三つの商会
ギデオンがいざシャルムートの屋敷に踏み込もうとしたとき、入り口の扉から屈強な体格のゴブリンが出てきた。
彼は悄然とした様子で俯いていたが、ここまで案内役を任せていたゴブリンがそこにいるのを見て取ると、途端に怪気炎を上げた。
「――貴様あ! またシャルムートさまに袖の下を持ってきたのか!」
屈強なゴブリンはそう叫び、案内役のゴブリンに掴みかかった。
「な、何を言うのだ! いい加減、その馬鹿な考えを捨てろ! 俺たちはあの方に賄賂など渡しておらん!」
「とぼけるなよ! ならばどうして、シャルムートさまはあの化け物をそのままにしておくのだ! お前たちが手心を加えているからだろう!」
「ま、待て、ひとまずちょっと落ち着け! 貴様はリルパの前で醜態を晒そうと言うのか?」
「はあ? リルパだと……?」
と、怪訝そうに周囲に意識を向けたそのゴブリンは、そこに白髪の少女がいるのを見つけると、驚愕にクワッと目を見開いた。
「――ええええええええ!? リルパああああ!?」
「ほれえ、見たことか! ほれえ!」
「ど、どうしてリルパがここに!?」
しばらく、シンとした沈黙があった。
「……彼女はここの問題を解決しにきた」
いつまでもその問いに答える者がいなかったので、ギデオンは仕方なく一歩前に踏み出して答えた。
すると慌てふためいた様子のまま、屈強なゴブリンはこちらの足元を見る。そこに足輪がないのを確認した途端、彼はまた目を見開いた。
「ま、まさかあなたさまは、ペッカトリアから来られた囚人さまでございやんすか!?」
「そうだ。リルパとともに、先ほどこの街に到着した。名はギデオンという」
「おお、何と素晴らしい巡り合わせか! やはりリルは、わたくしめどもを見捨ててはいなかった!」
彼はガバッと平伏し、地面に頭をこすりつけた。
「ギデオンさま! どうか、どうかわたくしめの商会をお助けください! このままでは商会の小鬼全てが路頭に迷うことになってしまいやんす……」
「わたくしめの商会?」
「申し遅れやんした。わたくしめの卑しい名はウィンゼ! ブラントット商会の代表を務める小鬼でございやんす……」
ブラントット商会の名前に、ギデオンは覚えがあった。造幣所を取り締まるゴブリン、ニンガケに教えてもらった三つの商会の中に、確かその名前があったはずだ。
つまりは、ミスリルの大口取引先の一つということ。
「いま、助けと言ったか?」
「恐れながら、申しやんした。それは、とても困窮した問題なのでございやんす。我々の山で水の怪物が暴れて、どうにも手をつけられやせん……」
それを聞いて、ギデオンは案内役のゴブリンに視線を移した。
「どういうことだ? あなた方は先ほど、俺たちが助けに入ろうとするのをあまり歓迎していない様子だったが……」
「ああ、そ、それは……」
「その者たちは、我々とは別のレダースト商会に所属する小鬼なのでございやんす! いわば競争相手の一つということでございやんして!」
パッと顔を上げたウィンゼは、そばに立つゴブリンを非難するように言った。
そう言えば、レダースト商会もメモの中にあった名前だ。
「……なるほど。よくよく考えれば当たり前の話だが、ゴブリンたちも一枚岩ではないというわけだな」
「競争はもちろん必要でございやんす! しかし、それはあくまで公明正大に行われなければなりやせん。にもかかわらず、レダースト商会は、我々を卑劣な手で貶めようとしているのでございやんす!」
「ば、馬鹿なことを言うな! 俺たちは卑劣な手など使っていない! お前たちがランページ・リキッドを掘り当てて自滅しただけだろう!」
「黙れ! 偉大なるシャルムートさまが、ペッカトリアに助けを求めるのをお前たちが阻止しているくせに!」
「そんなことはしていない! ……ああ、ギデオンさま、この小鬼は被害妄想に取りつかれておりやんす。わたくしめどもは、日ごろから小鬼らしく振る舞っているだけでございやんす。すなわち、毎日の糧を得るために勤労に努めておりやんす」
彼らの言い争いを聞いているうちに、段々と事態が呑み込めてきた。
どうやら、この街にはいくつかのゴブリンの勢力がある。そして、生じたトラブルを困って取り除きたいと思う者もいれば、そのままにしておきたいと思う者もいる。
