恐怖の仮面
トバルが仕事を片付けている間に朝食を済ませると、ギデオンはトバルと二人、ようやく恐怖の城を抜け、ペッカトリアへとやってきた。
トバルの工房は、ゴブリンたちががやがやと精力的に動き回る職人街の一区画にあった。
薄汚れた建物の前に、何に使うのかわからない金属細工がいくつも転がっている。
「もう鼻たれ坊やはきとるかのう」
そう言って工房の扉を開いたトバルは、そこでピタリと足を止めた。
「……よう、トバル。朝っぱらからどこへ行ってたんだ?」
「……なんでお前さんがここにおる?」
トバルは警戒した声で、薄暗い工房の中にいるスカーに声をかけた。
「ちょいとあんたの管轄する商会について聞きにきたのさ……おや、そこにいるのはギデオンじゃねえか。なんとも珍しい組み合わせだな」
スカーがギデオンに、青い目を向けてくる。
ギデオンは、トバルと話していた内容をすでにスカーが見抜いているのではないかと思って、ひやりとした。二人はスカーの下僕であるラスティを、これから打ち負かす予定でいるのだ。
トバルがスカーを見て警戒心を強めたのも、それが理由だろう。
工房内を見渡すと、隅でドグマの子どもが小さくなっているのを見つけることができた。
「あの子の手術のことで、俺がトバルの役に立てると思った。一緒にいるのは、そのためだ」
「造幣所には行ったのか、ギデオン? お前にはお前のやるべきことがあるはずだぜ」
「このあと行く。困ったときは助け合いだ」
「なるほど、助け合いね。すばらしい考え方だ」
スカーはトバルに近づき、彼の肩をポンポンと叩いた。
「……じゃあオレも助けてくれ、トバル。あんたの商会のことでちょっと話を聞きたい」
「あとにしてくれ。ワシはこれから、坊っちゃんの手術をせねばならん」
トバルはヴァロの方を顎で示す。
「少しの時間で済むさ。ヴァロ、お前もいいよな?」
スカーが呼びかけると、ヴァロはビクリと大きく身体を震わせた。
「あ、うん……トバル、兄貴の用を先に聞いてあげてよ……」
横柄なはずのその巨人の子どもが、スカーの前ではずいぶんと怯えているようだった。
「おい、子どもを脅かすな。身体は大きく見えても、あの子はまだ幼い子どもだぞ」
「お前は一昨日、あいつの頭をぶん殴ってたじゃねえか、ギデオン」
ドグマの一室での一件だ。そう言えば、あの場にスカーもいた。そのことを思い出し、ギデオンは少しバツの悪い思いをした。
「まあ、ええわい。少しと言うなら話を聞いてやる。で、お前さんの用というのはなんじゃ、スカー?」
「二人で話したい。奥に行こうぜ」
スカーが、親指で工房の奥を示す。
トバルは溜息をつくと、ギデオンの方をちらりと一瞥した。
「少し待っていてくれるか、ギデオン」
「わかった。何かあったら俺を呼んでくれ。すぐに駆けつける」
「物騒なことを言うんじゃねえよ。オレはこのジイさんに何かしようってわけじゃねえぜ」
スカーは顔を歪め、トバルとともに奥の部屋に入っていった。
ヴァロと二人きりになったその場には、気まずい沈黙が漂っていた。
ギデオンは、その嫌な空気を取り繕おうと、何気なさを装って彼に話しかけた。
「何といえばいいか……災難だったな、ヴァロ」
「スカーの兄貴は強いのに、ぼくを守ってくれないって……」
ヴァロが弱々しくそう言って、ギデオンは眉をひそめた。
「どういうことだ? 俺たちが来るまで、あいつと何か話していたのか?」
「夢に見るんだ。あの仮面の男のこと……」
彼が言っているのは、ドグマが囚人会議で話していた『仮面野郎』のことだろう。ギデオンも、その人物について心当たりがあった。
初めてペッカトリアに足を踏み入れたとき、商館からじっとこちらを見つめていた仮面の男……。ただならぬ雰囲気の持ち主で、一目で相当の実力者だとわかった。
彼が、ギデオンたち新入りの暗殺依頼を出していたという話だ。
その理由ははっきりしないものの、ドグマの言うとおり、仮面の男の狙いが国家反逆を企てたギデオンだと言うのなら、彼はまたここにやってくる恐れがある。
ギデオンは、生きているからだ。
「ぼくはきっと、あいつがまたここにくると思ってる。でも、パパに言っても、そんなことはないって言うし……スカーの兄貴に言っても、おんなじだ……」
ヴァロの目は潤んでいる。
「こ、今度は殺されるかもしれないのに……見てよ、ぼくの右手……!」
「ひどいやつだ、その仮面の男は」
ギデオンは自分のことを棚に上げつつも、ヴァロに心の底から同情していた。
彼はまだこんなに幼い子どもだ。父親の権力を笠に着て横暴な態度を取っていたようだが、年齢を考えると、それもある程度仕方のないことだとも言える。日頃の行いの報いを受けたと言うには、腕一本の代償はあまりに重すぎる。
さらに、心にも大きなトラウマを抱えてしまっているようだった。ギデオンにも、幼いころのトラウマはある。それはいまになっても、ずっと生き方を縛ってくる……。
「……今度そいつがこの監獄に来たら、俺が報いを受けさせてやる」
気づいたとき、ギデオンはそう言っていた。
「ほ、ほんと!?」
「本当さ。次にもしその仮面の男を見かけたら、真っ先に俺のところへ逃げてこい。俺が守ってやる」
「ああ、そう言えば兄ちゃんも強かった! ぼくも全然敵わなかったし!」
そう言う巨人の子どもの瞳は、キラキラと輝いていた。
「兄ちゃんなら、きっとあの仮面の男をぶちのめせる!」
「そいつが絶望的な力を持っていない限りな。最近の俺は、少し自信喪失気味だ」
「……え?」
「上には上がいる」
頭にあるのは、もちろんリルパのことだ。ギデオンが肩をすくめて言うと、ヴァロは途端に不安そうな顔になった。
「安心しろ。俺の力の一端を、お前に今日見せてやるから」
「兄ちゃんの力?」
「お前の痛みを消してやる。我慢できないんだろ?」
ヴァロはそれが恥ずかしいことだとばかりに赤面した。初めて見たときは猛獣のような巨人だと思ったが、こうして見るとなかなか可愛げがある。
「全然、恥じる必要なんてないぞ。痛いものは痛い。それが普通だ」
「……トバルはおかしいんだ。あんなに身体を器械に換えてるから、考え方が変になってる」
「根はいいやつだから、信用してやれ。今日はきっと上手くいく。植物から、痛みを消す薬を作るんだ。効果はご覧あれといったところかな」
「植物?」
「前も言ったろ? 俺は植物使いだ」
ヴァロは、高い位置からじっとギデオンを見つめていた。
「植物……この間は、なよなよした力とか言ってごめんね……」
「気にするな。俺も、お前をぶったりして悪かった」
すると、ずっと暗い顔をしていたヴァロが、ようやく笑った。サイズこそ大きかったが、子どもらしさを感じさせる可愛らしい笑顔だった。




