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監獄ダンジョンと追放英雄  作者: ゆきのふ
恋するリルパ
44/219

シェリーの災難

 こんなものを持っているわけにはいかない!

 

 シェリーはことの重大さに気づいて、震え上がった。


 なぜカルボファントの象牙を小鬼が飲み込んでいたのかはわからない。わからないが、これがとんでもない爆弾であることだけは確かだ。


 ボスはこの象牙が一つでも自分の手から離れる事態をよしとしない。


 当然、ボスに渡して然るべきものだが、ただ渡し方を間違えば、こちらの立場も危うくなってしまう。

 ボスが知らない流通経路を知っていると思われる恐れがある。そうなってしまえば、シェリーは終わりだった。


 昨夜の失敗には寛大だったボスも、流石に自分の地位を揺り動かす事態には黙っていないだろう。


(ど、どうしたらいいっていうの……!? こんな爆弾を、なんで私が持つ羽目に……)


 いまとなっては、能天気にニコニコと笑っているキリンキが憎たらしかった。

 善意によるものなのは間違いないのだろうが、無知はどこまでも罪だ。


「キ、キリンキ……この宝石はありがとうねえ……でも、他の囚人や小鬼にこのことをしゃべっちゃだめよ?」

「もちろんでございやんす。これはもうシェリーさまのものでございやんすから! あの患者にも、諦めるように言っておきやんす!」


 キリンキの言葉を最後まで聞かずに、おろおろしながらシェリーはラスティのいる部屋に戻った。


「シェリー!? 何があった? 顔が真っ青だぜ……」

「ああ、ラスティ……どうしたら……」

「どうした? さっきの小鬼が何か言いやがったのか? 小鬼の分際で囚人に立てつくとは、しつけのなってねえやつらだ!」


「そうだわ、スカーよ!」


 そのときハッと思いつくことがあって、シェリーは突然、声高に叫んだ。


「はあ? スカー……? 兄貴がどうかしたかい……?」


 いますぐに行動しなければならない。となれば、まずはこの情報を知っている存在を消してしまうことだ。

 シェリーはラスティに艶のある眼差しを向けると、彼の手を情熱的に握って囁いた。


「……ねえ、ラスティ。私の屋敷に、あなたを今晩招待させてくれない?」

「え?」


 言いながらシェリーがラスティの厚い胸を甘えるように指で突くと、ラスティはぽかんと口を開けたあと、すぐに笑顔になった。


「ああ、もちろんだ! そのときまでには、あんたを襲った狼の情報を見繕っておくよ!」

「素敵、あなたは私の騎士さまね」


 シェリーはラスティの腕に身体を寄せると、そこに胸を押し付けた。


「……ねえ、ラスティ。私に非礼を働いた小鬼はどうすべきだと思う?」

「もちろん、死刑だ」

「いま手術室にいる小鬼たちと、病院長のキリンキは私を愚弄したわ。殺してきてくれる?」

「任せとけ。そんなもん、造作もねえ事さ!」


 肩で風を切って部屋から出ていくラスティを見送ってから、シェリーはすぐに行動を起こした。


 いますぐに、スカーに会いに行かなくては!


 スカーはこの監獄世界で誰からも一目置かれた囚人で、しかもいまシェリーは彼の弱みを握っていると言ってもいい。


 スカーは囚人会議で、狼のことを黙っていた。

 ボスがその情報を必要としていたにもかかわらずだ。


 これを取引材料に使えば、スカーに言うことを聞かせられるだろうし、少なくとも味方をさせることくらいはできるはずだ。


 スカーは凶悪な囚人だったが、だからこそ助けを借りられれば、他の囚人に対する大きな力になる。ボスもスカーの言葉にはよく耳を貸すので、彼ならこの象牙を波風立てずにボスに渡してくれる可能性もある。


 そうとも、こちらにはボスに対する敵意がこれっぽちもないということさえわかってもらえればいいのだ……。


 そのとき、シェリーは会議中にこの象牙をギデオンが欲しがっていたことを思い出した。

 しかし、流石に自分の安全には代えられないと思ってその考えを切り捨てる。


(ああ、ギデオン……あなたは本当に危険なものを欲しがるのね……だからこそ素敵なんだけど……)

 

