変貌
巨大な花の化け物に捕えられたラーゾンは、じっとりと冷や汗をかきながら、場に残った二人を観察していた。
ガキにしか見えない犬耳の男。確か、ハウルとか呼ばれていた。
あとは、ミレニアと名乗った黒髪の女だ。こっちも、年端のいかない少女にしか見えない。
自分が何を口走ってしまうかわからず、口を開けない。というのも先ほどから、考えてもいない言葉ばかりがでてくるのだ。
付与魔法?
操られている?
先ほどこいつらがしていた会話から、自分の身に起こったことを整理しようと思ったが、さっぱりわからなかった。
そもそも仲間内にそんな力を使えるやつはいない。一緒に来ていたスカーが一番可能性としてありそうだったが、彼の魔法はそんな器用な真似はできないはずだ。
(まさかあのクソ野郎、まだ魔法を隠してやがったのか……?)
自分にしか扱えない固有能力――それが魔法だ。
応用の利かない魔法や、知られていない方が効果を発揮しやすい魔法の術者は、自分の魔法効果を隠す傾向がある。いざというとき、それが最後の拠りどころとなるのだから。
スカーは人を操ることができたのだろうか? そして、それを隠していた……?
思えば彼はそこまで大きな男ではない。単純な筋力などもラーゾンの方がよほど強そうだ。にもかかわらず、彼は何十という人間を殺した。
ラーゾンは青ざめながら、ちらりと自分の右肩を見やった。
そこは先ほど新入りたちの前に姿を現す前にスカーに触られた場所であり、このミレニアという女の話では、べったりと付与魔法がついているという場所だった。
(もし、あのクソ野郎のスカーが俺を操っていたとしたら……こいつは俺にとってこれ以上ないピンチじゃねえか?)
それは、彼が見切りをつけた瞬間に、ラーゾンは強制的に死を選択させられるかもしれないということだ。身動きは取れないが、舌を噛み切るくらいのことはできる。
しかももっと悪いことに、スカーがやらなくても目の前にいるハウルとかいうガキは、いますぐにでもラーゾンを殺したそうな顔で睨みつけていた。
そうだ、ここには凶悪な囚人しかいない……。
ハウルの横で借りてきた猫のように小さくなっているミレニアにしたって、こんな綺麗な顔の下にどんな本性を隠しているかわからない。
治療を受けていま横たわる五人の新入りだって、死んだ方がいい罪を犯してここに落ちてきたに違いない。
そして、極めつけはあのギデオンとかいう男だ。あいつはやばい。あんな化け物がいると聞いていれば、たとえドグマの靴を舐めてでも、この仕事から外してもらったってのに……。
(くそっ! 俺はいつだって損な役回りなんだ! 親、兄弟、仲間だと思ってたやつら! みんな俺に厄介事を押しつけやがる! 俺は何も悪いことをしてねえってのに!)
