リルパのお気に入り
ギデオンが無貌種という種族を知ったのは、とある植物を通してだった。
それは正式名称をヴェイリックスといい、もっとも恐ろしい寄生植物として世界的に危険指定されている準絶滅植物だ。
ヴェイリックスは一度生き物に寄生すると、その宿主を模倣しながら自分の支配権を広げていく。
宿主が傷つけば、その傷跡を宿主の細胞そっくりに作った自分の細胞で埋めていき、そこを足掛かりに脳や中枢神経まで到達すると、一気に宿主に牙を剥いて身体の支配を乗っ取ってしまう。
そうして宿主の身体を乗っ取った彼らは他の生物を襲い、そこにまたヴェイリックスの種を植えつけて寄生させる。それが彼らの繁殖方法なのだ。
別名ゾンビ草と呼ばれるこの植物が、どういう経緯で世界に現れたかはわかってない。その一節として提唱されているのが、無貌種のなれの果て、という話だった。
ギデオンはもちろん、この便利な植物を自分の身体に取り込んでいた。
植物は植物である限り、どんな凶悪な習性を備えていようと、変わらずギデオンの奴隷だからだ。
こちらを乗っ取ってこようとしない限り、彼らは宿主の傷を瞬時に癒してくれる可愛いペットに過ぎない……ギデオン以外の人間では、その「乗っ取ってこようとしない限り」という条件を克服するのが、極めて難しいという話なのだが。
眠りから覚醒すると、ギデオンは身体の調子を確認した。
まず、生きている。
あの絶望的な力を持つ怪物に切断された右腕も、貫かれた腹部も再生している。
ヴェイリックスは、忠実に仕事を果たしたようだ。
それからゆっくり辺りに注意を配ると、まだ夜が明けていないことがわかった。
ギデオンは見知らぬ部屋のベッドに寝かされており、部屋の窓から柔らかな月の光が差し込んでいる。
(ここはどこだ……? 俺は教会墓地にいたはずだ)
リルパとの戦闘を思い出す。いや、あれは戦闘というより一方的な蹂躙だったが、ギデオンはそれを認めたくなかった。少なくとも、リルパにも相当の痛手を負わせたはずだからだ。
ベッドから身を起こそうとしたとき、ギデオンは自分の身体が拘束され、うまく動けないことに気づいた。
なるほど、どうやら誰かに捕まったらしい。ドグマはこちらに相当の敵意を向けているようだし、この監獄内に安息の地はないということだ。
しかし、ならばなぜ生かされている?
そう思いながら、自由になる両手で掛布団を取り去ったとき、ギデオンは自分の身体を拘束しているものの正体を知って戦慄した。
(リ、リルパ――!?)
彼女は抱きつくような姿勢でギデオンの身体を腕でロックし、目を瞑ったまま動こうとしなかった。
途端に冷や汗が吹き出し、心臓が早鐘を打ち出した。
パニック状態になって慌てふためいたのもつかの間、この窮地を抜け出す方法を模索するギデオンの頭に、天啓のような閃きが訪れた。
(い、いや……こいつはもう危機ではない……なぜなら、こいつは俺の血を飲んだからだ……猛毒が混ざった俺の血を……)
恐る恐るリルパの様子に目をやると、彼女は生気のない顔で横たわっている。その真っ白な顔は、死人のように見えた。
ギデオンは安堵の息を吐き出してから、ニヤリと笑った。
「言っただろう、リルパ……最後に笑っているのは俺だとな。お前がたとえどんな力を――」
「あ、ギデオン、起きた?」
そのとき、ぱちりと目を開けたリルパと視線が交差し、ギデオンは心臓が止まるかと思うほど驚いた。
「な、なあああぁぁっぁ――!?」
「ごめんね。ギデオンがあんなに美味しいなんて知らなかったんだよ」
リルパはむくりと身体を起こすと、眠そうに目をこすって大あくびをした。
「お、お、お前、なぜ生きてる――!?」
「生きてる? あ、もしかして、わたしがギデオンを殺すと思った? 違うよ、あれはちょっと罰を与えようとしただけだもん。別にわたしは本気で殺そうとしてたわけじゃないし……ほんとだよ……?」
途端にバツの悪そうな顔になって、リルパはもじもじし始める。
何だか、話がかみ合っていない。
「お、お前、俺の血を飲んだだろう!」
「飲んだよ。美味しかったあ」
これはどういうことだ? ――ギデオンは戦慄しながらも、もはや事態が目を逸らしたくなるような展開を迎えていることに気づき、奥歯をぐっと噛み締めた。
わけがわからない。わけがわからないが、一つだけ確かなことがある。
この怪物には、毒が効かなかったのだ! ギデオンが起死回生の手段として繰り出した最後の攻撃が……。万事休すとは、まさにこのことだった。
「ギデオンの目が覚めてよかったあ。ここは病院だよ。わたしが連れてきたの」
「お、お前が……?」
「そうそう。ここなら、怪我を治してくれると思ったんだよね。ギデオンは勝手に治っちゃったけど」
「治す? お前は俺を、殺す気じゃないのか……?」
ギデオンがおずおずとそう訊ねると、リルパは唇を尖らせた。
「……わたしの話、聞いてた?」
「いや……」
混乱して、頭を抱え込む。
何がなんだかわからない。この怪物は、何を考えている……?
