魔法
三頭犬は次から次へと現れる。全部で十頭はいるだろうか。
しかも、どの犬も体高が並みの男ほどある巨大さだ。
「やべえ、三頭犬だ! 逃げろ!」
そう叫ぶラーゾンの口元に、薄い笑みが浮かんでいるのをギデオンは見逃さなかった。
「野郎! 自分で呼んどいて逃げろだと!? どういうつもりだ!」
「ちょっと確認したいんだが」
ギデオンは気色ばむ犬耳男の肩を掴んで、ぐいと引き寄せた。
「これは、あのラーゾンとかいうやつの仕業で間違いないのか?」
「だからそう言ってるだろうが、間抜け! 何を聞いてやがった!」
怯えて動けずにいる囚人の一人に、三頭犬が襲い掛かる。
悲鳴が上がり、ようやくみな事態を理解できたようだった。自分たちが三頭犬の獲物だと気付いた集団は、口々に悲鳴を上げながら、蜘蛛の子を散らすように逃げ出し始める。
そのとき、一際でかい三頭犬が遠吠えした。
「おい、あれは何を言ってる?」
「知るかよ、犬の言葉なんて! ……でもありゃあ、仲間に知らせてるんじゃねえか? 犬は群れて狩りをする。賢いやつらは、わざと逃げやすいところを作って、そこに獲物を誘導するんだ」
茂みの奥から、断末魔の叫び声が上がった。
「すごいな、あんた。当たりみたいだ」
「てめえ、のんきなこと言ってんじゃねえぞ! 囲まれてる!」
犬たちは、助けを求めて逃げ惑う囚人たちに次々と飛び掛かると、凶悪な爪や牙で蹂躙していく。
それはあまりにも凄惨な光景だった。彼らは確かに囚人だったろうが、ここまで残酷な方法で殺されるべき重罪人だったのだろうか?
「これはむごいな」
「他人の心配してる場合かよ!」
犬耳が手をかざすと、二人の方に飛び掛かってきた三頭犬の頭の一つが、爆散した。
「――おお! いまのはあんたの魔法か?」
「ちっ……そうだよ、危機感のないやつめ!」
三頭犬は――いや、もう二頭犬と呼ぶべきか――ともかくその個体は、苦しみの声を上げて地面を転がると、残りの四つの瞳を怒りに輝かせ、ギデオン目がけて飛び掛かった。
(とんだ濡れ衣だ。いまのは俺じゃない)
そう思う間もなく、ナイフのような爪が自分の腕に食い込み、ギデオンは眉をひそめた。
「おい、気をつけろ。こいつは爪に毒が塗ってあるようだぞ」
「はあ!?」
「麻痺毒だ。即効性はないが、時間が進めば横隔膜が痺れて呼吸ができなくなる」
「い、いや、てめえは大丈夫なのかよ!?」
「俺は解毒できる」
獰猛な二頭犬は好機とばかりに今度、ギデオンの傷ついた腕に噛みついた。
(やっかいな犬ころめ。しつけてやる)
ギデオンは身体の『武器庫』から刀草を活性化させると、手の甲から、そのよくしなる鋭い葉を短く伸ばして固定した。
突くのには向かないが、切ることに用途を特化すれば十分ナイフの代わりになる。葉をもっと長く伸ばせば、邪剣のように使うこともできるだろう……邪剣の使い方を学んだことがないのでやらないが。
ギデオンは即席のナイフで噛みついてくる犬の首をかき切った。赤い血が噴き出し、腕に食い込んだ牙の力が弱まったときを見計らって、犬の顎を振りほどく。
それから間をおかず首筋の同じ個所を強く切り付けてから、思い切り頭を蹴り上げると、骨が露出するほどゆるくなっていたその首は、ボキリと嫌な音を立てて反対方向を向いた。
これで二つ。
すかさず最後の頭を犬耳男の魔法が爆散させ、ようやくその三頭犬は動かなくなった。
「助かった、すまない」
「助かってるのか、それ……」