「おい」
そのときハウルが不機嫌そうに眉をしかめ、ラーゾンに声をかけてきた。
「さっきからこっちをジロジロ睨みやがってどういうつもりだ? てめえ、俺とは話す気がねえんだろ?」
「ま、待ってくれよ。俺はそういうつもりじゃ……」
途端にラーゾンは弱気になった。しかしすぐに、自分が普通に話せるようになっていることに気づいて、ハッと息を呑む。
そんなラーゾンの戸惑いに気づかない様子で、ハウルは不快そうな顔を近づけてくる。
「……ここにはいま、あの鬱陶しいギデオンはいねえ。俺は身動きできねえてめえをなぶり殺しにすることだってできるんだぜ?」
「お、俺は犬と仲がいいんだよ……きっとあんたとも仲良くやれる……」
「残念ながら俺は犬じゃねえ、狼だ」
「そ、そうだと思った! あんたはあいつらと明らかに違う……気品とか、高貴さっつうのかな、へへへ……」
「あの三頭犬を『芸術品』とかほざいてたじゃねえか、このコウモリ野郎が!」
「あんなもん失敗作だよ! 俺はもっとすごいキメラを作れる! それこそ、狼と何かを混ぜたキメラをあんたにプレゼントしたっていい!」
「……キメラだと?」
ハウルが眉をピクリと動かした。
「そ――そうさ! 興味あるかい? 俺はキメラを作れるんだ! あの三頭犬だって、その辺にいる犬の魔物を集めて作った! それが俺の魔法なんだ!」
「……キメラだと?」
同じ言葉を繰り返すハウルの表情に、今度は明確な憎悪が宿っているのに気づき、ラーゾンは激しく動揺した。
「え……な、何か俺が悪いことでも言ったかな、兄弟……?」
「……ラーゾン、そういや、てめえ最初に聞いたよな?」
「――え?」
「俺が何をしてここに落ちてきたかってよ。知りたきゃ教えてやるぜ。てめえみてえな下衆野郎をぶっ殺して回ってたのさ。生命を生命と思わねえ、薄汚ないクズどもをな……!!」
一瞬、ハウルの瞳の奥に炎が宿ったかのようだった。彼はすっと手を伸ばし、ラーゾンの首筋に手をやった。
「俺の魔法は、物を爆発させることだ。いまからお前の喉を破壊する。せいぜい苦しんで死ね」
「ま、待っ――!!」
命乞いをする間もなく、自分の喉からパンッ! と小気味良い音が響いた。
喉から血が噴き出し、あまりの痛みに絶叫する――が、声は出てこない。
息を吸うことができず、ラーゾンは依然として締めつける力を緩めない触手の中で、必死になってもがいた。
瞼の奥から涙がとめどなく溢れ、憎々しげな顔をするハウルが歪む。
(ちくしょう、死ぬ! 死ぬぞ! 俺は何も悪くねえのに! こんなもん、全部めぐり合わせの問題じゃねえか! 誰も俺を理解しようとしない! 俺を理解してくれるやつがいれば、こんなところに落ちることもなかった! あのデブが俺をこんな役に選ばなければ、こんな目に遭うことはなかった!)
ラーゾンには夢があった。
キメラの到達点。キメラを作ることのできる人間なら、だれしも思い描く理想。
――人間を使ったキメラの作成。
だが、ついにそれを試す機会は訪れなかった。びびってしまったからだ。それをしてしまうと、人は人の枠組みを外れる。
それは作り上げたキメラだけでなく、術者もそうだ。
ラーゾンは人として、人よりも程度の低い動物たちを愛でるのが好きだった。なのに外道となり、あの畜生どもと同じところまで落ちる必要がどこにある?
しかし、自分を褒めてやりたくなるほど強烈な自制心で己を律すれば律するほど、人間を使ったキメラを試したいという欲望は膨れ上がった。
にもかかわらず、だ。
その果てなき夢と、理性的な現実との間で葛藤し続ける中、自分は死ぬ……。
選択の機会が失われる。ただ、めぐり合わせが悪かったせいで。
世界が自分に微笑んでくれなかったせいで。
そのとき、ふと思った。
あれ――と。
――キメラの作成には、生きている素材と素材の肉を合わせ、そこに魔法で蓋をしてやればいい――
バラの魔物が分泌した気色の悪い粘液に服を溶かされ、ラーゾンは皮膚にひりつきを感じていた。
(ああ、ちくしょう、何てめぐり合わせなんだ! 俺で試せって言うのか? この世界はどこまでも――)
自分はもう、人間として死んだ。目の前にいる、クソったれな犬ころに殺されたのだ。
だからこれは、全部こいつのせいだ!
(この世界はどこまでも狂ってやがる! 人の生命を何だと思ってやがんだ!)
ラーゾンは薄れゆく意識の中で、夢を選び取った。それは、彼が『人間』として行った最後の選択だった。