時間よ止まれ
ヤヌシスという囚人の屋敷で召使として働く小鬼たちは、確かにランプルの言うことを何でも聞いた。
「ほら、蛇の真似をするのよ! ヤヌシスさまご自慢のヒノマダラの真似を!」
小鬼が床を芋虫のように這いずり回り、持ち上げた首を左右に揺らすと。ランプルはキャッキャッと声を上げて笑った。
「ほら、ハウル、面白いでしょ?」
「どこかだ? 子ども騙しじゃねえか」
「もしかして小鬼は嫌い?」
「別に好きも嫌いもねえよ。お前のやらせてることがくだらねえって言ってんのさ」
ランプルはそれが気に入らない様子で、八つ当たりするように小鬼を蹴とばした。
「あなたがもっとちゃんとやらないからよ!」
「も、申し訳ございやせん……」
「蛇がしゃべってどうするのよ! 本当にクズね!」
「お、おい!」
頭を抱えてうずくまる小鬼を何度も足蹴にするランプルを、ハウルは慌てて止めた。
「どうしたの? あ、ひょっとしてこれ、やってみたい? 面白いわよ!」
「てめえ、何を考えてやがる! こいつ、痛がってるじゃねえか!」
「痛がってるって……それはあたりまえじゃない。痛くしないと罰にならないでしょ?」
「お前にも小鬼の血が流れてるんだろ! 仲間にそういうことしていいのかよ?」
するとランプルはきょとんとして、足元で震える小鬼に目をやった。
しばらく小刻みに瞳を動かしたあと、ハウルにまた視線を戻す。
「私と小鬼は違うわ。何を言ってるの?」
「てめえ、自分で混血児って言ってたじゃねえか!」
「そうだけど、私は『人間』側よ。『小鬼』側じゃないわ」
「……『人間』側だと?」
「あ、わかったわ! 『小鬼』側を知らないんでしょ! 何だ、そういうことなら言ってくれたらよかったのに!」
ランプルは合点がいったとばかりに、身体の前で手を打ち鳴らす。
そして、ハウルの手を取って回廊の柔らかい絨毯を歩き出した。
「ついてきて。見せてあげるわ」
回廊からは、ずっと中庭が見えている。ちらりとそこにいる女性たちに目をやったランプルの表情に、嘲りの感情を見て取って、ハウルは背筋に冷たいものを感じた。
「……あの人たち、いまはあんなに仲良くしているけど、すぐにそういうわけにもいかなくなるのにね。『小鬼』側の混血を生んじゃったら、またあの街に戻されるのに」
「あの街?」
「あの人たちは、そこからやってきたのよ。ま、だから順当にそこに帰るのも悪い話じゃないのかもしれないけどね。ちゃんとした地位は保証してもらえるみたいだし」
「じゃああいつらは、ペッカトリア以外の都市から来たのか?」
「ううん、もちろん、ペッカトリアよ。『あの街』っていうのは、この屋敷の外に広がる一区画のこと。そこで小鬼の子どもを作ってここにくるの」
ランプルは依然としてニコニコしていたが、いまではその顔がハウルにはとても歪なもののように感じられた。
「私みたいな『人間』側を生んだら、この屋敷でヤヌシスさまの下で働くことができるのよ。そんな幸運があるかしら? 私のママも、いまはここにいるんだから」
言いながら、ランプルは回廊の先を指差した。
そこには、マスクで顔を隠した奴隷がいた。体型を見る限り女のようだ。彼女は回廊の曲がり角の先にいる誰かと、何やら話し込んでいるようだった。
「ほら、見てハウル。私のママはあれかもしれないわ。『醜い』から、顔を晒すこともできないけど、私のママもきっとああいう格好をしているはずよ」
「……会ったりできるのか?」
「会ってるかもしれないわね。でも、自分から会おうとする必要なんてないでしょ? 私たちは『美しい』の。それなのに『醜い』ものに愛情を感じて接触するなんて、価値を下げることになっちゃう。そんなことをしたら、ヤヌシスさまを失望させちゃうわ」
ハウルはそれを聞いて、思わずランプルの手を振り払った。
こいつは完全に歪んでしまっている。ヤヌシスのやつがどういう教育を施しているのか知らないが、常識から完全にかけ離れた価値観を植え付けられている。
「どうしたの?」
「……俺は親父が好きだったぜ。真実を知るまでだったけどな」
「ハウルって変わってるよね。耳ももふもふしてなんか可愛いし! そのパパに似たの?」
ランプルが狼の耳を触ろうとしてくるのを、ハウルはさっと躱した。
