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監獄ダンジョンと追放英雄  作者: ゆきのふ
囚人技師の憂鬱
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フルールの呪い

「ああ、旦那さま、おはようございなんす。昨夜はよく眠れなんしたか?」


 メイド長のペリドラはギデオンに向け一礼した。


「いや、あの……うん」

「それはようございなんした。朝食の準備が整っておりんす」


 ペリドラは笑顔のままトバルに顔を向けた。


「お仕事は順調でありんすか、トバルさま?」

「やあ、ペリドラ。ああ、これはサボっていたわけじゃないんじゃ! ちょいと一服を入れようと思ってな!」

「邪魔をして悪かったな、トバル」


 ギデオンは内心の狼狽を抑え込み、立ち上がった。

 そしてトバルに目配せする。暗に、あとのことは頼んだ、と。


「……お前さん、まさか逃げる気か? ワシにだけ話をさせる気じゃろうが?」


 しかしトバルは、ギデオンの狙いを一瞬で看破する。

 背の小さいトバルが、肘でギデオンの太もも辺りを小突き、仕方なくギデオンが先ほどの話を切り出した。


「朝食を食べたら、このトバルが街に来いと言っている。俺にしかできない用事で、どうしてもと言うんだ。いま俺は断ろうとしていたんだが、ペッカトリアのためと言われてはな」

「……汚いぞ! ワシに全部、責任を押し付けるつもりじゃろうが!」

「……俺のいまの立場上、こう言うしかないんだ!」


「何をひそひそやっておりんす? 街に行く必要があれば、行ってきなんし?」


「……え?」


 ペリドラの言葉を聞いて、ギデオンはぽかんと呆気に取られた。


「リルパのアンタイオなのでありんすから、この世界に必要とされるのは当然でありんしょう? 城に引きこもっておられるより、よほど健全でありんす」

「ま、街に行っていいのか?」

「もちろん。昨日もそう言いなんしたが? やりたいことがあればご自由に、と。旦那さまがやってはいけないのは、リルパを泣かせることだけでありんす」


「……おい、ギデオン、話が見えんぞ!」

「……俺もあんたとほとんど変わらない! さっぱり事情が呑み込めてないんだから!」


 そうやってまた密談をしていると、ペリドラがすっと笑みを引っ込めたので、ギデオンは慌てて言い繕った。


「――リルパ! そうリルパだ! 彼女はあれから機嫌を直したか……」


 それは何の気もない言葉だったが、どうやら墓穴を掘ってしまったらしい。

 ペリドラは歓喜に震えた様子で、手を打ち鳴らした。


「おお、やはりあの子のことが気になりんすね! リルパは昨日からフルールさまのお部屋に立てこも――いえ、フルールさまの部屋の扉をしめ切ってしまい、一向に顔を出しなさんす。旦那さまの声を聞けば、ひょっとすると意固地な心を和らげるかもしれなさんすね」

「それはいけない。しかし、リルパの意に反したことはしたくないな。いまはまだ、そっとしておいた方が――」

「旦那さま、どうぞこちらへ」


 ペリドラが、まだ言葉の終わっていないギデオンの手を、ぐいと引いた。

 巨大な何かを感じさせる、とてつもない力だ。


「では、トバルさま? 引き続きメンテナンスをお願いいたしなんす」

「任された! ではギデオン、また後でな!」


 トバルは調子よく笑って答え、それがいまのギデオンには無性に腹立たしかった。


「フルールの容体というのは、どの程度悪いんだ?」


 もはやリルパの元へ向かわなければならないと観念したギデオンは、彼女が立てこもっているという部屋の、本来の主のことを訊ねた。


 これまでに聞いた話だと、フルールはいま呪いに犯されているということだった。しかもその呪いを解いても、また同じ呪いにかかってしまうらしい。だからこそ、リルパはカルボファントの象牙を欲しがり続けているわけだが……。


「いまは眠っておりんす。そういう呪いなのでありんすよ。眠りの呪い。眠っている間に衰弱していき、ついに命の危険があるというときに、ドグマさまの持ってこられる象牙で呪いを解きなんす。するとフルールさまはお目覚めになり、その一日を使って身体を回復しなんす」


「そしてまた同じ呪いにかかる?」

「そうでありんす。翌日には呪いが再発し、またフルールさまはお眠りになりんす。眠っては衰弱し、起きて回復する。その周期はひと月ほどでありんす。つまりリルパは最愛の方と、ひと月に一度、たった一日しかお話しすることができなさんす」