犬耳男は血が滴り落ちるギデオンの腕を指差し、顔をしかめている。
「気にするな。こういうのは、しょっちゅう経験してる。あんたは大丈夫か?」
「あ、ああ」
「そいつはよかった。あんたは随分とすごい魔法を持ってるんだな」
そう言ってから、ギデオンは辺りを見渡した。囚人たちの死体が無数に転がり、地面にいくつも血だまりができている。
まだ必死に抵抗している者もいる中、ラーゾンがわざとらしく犬たちから逃げ惑っている。
「ああ、そうか」
ギデオンはそのとき、なるほどと納得することがあった。
「こいつが死刑ってことだな」
「ああ?」
「ラーゾンは死刑、死刑って言ってたろ。これがそうなんだなって」
「てめえ、イカレてんのか? そんなこと言ってる場合じゃねえだろうが!」
「そんなことも何も、間違うとよくないだろ。ラーゾンは俺たちを死刑にしようとしてる。昔はその責任をラヴィリントっていう大神が担っていた。でも、いまは違う」
「何が言いたい?」
「責任の所在をはっきりしておくのが大切だ。この死刑の責任はラーゾンにある。そうだろ」
「……だから何だってんだ?」
「責任を取らせる。あいつは神ではなく、人間だ」
ギデオンはおもむろにしゃがみ込むと、地面に手をやった。
身体の中から種子を選び出し、植え付ける。そのまま手の平から魔力を発すると、メキメキと音を立てて植物が成長を始めた。
「な、なんだこりゃあ……?」
「植物に興味があるのか?」
耳ざとく犬耳男の言葉を聞きつけ、ギデオンは目を輝かせた。流暢に物事を説明する師の姿は、ギデオンにとって常に憧れの的だった。
これはチャンスだ。
「教えてやろう、こいつは狩りをするバラの魔物だ。最初はタコに似た動物だと思われていたが、れっきとした植物でな。正式名称をキュロースローゼと言う」
犬耳男はぽかんとしている。
「ま、まあ素人にはテンタクルズ・ローズと言った方がわかりやすいかもな」
「いや、どっち道さっぱりわかんねえよ……」
「いいから見ろ! この触手に似た器官は動根と言って、分類すると根っこに相当する。捕えた獲物を、にじみ出した分泌液で溶かして、養分として吸収するんだ」
地面からは無数の根が飛び出し、海中の藻のようにゆらゆらと蠢いていた。その一本一本が樹の幹ほどの太さがあり、粘液でヌメついている。
よく肥えた土地で育ったキュロースローゼは、さらに大型になって龍を襲うこともあるが、いまはこの程度のサイズでいいと判断し、マナの供給を止める。
その瞬間、地面から伸びた野太い茎の上に巨大な花が咲き、ギデオンと犬耳男に影を落とした。
「どうだ?」
「……いや、何を得意気にしてるのか知らねえけどよ。これ、大丈夫なのか……?」
「可愛いやつだぞ。おい、犬たちを捕獲しろ」
途端に触手が鞭のようにしなり、近くで囚人を襲っていた三頭犬をビシリと強く打ち据えた。くぐもった唸り声を上げた犬は一瞬ひるんだものの、すぐに態勢を立て直す。
しかし、ビシリビシリと何度も打たれるうちに、たまたま一撃が急所を捉えたのか、動きが緩慢になった。その瞬間を逃さず、根は三頭犬の胴に巻きつく。
捕えられた三頭犬はしばらくもがいていたが、強烈な力で締め付けられると泡を吹き、だらりと身体を弛緩させて動かなくなった。
同じような光景が、そこかしこで起こっている。
「え、えぐいな」
「こいつが生態系というやつだ」
巨大なバラの魔物が全ての三頭犬を制圧するのに、そこまで時間はかからなかった。