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監獄ダンジョンと追放英雄  作者: ゆきのふ
暗殺者と蠢く陰謀
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ラグナ・カムイ

 ギデオンは膝を折って床に這いつくばると、懇願するように声を絞り出した。


「……リルパ! お前は俺のことが好きなのか?」

「……へ?」


 リルパはきょとんとしたあと、さらに顔を赤くしてペリドラの身体にさっと隠れた。


「し、知らない! そんなこと言われてもわからない……」

「聞いてくれ! 俺のことはどう扱ってもいい! お前のために生きろと言われればそうしよう! 俺の願いをたった一つだけ聞き入れてくれるなら、俺はお前の何にでもなる!」

「……旦那さま、急にどうされなんしたか?」


 ペリドラが胡乱気な様子で訊ねてきたが、ギデオンは止まらなかった。


「俺に象牙をくれ! たった一つでいい! それを手に入れるためだけに、俺はいま生きている!」

「象牙……? ギデオンは象牙が欲しいの……?」


 隠れていたリルパが、ペリドラの身体の向こうから少しだけ顔を覗かせる。


「そうだ! 俺がここに来たのは、その象牙を手に入れるためなんだよ……」

「……どうして? ギデオンも呪われてるの?」

「俺じゃない。俺の大事な人が呪いで苦しんでいる……彼女を助けたい」


「……彼女(・・)?」


 その途端、部屋の空気がひりつくのを感じた。目に見えぬ巨大な力が膨れ上がり、自分の身体を叩き潰すイメージが脳裏に浮かぶ。

 次の瞬間、全身から冷や汗が吹き出し、知らぬうちに呼吸が荒くなっていた。


「……へえ、ギデオン。女の人を助けたいの?」


 リルパの目が赤く光っている。

 そして彼女の身体に、あの赤い模様が浮かび上がってくる……。


 そのとき、リルパの横に座っていたペリドラが、ベッドから崩れ落ちて床に転がった。彼女は目を瞑ったままぜいぜいと呼吸し、すでに意識を失っているようだった。


 リルパを中心にして発散される「怒りの空気」としか思えない何かは、いまや周りの全てに強い影響を及ぼしている。


 とはいえ、なぜ……?

 なぜ、急にリルパは怒り出した……?


「……わたしよりも大切な女の人がいるんだ?」


 それが嫉妬だと悟るのに、ギデオンにはしばらくの時間が必要だった。


「ち、ちが……は、話を……」


 身体が震え、言葉を発そうとしても、喉から思うように音が出て行かない。

 話すという行為が、これほど難しいことだとは思わなかった。


「い、妹……いもう、と、を……」

「妹? ギデオンには妹がいるの?」

「そ、そうだ……か、彼女を……俺は……」

「救いたい?」


 言葉を引き取って続けるリルパに、ギデオンは何度も頷いて見せた。


「……そう。でも、わたしは救いたいと思わない」


 リルパは立ち上がり、悠然とギデオンの方に向かって歩いてくる。そこには、先ほどまでのおどおどした態度が一切見られなかった。


「象牙一つで、フレイヤの生命が一月伸びるの。その人の生命に、フレイヤの一月分の生命の価値なんてないでしょ?」

「……ふ、ふざけるな!」

「ふざけてなんてない。ふざけてるのはギデオンの方でしょ? だって、わたしにも象牙が必要なんだよ。ギデオンはわたしよりも妹の方が大事なの?」


 リルパはギデオンのそばまできてハッと顔を赤らめたが、もう引っ込みがつかなくなったのか、意固地になって唇を尖らせる。


「……ギデオンはわたしだけ見ていればいいの。そんな人のことはもう忘れて」


 そう言ってギデオンの身体にもたれかかると、首筋に鋭い歯を食い込ませてくる。

 なされるがままリルパに食事を提供する間、ギデオンは自分の考えが完全に間違いだったと思い知らされていた。


 この怪物には、やはり交渉というものが通用しないのだ。


 ペリドラは昨日、「力で物事を解決するな」とかそういうことを言っていたような気がするが、それは依然としてリルパの中に選択肢として残されており、結局のところ必要に応じてこうして顔を覗かせる。


