ノズフェッカへの同行者
翌朝、城のベッドでうっすらと目を開けたギデオンは、昨夜の一件を思い出してすぐに飛び起きた。全身が、汗でぐっしょりと濡れている。
リルパの怒りを目の当たりにしてから、ずっと恐怖で激しい動悸に襲われていたギデオンが眠れたのは、昨日同様、明け方になってからだった。
あの後、意識を取り戻したペリドラには、こっぴどく小言を言われた。
「恋する少女の前で他の女性のことを口にするとは! 何という愚かな真似を!」
「……妹だぞ? どうして嫉妬なんてすると思う……?」
「リルパの中では、いま愛情の区別がついていないと言ったでありんしょう! 親愛も敬愛も慈愛も情愛も、すべて同じ! ならば、旦那さまの妹への思いに嫉妬するのも無理からぬことでありんす!」
ペリドラは、目を剥いてギデオンに詰め寄った。
「必ず! 必ず、あの子が帰ってきたら謝りなんし!」
「そ、そう言えば、あいつはどこに行ったんだ……?」
「気を失っていたわっちが知るわけなさんす! 大体、傷ついた乙女をそのまま行かせてしまうとは、旦那さまは殿方としての度量が足りなさんす!」
それは随分と理不尽な物言いに感じたが、周りでひそひそと噂をするメイドたちも、ペリドラと同じ考えのようだった。
「……旦那さま、なんて情けなさんす……ああ、可哀想なリルパ……」
「リルパは泣いていたそうでありんすよ……? せっかくの新婚旅行が台無しでありんす……」
「ちょっと待つでありんす……まさか、これで旅行が中止になったりはしなさんすよね……?」
「フレドゥを急がせるでありんす……!! 目的地についてさえしまえば、こちらのものでありんす……」
何人かは、まったく別の心配をしているようだったが……。
ずっと昨夜のことを考えていても何も始まらないため、ギデオンは大きく深呼吸して気持ちを落ち着かせると、ベッドから這い出した。
部屋を出て、廊下ですれ違ったメイドに朝の挨拶をしても、返事をした彼女の態度はどこかよそよそしい気がする。
とりあえず食堂に行き、そこに「旦那さまのお食事」という置手紙とともに用意されていた朝食をもそもそと平らげた。昨日にはいたはずの給仕のメイドはいない。
どうやら、この城での自分の評価は最悪になってしまったらしい。
(くそっ……俺だって別にこんなところに好きでいるわけじゃない。不服に思うなら、解放してくれればいいだけの話じゃないか……)
そんなことを考えながら立ち上がると、背後で物音が聞こえ、ギデオンは振り返った。
そこにはペリドラがいて――思わず息を呑みそうになったのだが、彼女の後ろにリルパもいるではないか。
「おはようございなんす、旦那さま」
「あ、おはよう、ペリドラ……あと、リルパ……」
するとリルパは頬を赤くしたまま、ぷいとそっぽを向く。
「寛大なるリルパは、旦那さまをお許しになると言っておりんす。しかし旦那さまには、リルパに言わなければならないことがありんしたね?」
ペリドラのそんな言葉にもかかわらず、リルパは相変わらず不平っぽい顔つきだったが、昨日のような圧倒的なプレッシャーを発するようなことはなく、どこかそわそわと聞き耳を立てている様子だった。
「す、すまなかった……俺が間違っていた」
心にもない謝罪をするのは、ギデオンのプライドを大きく傷つけた。とはいえ、力の差があり過ぎる。いまの状態で、まともにやりあって勝てる相手ではない……。
「ほら、旦那さまはご自分の非を詫びておりんす。リルパもこれでいいでありんすね?」
「……うん」
「ではこれで仲直りでありんす。さて、旦那さまにもう一度言っておきなんすが……」
ペリドラがギデオンに向き直り、また小言を言おうとしたとき――。
「……今日はわたし、ずっとギデオンと一緒にいるから」
ぽつりと言ったリルパの言葉に、ギデオンは驚愕し、ペリドラは狂喜した。
「な、何だと……!?」
「おお、それはすばらしい! 一緒にお出かけになるということでありんすね?」
顔を真っ赤にしたリルパは、無言でこくりと頷く。
「ギデオンはわたしと一緒にいれば、わたしの気持ちがわかるようになるの。おじちゃんもそう言ってたし……」
リルパはごにょごにょと言いよどみ、最後の方はほとんど言葉になっていなかった。
「……お、俺はペッカトリアのためにやらなければならないことがある。遊びに行くわけじゃない……」
「リルパがいれば、きっとお仕事も捗りんす。ノズフェッカの小鬼たちはリルパに会えたことに狂喜乱舞し、みな頭を垂れなんしょう! これ、誰か!」
ペリドラの招集を聞きつけ、また若いゴブリンが現れる。彼女は眠そうな目をしていた。
「なんでありんしょう、ペリドラ」
「リルパが外出する準備をいたしんせ。これから、旦那さまとお出かけになりんす」
「おお! ま、まさかお二人で? なんとすばらしい……」
「そう、今日はすばらしい日でありんす!」
関係者の一人であるギデオンの意向を無視したまま、ペリドラは着々と外堀を埋めていく。
「ふ、二人きりは無理! ペリドラも一緒に来て!」
「わっちにはこの城を守る使命がありんす。フルールさまがお休みなのでありんすから」
「じゃあ……」
おずおずと、リルパは近くのメイドを指差す。
「フレドゥを連れて行ってもいい?」
「彼女は徹夜でこの城を動かしなんした。これから眠るのでありんす」
「そしたら他の子を連れて行く!」
「はあ、まったく……わかりなんした。しかしあくまでその者に任せるのは、旦那さまとリルパがつつがなくお外で活動できるよう、取り計らうお手伝いだけでありんすよ?」
「それでいいから……」
ペリドラに訴えかけるような目をするリルパを見て、ギデオンは嫌な汗をかいていた。
リルパはどうやら、昨日の『怒りのリルパ』以前の彼女に戻ってしまったようだった。あれはやはり、激情で我を忘れてしまっただけだったのだろうか?
いま目の前にいるリルパは、ほとんどその辺にいる引っ込み思案な少女と変わらない……ただし、絶対に怒らせてはいけないという注釈つきの。
「……もうノズフェッカには到着したのか?」
どうせこちらの意向は無視される。そんな諦観を抱いたまま、ギデオンは訊ねた。
「ええ。外出されるときは防寒に気をつけなんす。五百キロ以上は北上しなんしたので、外は少し冷えなんすよ」
「あれからそんなに移動したのか……?」
それにしては、この空間はまったく揺れなかった。もちろん快適とは言い難がったが、それは心理的な圧力があったからに過ぎない。
「ですからこの城は竜車などより、よほど速いと言いなんした。フルールさまと他の囚人さまたちの英知の結晶でありんすから」
ペリドラがそこはかとなく胸を張る脇で、フレドゥがリルパの手を引いて連れて行く。
「さあ、リルパ。こちらに来なんし。とっておきのおしゃれを施すでありんす……」
「また顔に変な白いの塗ろうとしたら怒るからね」
「あれはお化粧と言って、フルールさまもよくやっていたことでありんすよ? リルパは子どもでありんすねえ……」
「子どもじゃないし」
「でも、安心しなんし。わっちが殿方を籠絡する手練手管を授けなんす……」
リルパと行動をともにする。
彼女たちのやりとりを見ているうち、ようやくその事実が理解できてきて、ギデオンはゴクリと喉を鳴らすのだった。