彼らは上役である囚人のシャルムートにそれぞれの立場から働きかけ、その結果、いまのところ問題は放置された状態を保っていると。
ギデオンはここまで案内してくれたゴブリン――すなわち、魔物放置派のレダースト商会の彼に語りかけた。
「あなた方がライバル商会を追い落とすために何もしていないというのなら、俺たちがそのランページ・リキッドとやらを取り除くことに問題はないな?」
「そ、それは……」
「問題はないはずだ! 問題はないはずだ!」
魔物排除派のゴブリン、ウィンゼは喜色満面でそうはやしたてている。
「わ、わたくしめはもちろん構いやせんとも。しかし、全てはシャルムートさまがお決めになることでございやんすから……」
「では、シャルムートが許可を出せば文句はないということか?」
「もちろんでございやんす……正直を言うと、ブラントットがもっと苦しめばいいと思いやんすが……囚人さまが救済をお望みとあらば、わたくしめどもは従うまででございやんす」
「なに!? 俺たちが苦しめばいいだと!? 本性を出したな、レダーストの犬め!」
「黙れ、一番いい山を振り分けられるよう、先にシャルムートさまに心づくしを渡したのは貴様だろうが! そんなことをしているからしっぺ返しを食らうし、俺たちが同じことをしているなどと疑心暗鬼になるのだ!」
「う、うるさい! もっとも採掘技術に優れた俺たちが一番いい山を貰うのは当然だ!」
「聞いてくださいギデオンさま! わたくしめどもレダースト商会に与えられた山は海の底なのでございやんすよ! 海底鉱山なのでございやんす! わたくしめどもは、ずっと危険とともに海底からミスリルを掘り出しておりやんした! なのに、いまさら地底湖程度の水難事故でどうこう言い出すのは、フェアではないと思いやせんか!?」
どうやら彼らの問題も中々に根強いらしい。
「ま、まあ、とりあえずシャルムートに話を聞いてからじゃないとわからないし……」
ギデオンは詰め寄ってくる二人のゴブリンを落ち着かせようと、両手で壁を作ってそう言った。
「そう言えば、俺はこの街にミスリルを取り扱う大きな商会が三つあると聞いていた。あなた方二人は、それぞれレダーストとブラントットに所属しているゴブリンだとして……」
言いながら、メモを取り出して最後の一つの商会の名前を確認する。
「……ジルコニア商会というのは、どういう考えなんだ? やはり、他の商会が遅れを取るのは彼らにとってもありがたい話なのだろうか?」
「やつらは我々とは少し考え方が違っておりやんして。競争には我関せずといった態度を取っておりやんす」
「というと?」
「そこまで一生懸命に働いているようには見えやせん。雇い入れている小鬼の数もそこまで多くないようでございやんす。競争に勝つのを、早々に諦めているようにも見えやんすね。産出量も取引量も、我々の中ではずっと三番目でございやんす」
「ランページ・リキッドについて、どうこう言うやつらではないということだな?」
「ええ、そのとおりでございやんす」
「それだけわかればいい。ありがとう」
ギデオンが礼を言うと、二人のゴブリンは呆気に取られた顔になって、途端にまごつきだした。
「わ、我々のようなものに、そのようなお言葉をおかけするのはどうかと思いやんすが……」
「だ、黙っていろ、ウィンゼ! 先ほどから、ギデオンさまはずっとこうなのだ! きっと崇高なお考えがあるに違いない……」
「それじゃあ、俺たちは屋敷の中に行こうか」
ギデオンはひとまず二人のゴブリンをそのままにしておくと、ここまでずっと黙っていたリルパとロゼオネの方に向き直り、屋敷の扉を指差した。
するとリルパが、またロゼオネにごにょごにょと何かを囁く。
「旦那さまはいったいどうなされるつもりでありんすか? リルパは、この街の問題は複雑で解決は難しいと言っておりんす」
「片方を立てれば、もう片方が立たない。世の中に、そんなことはいくらであるだろ?」
ギデオンはまた皮肉を返した。
妹のオラシルとフルールの生命を秤にかけ、リルパはフルールを選び取ったではないか。
「お前が決めろ、リルパ。俺はそれに従うだけだ」