 少しの間、なりを潜めていた圧倒的な力を再確認し、ギデオンは絶望感に打ちひしがれていた。


「た、たった一つでいい……それで俺はこれから先、ずっとお前の言うことを聞くから……」

「……だめ。象牙はあげない」


 ギデオンの首筋から口を離し、唇を赤く濡らすリルパには、少女のものとは思えない妖艶な美しさがあった。



 ※



 巨人のドグマは、日が暮れてから宮殿を訪れた囚人技師のトバルから、息子であるヴァロの義手について、術後の経過を聞いていた。


「手術は今日の昼に順調に終わりましたぞ、ボス! 明日からは新しい手のリハビリをすることになりますが、なあに、坊っちゃんにも色々と意識改革があったようですし、きっと大丈夫でしょう!」

「ご苦労だったな、トバル。お前とは長い付き合いだ。ソラが死んじまってから、俺がここまで腹を割って話せるのは、もうお前くらいのもんだよ」


 巨人と小人。二人は正反対の姿ながら、フルールの付き人としてともにこのダンジョンを冒険しているときから、妙に気が合った。


 かつてダンジョンの奥へと潜るフルールの脇を固めた仲間たち――魔女の右腕ペリドラ、千剣のフェノム、宝物庫ドグマ、魔法技師トバル、あとは魂兵のソラ。


 懐かしい時代だ。


 最近になってソラが死んだこともあって、ドグマはこうして古株であるトバルと二人っきりになると、どこか郷愁的な気持ちになることに気づいていた。


 この小人も、初めて会ったときに比べれば随分と老いた。


 そんなドグマの心中を慮ってか、トバルは寂しげな笑みを浮かべた。それから彼は「おほんっ」と咳払いして、話を戻した。


「……手術を、あの新入りが手伝ってくれましてな。ギデオンという若者ですが」

「ああ、あいつか。若いのにありがちな、向こう見ずなやつだ」

「しかし只者ではありませんよ。彼に造幣所の一件を任せたボスの目に、狂いはないと思いましたな」


 トバルはチッチッチと笑った。


「そう言えば、スカーもあいつを高く買っていやがったな」

「ほう、スカーがね。まあ、スカーではギデオンには手も足も出ないでしょうからな」

「何だと?」

「ギデオンには、苦痛の力が効かんのですわ。その力を分けてもらって、坊っちゃんの手術を成功させたというわけですがね」

「ってことは、俺もあの野郎には感謝しなきゃならねえってことか」


 ドグマは小さな器に酒を注いでやり、トバルに勧めた。


「ああ、これはありがたい! 実は、ボス……そのギデオンのことで、少しお耳に入れたいことがありましてな。あの若者はいま、苦境に陥っておるようなのです……いや、これは彼だけではなく、ペッカトリアの危機とも言えますがね」

「どういうことだ?」

「……ギデオンは、リルパに気に入られたようですぞ」


 トバルが声をひそめて言い、ドグマは思わず身を乗り出した。


「……気に入られた?」

「……ええ、どうやらリルパは、年頃の女が誰しもかかる例の少女病に取りつかれてしまったようでして……。俗にいう、恋煩いというやつですが」

「何だと? リルパが恋を?」


 ドグマはぽかんと口を開けた。


「……冗談だろ?」

「冗談ではありませんぞ。あのメイド長のペリドラまでその気になっているようですからな。彼女はギデオンをリルパの『旦那さま』などと呼び、フルールの城に連れ込んでおりますのじゃ。ワシは今朝早く、あの城の点検で出向きましたが、そこに消耗した様子のギデオンがおったのです」

「まさか、あんなところで一晩を明かしたわけじゃねえだろうな……?」

「どうやら、そのまさかのようですがね」


 ドグマはギデオンの苦労を思い、大きな息を吐いた。


「……そりゃあひでえ。一睡もできなかったんじゃねえか」

「ですから、消耗していたと言ったではありませんか。彼には助けが必要ですじゃ。これほどの大役を一人に任せていては、いずれポッキリと折れてしまいかねません。自暴自棄になったギデオンが何かのはずみでリルパを怒らせれば、どうなることでしょうか……」


