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監獄ダンジョンと追放英雄  作者: ゆきのふ
ノズフェッカと水の竜
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黒妖犬

 ノズフェッカに来たからには、温泉に入らなければならない。


 城のメイド長ペリドラを長々とした交渉の末何とか説き伏せ、小分けのグループでノズフェッカに繰り出したメイドたちの第一陣は、レーテ、テヴニ、ユーフル、ウェルナの四匹だった。


「おお、懐かしのノズフェッカ!」


 そう叫ぶのは、ノズフェッカからペッカトリアに出稼ぎに赴いているレーテだ。

 彼女の家族はこの街で一般的な漁業を営んでおり、温泉宿に新鮮な魚を卸している。その伝手もあって、レーテはいくつかの宿主と知り合いだった。


 レーテの提案で海近くの露天温泉宿に白羽の矢を立てた一行は、いま急こう配なノズフェッカの街を登っていた。


「ああ、しんどいでありんす……こんなところはわっちのような育ちのいい小鬼にとって、過酷な環境以外の何物でもなさんす……」

「まっことそのとおりでありんす……レーテが粗野で図太いのは、こんな街で生活していたからに違いなさんす……」

「そう言えば、ペリドラもレーテにはあまり小言を言いなさんす……育ちの悪いじゃじゃ馬には、何を言っても無駄と思っているからでありんす……」


「失礼なことを言いなさんす! ペリドラがわっちに小言を言わないのは、わっちが勤労を愛する従順な小鬼だからに決まっておりんす!」


 好き勝手に言う三匹に向け、レーテは怒鳴り声を上げた。


「ほら、早く坂を登りんす! いたいけな女子おなごの真似事など、やめなんし! ペリドラに見出されたお前たちがこんな坂をものともしないことなど、とっくにおみとおしでありんすよ! ここを越えれば念願の温泉はもうすぐそこでありんす!」


 真っ先に坂を登り切ったレーテは、さっと振り返って、とろとろ坂を歩く三匹を上から叱咤した。


 視線を少し上げると、山の下に広がる青い海の光景が大きく開けている。

昔はこの光景が当たり前だったのだが、久しぶりに帰ってきてこうして故郷の風景を前にすると、何やら郷愁の念のようなものが沸き立ってくる。


「おや、レーテ? お前さん、レーテじゃないかい?」


 そのとき近くを通りかかった小鬼が、レーテに声をかけてきた。

 驚いて彼の顔をまじまじと見ると、それがレーテの家の近所に住んでいた老小鬼だとわかった。幼いころ、とても可愛がってもらったことを覚えている。


「――ああ、じっちゃん!」

「あ、やっぱりレーテか! 大きくなったのう!」

「じっちゃんは変わらんねえ」

「お前さん、いまはフルールさまの城勤めじゃなかったのかい? お前さんのとこの親父が、いっつもお前さんを自慢してうるさいのなんの!」


 そう言って、彼は快活に笑った。


「今日はちょっと用事があって、この街に帰って来とるんよ。リルパの用事やけん、あの子も一緒に来とるんよ?」

「な、なんじゃと、リルパが!」

「うん、いまはお付きの小鬼と、あとは大事な旦那さまとこの街のどこかにおるはずよ。会いたけりゃ、探してみりゃあええ」

「そうかい、そうかい。ほんじゃ、法事が終わったら仲間内で探してみるかのう」


 そう言って、彼は手に持つ花を持ち上げた。

 白いその花は、亡くなった者への選別としてこの街でよく使われる風習がある。


「じっちゃん、誰か死んだん?」

「町長とこの娘がなあ。それまでそんな素振りを見せてなかったのに、突然自殺しおったんじゃ。噂じゃ、黒妖犬(ブラック・ドッグ)の仕業じゃなんて言うやつもおるがのう」

黒妖犬(ブラック・ドッグ)?」

「死のそばにおる黒い犬の魔物じゃ。そいつに魅入られたやつは、生命を吸われて死んでしまうんじゃと……」

「そんな物騒な犬が、この街に出るようになったんかいな?」

「いや、別にこんなもんは根も葉もない噂じゃ。ワシは信じとらん。あの方の飼っとる犬が、黒くて大きいというだけのことじゃよ」


 老小鬼は、肩をすくめた。


「あの方? あの方って誰なんよ?」

「シャルムートさまじゃ。二年ほど前にペッカトリアから来られた囚人さまじゃよ」

「ああ、あの……」

「あの方の犬は、飼い主に似ておとなしい気性をしとるわい。じゃが、吠えもせずただ赤い目でじっとワシらを見つめるもんじゃから、それを不気味に思うやつもおるんじゃ。とんでもない不敬というものじゃが」