 背後で小鬼たちの叫び声が聞こえたが、シェリーは振り返らなかった。



 ※



 スカーの管轄地を探し回り、そこで働く小鬼たちに彼の行先を聞きながら、ようやくシェリーがスカー本人を見つけ出したのは、日が傾き始める時刻になってからだった。


 スカーは、新しく自分の管轄地として加えることになった教会にいた。

 彼は黒いマスクで顔の大半を隠す奴隷を連れており、天井を見上げながら彼女とひそひそとなにやら話し込んでいる。


「スカー、ちょっといいかしら?」


 シェリーが話しかけると、スカーは煩わしそうに顔をしかめた。


「……リーシア、向こうへ行っていろ」

「はい、スカー……さま……」


 艶やかな黒髪の女奴隷は、呼び慣れない様子でスカーの名を口にして、二人から離れていく。


「新しい奴隷? 彼女、まだ慣れてないみたいね」

「お気に入りの女はすぐ変わっちまう」

「あなたらしいわ」

「なんの用だい、アバズレさん?」


 自分のことは棚に上げてそんなことを言うスカーを、シェリーは忌々しく思って眺めた。しかし、いまは我慢をしなければならないときだ……。


「狼の坊やのことだけど、ちょっといいかしら?」

「ハウルのことか」

「あなたは会議のとき、その子の情報を黙っていたわね?」


 ピクリと片眉を動かすスカーを見て、シェリーは気を大きくした。


「……ああ、なるほどラスティか。あいつがお前に話したんだな?」

「そうねえ。秘密で私にだけ。つまり、私たちの秘密ってわけ。ね、スカー?」

「別にオレたちの秘密なんてものはねえさ。ハウルのことを知ってるやつは他にもいるぜ? お友だちが欲しければ、ヤヌシスとギデオンも輪に加えてやりな」

「……え?」

「ハウルを隠していたのはヤヌシスで、ギデオンはそれを奪い返した。オレが会議であの坊やのことをボスに黙ってたのは、ボスに余計な気を使わせたくなかったからさ。あんなものは、ギデオン一人で解決できる問題だと思ったからな」


 シェリーは息を呑んだ。


「ギ、ギデオンが……?」

「そうとも。ヤヌシスではあいつの相手にならん」

「ちょっと待って! 二人は戦ったの!?」

「ああ、そしてもうギデオンはハウルを取り返した。坊やはゴルゴンの瞳にやられて石化してるが、ギデオンにはそれを治すあてもあるらしい。底知れないやつだよ、まったく」


 ヤヌシスと言えば、一級身分の囚人の中でも極めて危険な相手として知られる女だ。

 ゴルゴンの瞳だけでなく、飼い慣らす蛇たちの凶悪な習性、そして破壊的な炎――どれをとっても、一線級の戦闘能力だ。


 そんなヤヌシスと戦ったというギデオンの身を心配したが、スカーの言葉を聞く限り、彼は無事らしい。


 ほっと安堵の息を吐く。

 そして、いまはそのことよりも……。


 握っていたはずだったスカーの弱みが消え去り、一転してシェリーは絶望的な気分になった。

 

 スカーがハウルのことを黙っていたのには、きちんと申し開きできるだけの理由があったのだ。

 これではスカーはボスの気を損ねるどころか、ますます気に入られることだろう……。


「か、勝手なことをしたものねえ? ボスに言わず、独断で行動したってことだものね?」

「オレたちの領分でできることは、いちいち命令を待たずにやった方がいい。ボスは一人なんだぜ? それに、ボスは日頃からオレたちを信用してくれてるじゃねえか」


 抜け抜けとそう言ってから、スカーは顔を歪めた。笑っているのだ。


「……どうした、シェリー? 当てが外れたって顔してるぜ?」

「い、いや……」

「何かオレにお願いでもあったのかい? あるいは、脅して言うことを聞かせたいことがあったってか?」

「も、もちろんそういうことじゃないのよ……?」

「話せよ。他ならぬお前のためだ。聞こうじゃねえか」


 スカーは余裕のある仕草で、指を天井に向ける。


「……ここは教会だぜ。だからこれは告解代わりさ。この会話は、神とオレだけが聞いてる」

「待って! 私は罪を犯したわけじゃないのよ!」


 言ってから、しまったと思う。これでは後ろ暗いことがあると白状しているようなものだ。

 そして、スカーはそんな隙を見逃すような男ではなかった。


「そりゃあよかった。お前は無実だ、シェリー。この監獄にいる囚人は、みんな無実だ。ペッカトリアでは、囚人はみな許される。そうだろ?」


 スカーは傷のある顔を寄せた。


「……何があった?」


 まだ迷いはあったが、いまのスカーの言葉を聞いて、シェリーは心にほんの少しだけ勇気を取り戻していた。そうだ、ここでは一級身分の囚人は誰よりも優遇される。そもそも、自分は本当に何も悪いことなどやっていないのだ……。