「なぜフルールは、そんな呪いにかかったんだ?」


 ペリドラは力なく頭を振った。なんだか、初めてこの老ゴブリンが歳相応に見えた。


「正確なところはわかりんせん。ただ、フルールさまはリルと交わったからだと言いなんす。人の身で神と交わったがゆえに、それほど大きな呪いを受けることになったと。しかし……」

「しかし?」


 ペリドラは力強い眼差しで、ギデオンを見つめた。


「リルパが母親離れしたら……つまりリルパが見初めるような存在が現れたら、その者にだけは全てを話すと、フルールさまは約束してくださいなんした。四層世界の最奥でフルールさまの身に何があったのか、わっちらは知らなさんす。しかし、きっとギデオンさまになら……」


「俺には分不相応だ。そんな大役はとても務まらない」

「ご謙遜を! 他ならぬリルパが選んだ方でありんす」


 ペリドラは依然としてギデオンの腕を引いていたが、ぐっとそこに込められる力が強くなった気がした。


「……フルールさまの労苦を肩代わりできるものなら、いくらでもしなんす。この身全てを捧げてあの方にお仕えすると誓ったのでありんすから……。古き良き時代、あの方は喜怒哀楽の全てをわっちと分け合ってくださいなんした」


 ちらりと見えたペリドラの瞳に宿る感情の力に、ギデオンはぞっと背筋が冷たくなった。

 それは怒りであり――あるいは嫉妬にも見えた。


「……しかしフルールさまは、そのことだけは話してくれなさんす。それを、旦那さまには話すと言っておりんす。その意味がおわかりでありんすか?」

「……さあな。俺はフルールがどんな人間なのかすら知らない。知らない人間を、尊敬しろとでも?」

「きっとおわかりになりんす。フルールさまは、また数日後にお目覚めになりんすから。そのときお話しすれば、旦那さまもきっとあの方の偉大さを理解できなんす」


 そう言って笑うペリドラの表情からは、すでに先ほどの激情はきれいさっぱり消えてなくなっていた。


 ギデオンは、トバルがこの老ゴブリンを指して「可能なら争わないにこしたことはない」と言っていたことを思い出した。


 なるほど、確かに厄介そうだ。自分よりも大事なもののために戦う生き物は、総じて強い。


「さあ、しかしいま旦那さまがやるべきは、強情なカメを甲羅から出すことでありんす」


 ペリドラは一室の前で立ち止まると、そこにある荘厳な扉をノックした。


「……リルパ? ご機嫌はいかが?」


 信じられないほどの猫なで声だ。

 ペリドラが下手に出ても、部屋の中から返事はなかった。譲歩の余地すら感じられない。


「黙っていていいのでありんすかね? 旦那さまに呆れられてしまいなんすよ? 『なんて我儘な子なんだろう。こんな子に自分の血を与えていいのだろうか……せっかくの美味しい血を』」


 ごそごそと動く音が聞こえる。それからほどなくして、中から声がした。


「……ギデオンがそんなこと言うわけない」

「きっと言いなんす。聞いてみなんすか? 旦那さまはここにおりんす」

「また嘘! どうせいないくせに……」


「……リルパはいま、小鬼不信になっておりんす。いささか同じ手を使い過ぎなんした」


 ひそひそとペリドラは説明してから、また扉に向き直った。


「旦那さまにはわっちからきちんとお話ししておきなんしたよ。リルパ、もう安心して出てきて大丈夫でありんす。わっちも、もう怒っていなさんす」

「そんなこと言って叱る気でしょ。だったら、ここで叱って。ここなら、ペリドラは大きな声出さないのわかってるんだから……」

「ああ、フルールさまを利用しようとしなんすとは、何て悪い子でありんしょう。こうして近くでひそひそ話をしているだけでも失礼に値するというのに……」

「それはペリドラが悪いんでしょ。わたし一人なら、静かにしてるもん」


 リルパは、随分と意固地になっているようだった。見るとペリドラが顎をしゃくり、ギデオンに何かしゃべるよう要求していた。


「……リルパ?」


 と、ギデオンは一言だけ発した。


 変化は劇的だった。たったそれだけで、扉の向こうの空気が変わったのだ。


 しばらく部屋の中で、バタバタと何かが動き回る音がしていた。


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