歓楽街の女王
ヤヌシスが竜車を降り、狭い路地を進んでいく。
ギデオンは彼女の後を追ってもらっていた辻竜車の御者を務めるゴブリンに合図し、慌てて車を止めてもらった。
「あ、ここでいい! しかし参ったな。俺はいま無一文だった。料金はいくらだ?」
「囚人さまから、そんなものを貰うことなどできやせん!」
「いや、きちんと払う。今度、造幣所へ来てくれ。そこで払うように言っておくから」
咄嗟に自分の管轄地として与えられた場所を言ってから、ギデオンは急いで石畳に飛び降りた。
ヤヌシスが進んだ先に向かうと、狭い路地が一層入り組んでいるのがわかった。
右を見ても左を見ても、彼女の姿を見つけることができない。
(……あの女は、住処まで竜車で向かうものだと思っていたが……しまったな。見失ってしまったらしい……)
尾行されていることに気づいて、わざと込み入った場所に入ったのかもしれない。
そうなると状況は最悪だった。ハウルの身柄をあの女が隠しているとしたら、急がなければまずい。追っ手に気づいたことで、彼女はハウルを処分してしまう可能性がある。
焦燥にかられたギデオンはもう一度辺りを見回し――そこが独特の雰囲気を漂わせた場所であることに気づいて眉をひそめた。
門戸が広く開放された小さな家の軒先に、足輪をつけられた人間の女が色っぽい仕草で座っており、ギデオンの方に艶やかな微笑みを向けている。
周りにあるのは、そういう建物ばかりだ。
「……囚人さま!? まさか、囚人さまでございやんすか!?」
そのとき、一人のゴブリンがギデオンの前に飛び出してきた。
「ど、どのようなご用向きでここに来られたので? ここはヤヌシスさまが管理される地区でございやんすが……?」
「ヤヌシスが?」
「そうでございやんす。わたくしめらは、あの方の命令で働いておりやすので、何か問題があってもそれは囚人さま同士で解決していただきたいのでやんすが……」
「問題? どういうことだ?」
「あ、問題事ではない?」
ほっとした様子でそう言うと、途端にゴブリンはニヤリと笑った。
「……では、ひょっとして囚人さま、ここに女を買いに来られたので?」
「なるほど、やっぱりここは歓楽街か」
ギデオンはここに似た風景を、外の世界の都市で見たことがあった。
「ええ、色町でございやんす! 見たところ、囚人さまは最近昇格されたのでは……?」
「まあ、そうだが」
「だと思いやんした! この街が長い囚人さまは、奴隷や囚人奴隷を所有して欲望を発散されるものでございやんす。ですので、なかなか囚人さまがこのような場所に来られるようなことはないのでございやんすが」
「囚人のための施設でないとしたら、ここでは誰に向けて商売している?」
「もちろん、庶民的な小鬼でございやんすよ……とはいえ、ここで働くわたくしのようなものは、あれらの『商品』に手を出すのは厳禁と、しっかり教育されておりやんすが」
これを聞いて、ギデオンは驚いてしまった。
「軒先にいる女は人間のようだが、ゴブリンが抱くのか?」
「ええ、十二分に魅力的に見えますよ。『商品』は囚人奴隷と奴隷たちですから、料金次第である程度やりたいように扱えます。とはいえ、ここにいるのはあまり質の高い商品でございやせん。囚人さまには、是非もっと上質な女で楽しんでいただきたいものでございやんす……」
ゴブリンはギデオンの手を引くと、さらに路地の奥へと進んでいった。
その場所は、さらに怪しい雰囲気を漂わせていた。
ドーム状の覆いが作られて、区画が薄暗くなっている。その場所に立ち並ぶ歓楽宿の一つ一つは、建物こそ先ほどと同じだが、確かに軒先に座る女の質ががらりと変わっていた。
「……いかがです? ここにいるのは小鬼と人間の混血娘たちでございやんす。若くとても精力的で、さらにここで生まれた分、しかるべき教育もしっかり施されておりますから、満足していただけること請け合いでございやんす」
そこにいる女たちは、ほとんどゴブリンに見えた。だが、肌が緑色でなかったり、片腕だけが人間と同じようなかたちであったりして、ギデオンは用事も忘れて、その驚異的な光景に夢中になってしまった。
「すごいな! ゴブリンと人間は子どもを作れるのか!」
「とても珍しいものでございやんす。しかしここでは毎日、多くの嬌声が飛びかう場所。矢を一万本撃ってようやく当たるような的でも、一万本撃てば当たるものでございやんす」
「真理だな。そう言えばいま、あの混血娘たちはこの街で生まれたと言ったな」
「そのとおりでございやんす。寛大なるヤヌシスさまが妊娠した女を引き取り、屋敷で手厚く扱うのでございやんす。そして混血児を産み落とすと、彼女たちはここに戻ってきて店の女主人の地位を与えられやんす。ですから、軒先に並ぶ女たちは、早く小鬼の子を孕もうと、客に必死に色目を使っているというわけでございやんして」
「なるほど。そういうことだったのか」
「ええ。囚人奴隷でも、奴隷でも、女主人になればここではわたくしたちよりも地位は上になりやんす。それはペッカトリアのルールを歪めることになりやんすが、他ならぬヤヌシスさまがそう命令されているので、仕方ないのでございやんすよ」
「ヤヌシスというやつは、ひょっとすると歴史に名を残すかもしれないな。小鬼と人間の混血児が生まれるというのは、非常に興味深い」
師であるマテリットも、この事実にはきっと驚くに違いない。先生の知らない知識を自分が先んじて身につけたとあって、ギデオンは妙に気持ちが大きくなった。
「では囚人さま、どの娘にされやんすか? わたくしめのおすすめを申し上げやんすと、あちらにいる……その右でございやんす……そうそうあの赤い屋根の……あの、下半身が人間のように大きく発達した混血娘でございやんすね。むっちりと抱き心地が最高ということで、このあたりの人気ナンバーワン嬢でございやんすよ……」
「そうか……? へえ、そうなの……」
「いまはまだ時間が早いでやんすから、まだ客がついていないようでやんすが、もう少しすると客足がひっきりなし! でございやんすよ!」
「あの娘はそんなに人気か……ほう……あ、でも、今日は別にいいが」
そのときになって、ギデオンはやっとここにいる目的を思い出した。
「……そうでございやんすか? ひょっとして、わたくしめに何か至らぬ点がございやんしたか……?」
「いや、そういうわけじゃない。あんたの対応はよかったし、あの娘もすばらしいと思う。ただ、俺はあまりこういう場所自体に興味がない」
極めて残念そうな顔をする客引きのゴブリンに、ギデオンは頭を下げた。
「今日は、ヤヌシスに用がある。あいつの住処はどこだ?」
言いながらギデオンは、ちょっとした好奇心によって、大きな寄り道をしてしまったことに焦りを感じていた。
 




