウンディーネということなんだろうか? 人と同じように、彼らにもきっと個体差があるだろう。知恵を持つ精霊というのは、なんともゾッとする話だが……」
「どちらにせよ。もはや水の魔物は打ち負かしたのでありんしょう? リルパが住処を埋めてしまいなんしたから」
「そういうわけでもないぞ。ウンディーネは住まいを失っただけだ。好みの水源を失ったというだけで、この街の近くには他にも膨大な量の水がある」
「まさか、海でございやんすか……?」
ウィンゼが、表情を暗くする。
「そうだ。知能の高い精霊なら、きっといまごろ自分の身に起きたことを理解していることだろう。侵略を受けたとな。その反撃のために、海水を利用しようとしてもおかしくない」
ギデオンの言葉を聞いて、顔をしかめたのはロゼオネだった。
「旦那さま、そういう言い方はなさんす! まるでリルパが悪いことをしたような言い方でありんす! これはあくまで、この土地の小鬼たちのためを思ってやったことでありんすよ?」
「力で物事を解決しようとするからだ。俺は待てと言った。俺なら、ウンディーネを怒らせずに対処することができたかもしれない」
言ってしまってから、ギデオンは恐怖でさっと青ざめた。
まさか、リルパに表だって反抗の態度を示してしまうとは……。
しかし当のリルパはおろおろした様子で、ロゼオネにごにょごにょと何かを囁く。
「……旦那さま、リルパはどうしたらいいのかと聞いておりんす」
「……え?」
「自分のやり方が間違っていたと。怒らせてしまったウンディーネを大人しくさせるには、どうすればいいのかと聞いておりんす」
これには意表を突かれた。ギデオンは、てっきりまたリルパが怒ると思っていたからだ。
(わけがわからない……急に怒り出すかと思えば、いきなりしおらしくなったりする。本当に、ころころと表情を変える天気のようなやつだ……)
ギデオンは扱い方のわからない怪物に戸惑いながら、何とか声を絞り出した。
「……通常の場合、ウンディーネの対処法は、別の水源に導いてやることだ。人里離れた場所まで連れて行き、そこを新しい住まいとさせる。この地のウンディーネが普通のやつなら、海に出れば、おとなしく波の流れに乗ってどこか遠くへと去っていくだろう。しかし、何かに対して怒りを覚えられるほど知能の高い個体が、どう動くかはわからない……」
「ひとまず、街に戻った方がいいのではありやせんか……?」
ウィンゼの提案に、ギデオンは強く頷いた。
「そうだな。そうすべきだ。ウィンゼ、急いで帰りのトロッコを準備してくれ」
ウィンゼは、焦燥した表情でトロッコに駆け寄っていく。
それから彼に続こうとしたギデオンの服を、リルパがぐいと掴んだ。
「なっ……!?」
思わず目を剥く。
リルパは、上目づかいでおずおずとギデオンを見上げていた。
「……ギデオン、怒ってる……?」
「お、怒る? 俺が……? なぜ……?」
むしろ、怒っているのはお前の方じゃないのか。
その言葉は、流石に飲み込む。
「だって、わたしのせいでウンディーネは怒っちゃったんでしょ……?」
「いや、それはわからない……それをこれから確かめるところで……と、とにかく手を……」
「……え?」
「ふ、服から手を離してくれないと……その、動けない……早く街に行かないと……」
ギデオンはリルパを絶対に刺激してはいけないと、腫物に触るような態度で、こちらを拘束してくる彼女の手に触れた――。
――途端に、リルパは凄まじいスピードで腕を引っ込める。
その動きを視認することはできなかった。気づいたときには、ギデオンの服を掴む彼女の腕が消えていたのだ。
何が起こったかわからず、ただ痛覚に従って自分の手に目をやったところ、指に摩擦で焦げ目がついているのがわかった。
……ゾッと総毛立つ。
一方のリルパは、湯気でも出そうなほど顔を真っ赤にしている。
「……はあ、お二人はどこか噛み合っていなさんすねえ……」
鉱山の広場に、呆れ返るようなロゼオネの言葉が響いた。