「その囚人さまのところに、いまリルパは行っとるかもしれんねえ」

「そうかい、そうかい。そんじゃ、あとで行ってみるよ。ありがとな、レーテ」

「うん、じっちゃん、またね」

「仕事も大事じゃが、たまには家に顔を出してやれよ。親父さんもきっと喜ぶからのう」


 それを聞いて、レーテは少しバツの悪い思いをした。いまは仕事ではなく、遊びに来ているからだ。


「あとで寄るけん、大丈夫よ」


 別れの挨拶を交わしてから、老小鬼はぺたぺたと素足で地面を歩いて行く。

 靴を履かないのも、彼が古い時代を生きた小鬼である証拠だ。昔は、装飾品で身体を飾ったり守ったりするという文化がなかった。

 彼らがこだわりを持っていたのは、リルの真似をした赤い化粧だけだったと聞いている。


「……レーテ。いま話していたのは誰でありんすか?」


 ようやく坂を登ってきたテヴニが、はあはあとわざとらしく肩で息をしながら、訊ねてくる。


「え? ああ、いまのは昔、近所に住んでたじっちゃんなんよ」

「あ、訛った! いまレーテが訛ったでありんす!」


 この場所特有の言葉づかいを聞き逃さず、今度はユーフルが騒ぎ立てた。


「やっぱりレーテは粗野な小鬼でありんす! 言葉づかいは淑女の嗜みとペリドラもずっと言っておりんす!」


 遅れてきたウェルナが、さらにそれに追従する。


「う、うるさい! いまのはちょっと気が緩んだだけのことでありんす!」

「はあ、これはみんなで共有すべき情報でありんす! わっちの口は大きく、とても閉じていられなさんす! ――でも、温泉まんじゅうを放り込まれれば話は別でありんす!」

「あ、わっちもまんじゅうが食べたい!」

「レーテのおごりでまんじゅうが食べたい!」


 口々にたかり口上を述べ始める三匹の小鬼を前にして、レーテは溜息を吐いた。


「わ、わかりんした。まんじゅうをおごるから、このことは黙っていなんし……?」


 ひとまず下手に出ながらも、もし今度この三匹の故郷に立ち寄るような機会があれば、きっとこの仕返しはしてやろうと、レーテは強く決意した。


 それから、レーテはまた三匹を連れて道を歩き出したが、何か変わったものを見つける度に騒ぎ立てる三匹はこの上なくうるさかった。そこでレーテは、先ほど老小鬼から聞いた怪談話をして怖がらせてやろうと思った。


「そう言えば、この街には怪談がありんすよお……」

「何を言いなんす? 言われなくても、階段なんてそこらじゅうにありんす」

「その階段じゃなさんす! 怖い話の方! 黒妖犬(ブラック・ドッグ)という噂でありんすよお……」

「ブラック・ドッグ? あそこにいるような犬のことでありんすか?」


 テヴニが急こう配の階段の上を指差している。

 怪訝に思って、彼女の示す先を見たレーテは、そこにいる生き物を見て腰を抜かしそうになった。


 真っ黒で巨大な犬……。

 体高は、小鬼の背丈くらいはあるだろうか。その犬は、真っ赤な目でレーテたちの方をじっと見下ろしていた。


「レーテ、あの犬がどうかしなんしたか?」

「い、いや、あれはシャルムートさまの犬でありんすよ……ただの犬でありんす……」


 心臓が、ばくばくと早鐘を打っている。


 ――そいつに魅入られたやつは、生命を吸われて死んでしまう――


 先ほどの老小鬼の言葉を思い出して、レーテは背筋が冷たくなった。


 本物のわけがない。

 あれが、黒妖犬(ブラック・ドッグ)であるわけがないのだ。


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