 シェリーは懐からおずおずとカルボファントの象牙を取り出し、スカーに見せた。

 すると、これには流石のスカーも驚きを隠せないようだった。


「……お、お前……こいつをどこで……?」


 シェリーは事の経緯を正直に説明した。

 とはいえ、ほとんどのことはわからないのだ。


 なぜ一介の小鬼が象牙など飲み込んでいたのか……。

 そもそも、あの小鬼はどこでこの象牙を手に入れたのか……。


「ふっふっふ……」


 そのとき、シェリーの掌から象牙を摘み上げたスカーが、輝くそれをしげしげと見つめながら静かに笑い出し、シェリーは背筋にぞっと悪寒を覚えた。


 彼の青い目が、窓から差し込む赤い光を浴び、不気味に光っている。


「……なるほど、なるほど。紆余曲折を経て、一つ・・はここに辿りついたわけだ……」


「な、何を言っているの……?」

「こっちの話さ。シェリー。この象牙を飲み込んでいたという小鬼はまだ病院にいるか?」

「殺したわ」

「――殺しただと?」


 スカーの表情が、一瞬で険しくなる。


「あ、当たり前でしょ! 生かしておいたら、何をしゃべるかわからないじゃない! 私の生命を、あんな小鬼風情に脅かされてたまるものですか!」

「馬鹿が! そいつが、どこでこの象牙を手に入れたか吐かせる機会も失ったんだぞ、この色ボケの淫売め!」


 スカーは怒りをあらわに、シェリーの胸ぐらを掴んだ。


「その小鬼は何者だ!? 普段は何をしていた!?」

「し、庶民的な小鬼よ。確か、土中魚(フルーリア)の養殖をしていたとか……」


 咄嗟に、二三日前にキリンキが話していた小鬼の情報を思い出して話すと、スカーは少し怒りを鎮めた様子だった。


「……他には?」

「し、調べるわ。病院にまだ情報があるはず――」


 そこまで言って、キリンキまで殺してしまったことを思い出す。


「どうした?」

「……いえ、あの小鬼の情報を調べるわ。きちんと……」

「じゃあいますぐ行って来い。あと、あくまでもこのことは他のやつには秘密にしておけよ。お前の生命にかかわる問題だぜ、シェリー……」


 その言葉にハッとしてスカーの方を見ると、彼は脅すような目でシェリーを睨んでいた。


「……私は何もやっていないわ! 本当よ! ボスにあなたからきちんと話してくれさえすれば、それで済む話じゃないかしら……?」

「こればっかりは無理だ。象牙だけは問題の次元が違いすぎる。ボスの度量にも、限度ってもんがあるからな」


 スカーはそこで、一層声をひそめた。


「……でも安心しろ。オレが何とかしてやるよ、シェリー」

「……え?」

「オレに考えがある。お前はその小鬼の情報を持ってこい。だが、少しでも他の囚人たちにこのことが漏れれば終わりだ。慎重に行動しろ」

「考えって?」

「そのときがきたら教えてやるよ。オレの言うとおりにやっていれば大丈夫だ。お前はラスティほど口が軽くなさそうだしな」

「か、彼にも話しちゃだめってこと……? ラスティはあなたの力を借りてるんでしょ? いわば、一心同体なのよね?」

「それでも絶対に話すな。囚人の誰にもだ。もちろん、お前が色目を使ってるギデオンにもな」


 自分の気持ちを言い当てられ、こんなときにもかかわらず、シェリーは顔に血が上ってくるのを感じた。


「……わかったわ」

「こいつは預かっておく。お前が持っているよりも、オレが持っていた方が安心だろ?」


 それはシェリーにとっても、願ってもない申し出だった。


 スカーの考えはわからなかったが、ひとまずこの爆弾を手放すことができた。これで本当にどうしようもないときは、スカーに全ての罪を押し付けるように立ち回ることができれば、少なくとも自分の身の安全だけは保障される。


 シェリーは熱っぽい目でスカーを見つめた。


「今夜、私の屋敷に来てくれる? そのとき、情報を話すわ」

「わかった。このあとの用事が終わったら、お前の家に行く」

「ああ、そのときにあなたから言ってくれる? ラスティがしつこいのよ。今日彼も来るつもりみたいだから、追い返して」

「あのおしゃべり野郎には、ちょっとばかり釘を刺してやらねえとな。……あと、シェリー。オレに色目を使っても無駄だぜ。そっち(・・・)()趣味(・・)()ねえ(・・)

「どういうこと? 私は特殊なプレイなんてしないわあ」


 そんな軽口を叩いているうちに、ようやくシェリーは落ち着きを取り戻してきた。


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