するとリルパが静かに身体を摺り寄せてきて、ギデオンはぞくりと総毛立った。
戦慄して身動きできないギデオンをもてあそぶように、リルパはギデオンの胸に何度も頬を擦りつけてくる。
「えへへ、ギデオンが起きてよかった。ずっと看病してたんだからね」
「お、お前が……?」
「うん、途中で眠くなって寝ちゃったけどね。キリンキ! ねえ、キリンキ!」
リルパが大声を出すと、ベッドから少し離れたところに無造作に落ちてある布がもぞもぞと動き、その下からゴブリンが這い出してきた。
「そ、その声はリルパ……?」
「寝ぼけないで! ほら、ギデオンが起きたよ!」
「む……? おお、ギデオンさま! お目覚めになられたようで幸いでございやんす! 色々と大変だったご様子で……」
破顔してにじり寄ってくるゴブリンを手で制止し、ギデオンは眉間を押さえた。
「……待ってくれ。俺はまだ、状況が理解できていない」
「ギデオンさまはこの病院を出てから、墓地に向かわれたそうでやんすね。そこでリルパにやっつけられ、ここに舞い戻ったというわけでございやんす」
「わたしはやっつけようなんて思ってなかったってば! キリンキは、どうしてそういうことを言うの!?」
「そ、そうでございやんした……つまり、その、ギデオンさまは不幸な事故におあいになり、寛大なるリルパによってここまで運ばれ、助けられたというわけでございやんす……」
その言葉を聞いて、ギデオンはじっとリルパを見つめた。
リルパはわざとらしくニコニコしていたが、すぐに気まずそうな顔になって目を逸らす。
その様は、まるで親に叱りつけられて言い訳を探す子どものようだ。
(これがリルパ……? 墓地で会った、あの圧倒的な怪物か……?)
まだ依然として心臓の鼓動は早いままだったが、次第に気持ちだけは落ち着きを取り戻してくる。
「……なぜ俺を助けた?」
「え? それはもちろん、美味しいから」
「美味しい?」
「そうだよ。ギデオンの血は美味しい。飲んだことがないくらい力強い味。そんな美味しい血を枯れさせたらもったいないでしょ?」
美味しい。もったいない。
――まあ要するに、餌だ。
スカーの言葉を思いだし、ギデオンはぞくりと背筋に冷たいものを感じた。
やはり、どんなにとぼけた態度をとっていても、こいつは怪物だ。
赤い目を無邪気に輝かせる少女が、その無邪気さゆえに恐ろしい……。
「……俺はお前の餌として生かされたってわけか」
「そうだよ。今日からわたしに美味しいご飯を提供するの。それがあなたの役目」
「断ったら?」
すっと目を細めたリルパの前に、キリンキが飛び込んでくる。
「も、もちろん、リルパのお願いを断れるものなどおりやせん! ギデオンさまはまだ正気でおられないご様子! リルパ、わたくしめがきちんと説明しておきやんすので……」
「そう? それならいいけどね」
「いい気になるな。神の子だか何だか知らんが、俺を餌扱いしたことを後悔させてやる。お前を殺してやるよ、リルパ」
キリンキが泡を吹いて倒れ、それを見てリルパはクスクスと笑った。
「わたしを殺す? そんなことできっこない」
「残念ながら、俺は不可能という言葉が嫌いだ」
「素敵。こんなに活きのいいご飯は初めて」
そう言うとリルパはギデオンの頬を両手で挟み、上気だった顔を寄せた。
「……あなたはわたしのもの。もう絶対に逃がさない」