 トバルは芝居がかった様子で、ぶるぶると震えていた。

 いつも思うのだが、この小人からはあまり危機感が感じられない。


「……まずいな」

「そうです。まずいのですじゃ」


 ドグマはトバルを見下ろしながら、目の前にいる老小人とはおそらく別のことを考えていた。


 ペッカトリアの危機。

 それは確かに憂慮すべき問題だろう。


 だがもっと危ういのは、ここの王であるドグマの地位だ。


 ドグマがこの街のボスでいられるのは、リルパの次のポジションにいるからだ。彼女の欲しがるものを手に入れ、機嫌を取るのが上手いというだけだが、それがここでは何よりも大きな力になる。


 小鬼どもはリルを信仰し、先代の為政者であるフルールを敬愛し、その娘であるリルパのためなら何でもやろうとする。


 ドグマは言ってしまえばリルパの忠実な手足であり、彼女のために働いているという建前があるからこそ、みなはドグマの命令に頭を垂れる。


 しかし、リルパが好意を寄せるような相手が出てきてしまったらどうなる……?


 ドグマの強みは、二層世界への扉付近に吹き荒れる『土煙の魔法』を使った交易制限と、そこから得られる象牙の独占だ。もしリルパがその役目を、自分の意中の相手であるギデオンにやらせたいと言い出したら……。


(そうだ! しかもあの若造は、抜け抜けと象牙が欲しいとか抜かしていやがった!)


 もしあいつがリルパをそそのかし、ペッカトリアの王の地位を譲らせるように要求していたら、ドグマは終わりだ。


「これは、ペッカトリアの危機ですじゃ」


 いや、これは、ペッカトリアの王であるドグマの危機だ。


「……ギデオンってのは、お前の見た限りどういう男だ? 信頼に足りるやつか?」

「信頼してよいとは思いますがね。少し変わっておりますが」

「野心はありそうか?」

「そこまでは何とも。しかし手術中、坊っちゃんを勇気づけているのを聞いておる限りでは、人のために生きることに生きがいを感じるタイプのようですじゃ。理想主義者……いや……まあ、そこまではいかなくとも何というか、青いといえばいいのですかなあ」


 そう言って、トバルは器械の手でポリポリと鼻を掻く。


「……正直を言うと、ワシは嫌いなタイプではありませんな」

「……なるほどな」


 ドグマはふんっと鼻息を鳴らし、腕を組んだ。


 ――理想主義者!


 一番苦手とするタイプだ。というのも、フルールがそうだったからだ。


 理想のためには、自己犠牲を厭わない。傍から見ているだけなら、崇高な精神の持ち主として絶賛されて然るべき存在だろう。


 問題は、いまのドグマのやり方を、きっとフルールのような人間は気に入らないだろうというところだった。


 彼女が治めていた十年前までの時代に比べれば、ペッカトリアは遥かに富み栄えた。しかし大きな光が輝きを増す一方で、身分制を始めとする様々な搾取形態など、暗がりも増えた。


(新入りの理想主義者(ギデオン)に、この街のあり方について口を出させるわけにはいかねえ。理想だけじゃ世の中は回らねえんだ……)


 そんなことを考えているときだった。


 周囲の空気が凍てつく感覚を覚え、ドグマは思わず腕をさすった。

 さっと青ざめてトバルに目をやると、彼も同様に顔を真っ青にして震えている。


 この世界でこんな空気を発せられるのは、たった一人しかいない。

 ゴクリと喉を鳴らして部屋の入り口を見ると、すだれの向こうに、ぼんやりと赤い光を放つ小さな人影があった。


 身体に例の赤い模様――小鬼たちの言葉で『怒りの紋様(ラグナ・カムイ)』と呼ばれる模様を浮かび上がらせたリルパは、何の言葉も発しないまま、悠然と部屋の中へと歩を進めてくる。


「あ、え……リルパ……?」


 そう言ったトバルをジロリと睨みつけると、その哀れな老小人は少女の発する『怒りの気』にあてられ、その場に崩れ落ちた。


 ドグマは震え上がった。

 リルパが怒りを露わにする理由を、たった一つしか思いつかなかったからだった。


 それこそ、いま自分が危惧していた事態だ。理想主義者の考えに感化されてしまえば、この街のあり方はさぞ醜く映ることだろう、と。



 ――すなわち、ギデオンがリルパに入れ知恵をしたに違いない。


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