「どうして逃げるの! 触らせてくれたら、私の角も触っていいから!」
「いらねえよ。俺はお前がどうも好きになれそうにねえ」
「どうして? 私はハウルのこと好きよ?」
「は、はあ!?」
突然少女に変なことを言われて、ハウルは顔に血が上ってくるのを感じた。
「だってハウルは『美しい』でしょ? ちょっとその美しさが失われそうになってる気がするけど、ヤヌシスさまがお気に召したってことは、まだ大丈夫ってことだわ」
「ど、どういうことだよ、さっきから『美しい』とか『醜い』とか……」
まだ心臓が早鐘を打っている。
「こんにちは、ランプルお嬢さま」
そのとき、ハウルたちは先ほどの奴隷女のいるところまでやってきていた。ランプルの母親かもしれない――あるいはまったく違うかもしれないというその奴隷女は、ランプルに向かって恭しく礼をした。
「あ、ごくろうさま、奴隷さん。その子の教育は順調?」
その子。その言葉の指す先。
そうして、ずっと視界の外にあったその誰かが、ようやくハウルの目に飛びこんでくる。
「さ、ランプルお嬢さまに挨拶をして、ララ。さっき教えたようにするのよ」
「ゴ機嫌ウルワシュウゴザイマス、オ嬢サマ」
舌っ足らずな調子でそう言って深々とお辞儀をするそれを、ハウルは最初、小鬼だと思った。
しかし、その小鬼はあまりにも他の個体と姿が違っていた。
顔は小鬼そっくりだが、身体のつくりはほとんど人間の少女と同じ……。
人間が、小鬼のマスクを被っていると言われても信じてしまうような、奇妙な生き物がそこにいた。
「まだ幼いんです。この子は最近、言葉を覚え始めたんですよ」
奴隷女は、誇らしそうにそう言った。
「すばらしいわ! 強く生きてね、ララ!」
「アリガトウゴザイマス」
ランプルはいまにも吹き出しそうな表情をしていたが、そのどっちつかずの小鬼は、ランプルの表情の意味もわからない調子で、また恭しくお辞儀をする。
「さ、行きましょ、ハウル」
「……ひょっとして、いまのがお前の言ってた『小鬼』側か?」
奴隷女と小鬼もどきたちに声が届かない場所までやってきてから、ハウルはランプルにひそひそと話しかけた。
「あ、わかった?」
ランプルはクスクスと笑う。
「そうよ! 残念な子たち。あの子はかなり惜しかったわね。顔がもっと人間っぽかったら、こっち側だったのに!」
「あいつらはお前たちと同じ扱いを受けていないのかよ?」
「あれは商品だから。高級商品。もちろん、私たちとは違うわ」
「ここでは見た目で差別されるってことか?」
「差別とかそういうのじゃないわよ。あれは人間ですらないから。『美しい』とも『醜い』とも違う、それ以前って感じ」
「そう言えば、その話がまだ途中だったな。『美しい』とか『醜い』ってのは何なんだよ?」
ハウルは、奴隷女たちが挨拶してきてうやむやになった問題を、改めてランプルに問いかけた。
「そうね。それはまあ、時間の話かしら?」
「時間?」
「私たちはこの世に生れ落ちてから、時間があまり経っていないでしょ? 子どもなんだから当然なんだけど」
「それがどうした?」
「それが『美しい』ってことよ。でもその美しさはどんどんなくなっていってしまう。そして、ある時点を境に『醜く』変化してしまうのよ。私たちはまだ『美しい』。ハウル、あなたもね」
――ちょっとその美しさが失われそうになってる気がするけど……。
ハウルは、ランプルが先ほど自分に向けた言葉を思い出す。
「……じゃあ俺は、お前たちの基準では醜くなりつつあるわけだ?」
「心配しなくていいわ。人間は誰しも歳を取っていくものだし、時間は常に一方方向にしか進まない。でも、美しさを愛するヤヌシスさまは、その困難な問題を解決してださるのよ。きっと、あなたの問題もね」
「どういう意味だ?」
「あの方は神官さまなのよ。メフィストさまっていう神さまの信奉者で、その方のお言葉を大事に守り抜く求道者。あなたにも教えてあげるわ。私たちお祈りをするとき、こう言うのよ。ほら目を瞑って、私に続けて――」
「――時間よ止まれ、お前は美しい」
別の声が響き、ハウルはハッと振り返った。
――視線の先に、女が立っている。
首に蛇を巻きつけたその女は、冷たさすら感じさせる瞳で、ハウルの方をじっと見つめていた。
ずっと書きたかったシーンの一つです!




