シェイプシフター
飛び出して行ったハウルを追いかけようとするミレニアを、スカーの手が引き止めた。
「……どこに行く?」
「ハウルは大けがしています! 追いかけて治療しないと!」
「お前が行く必要はねえ。あれだけ動ければ、大した傷じゃなかったってことだ。まったく信じられん生命力だな」
「でも……」
「立場を理解しろ。オレが行くなと言えば行っちゃいけねえってことだ。お前はオレの奴隷なんだぞ、ミレニア。その足輪が証拠だ」
スカーがピシャリと言い放ち、ミレニアは奥歯を噛みしめた。
「そんな顔をするな。あのガキはお前に心配されるほど弱くはないさ。ただ、オレには勝てねえってだけだ」
言いながらスカーはネズミたちのカゴに近づき、自分の身代わりとなって死んだ個体を取り出す。
「……こんなに殺しやがって。また補充しねえとな」
「……あなたは私に何をさせようというんです? 私を死なせなかったのにはわけがある。さっきそう言っていましたね」
「簡単なことだ。お前が生きていると困るやつがいるってことは、その逆もいるってことさ。敵の敵は味方ってことだな。お前には、生きている価値がある」
スカーは、ひっくり返った椅子を直すと、そこに座って足を組んだ。
「最近、フォレースでは反乱分子の動きが活発になってる。脆弱な王や横暴な貴族に任せちゃいられないってな。要するに、革命ってやつだ。だが大義もなくそんなことをしても、誰もついてこねえ。やるなら自分たちに都合のいい王族を立ててから、あくまでそいつに忠義立てしたって建前で、事を起こした方がいい」
「それが私ですか?」
「そうさ。お前は民草に人気だからな」
「私はフォレースに害をなす気はありません」
「お前の意思は関係ないんだよ。お前はここに入りたくて入ったのか? 違うだろ? お前の人生は、ずっと誰かに動かされてきた。反乱軍がお前のためと言えば、お前はなし崩し的にそいつらの主になっちまうってことだ」
「では、あなたはその反乱分子とつながっているということですか? その人たちに私を売りたいと?」
「そいつは結論を急ぎ過ぎだ。オレはただの囚人だぜ。そんな伝手があるわけもない」
「ではなぜ私を匿うのです?」
スカーはまた顔を歪めた。笑っているのだ。
「お前が誰かの弱みだからだ。いつか役に立つ。言っただろ? オレは可能性を大事にしているってな。こんな場所で、か弱い囚人が生きていくためには、色々なものを利用しなきゃいけねえのさ」
よく言う。ミレニアは、自分のことを「か弱い」などと嘯くスカーを睨みつけた。
そのとき入り口の方から物音がして、ミレニアはハッと振り向いた。
ハウルが戻ってきたのかもしれない……。
しかし、そこにいるのは見たこともない男だった。男はスカーとミレニアの間で何度か視線を動かし、それからおずおずといった様子で切り出した。
「……スカーの兄貴、こりゃいったいどうしたよ。なんで家の中がこんなに荒れてる? この女が暴れでもしたか?」
「怪物が出たのさ」
「怪物……? まさか……」
「安心しろ、リルパじゃねえ。ちょっとした手違いだ。……で、てめえはどうした? こんな夜になってから何の用だ?」
スカーが話を促すと、途端に男はニヤリと意味深な笑みを浮かべた。
「よかったぜ、兄貴。この女をまだ殺してなかったんだな」
「どういうことだ?」
「ボスからの命令を伝えにきたのさ。その女を今夜中に殺せってな。兄貴のことだから、どうせすぐ殺しちまってると思ったけど、まだならラッキーだ。俺も一緒に楽しませてくれ」
「ボスが? 何かの間違いじゃないのか?」
そう言いながらも、スカーはそれが当然とばかりに表情を変えない。
「間違いじゃねえよ。ボスは妙に焦ってた。きっちり女が死ぬところを見届けてこいって、念を押されてきたんだぜ」
「そうか。じゃあこの女は殺す。お前はもう帰っていいぞ」
「……え?」
「オレがきちんとボスに便宜を図っておく。お前は帰れ」
スカーが言うと、男は途端に気色ばんだ。
「そりゃねえぜ! あんたばっかりいい思いをして、たまには俺たちにも分け前をくれよ。こんな上玉、今度はいつ落ちてくるかわからねえ! 一回くらい抱かせてくれよ……」
殺すだの抱くだのと、当の自分を置いて会話を進める二人に、ミレニアは血の気が引く思いをした。やはり、この場所は狂っている……。
「オレの言うことが聞けねえのか、ラスティ? 見ろ、この部屋は散らかってる。オレはいま、平穏を乱されて苛立ってる。ここを荒らした狼には、まんまと逃げられた。女一人殺しても、とても発散できそうにねえ……」
スカーが立ち上がり、ラスティと呼んだ男に詰め寄ると、彼は途端に及び腰になった。
「じょ、冗談だよ……兄貴。本気にしたかい?」
「てめえは面白い冗談を言うやつだ! ハッハッハ! 笑えるぜ!」
ひきつった笑みを浮かべるラスティと一緒になってひとしきり笑ってから、スカーはぴたりと無表情になった。
「……冗談はもう楽しんだからよ。ほら、さっさと帰れ」
「わ、わかったよ。死体がいらなかったら言ってくれ……お、俺が引き取りにくるよ」
「囚人奴隷の死体は火葬だ。それに、死体置き場はオレの管轄だ。てめえはてめえの仕事をしな、ラスティ……」
スカーに脅しつけられるようにして、ラスティはすごすごと帰って行った。
「……さてお嬢さん。いまの話は聞いていたか?」
スカーはくるりと振り返ってミレニアに向き直ると、青い目を輝かせた。
「私を殺す気ですか? 結局……」
「ついてこい。お前に会わせたいやつがいる」
嫌だと言っても抵抗できるわけもなく、ミレニアはスカーに連れられて奥の部屋へと移動した。
そこは書斎のようだった。壁に沿って等間隔で並べられた本棚に、それぞれびっしりと本が詰め込まれている。
スカーは一つの本棚に近づき、中心にある本を奥に押し込んだ。すると驚いたことに、本棚が後ろの壁ごと回転し、その向こうに暗い空間があるのがわかった。
スカーはミレニアの手を引いて、暗闇へと入っていく。
「気をつけろ。ここから階段になってる。らせん状の階段だ」
「階段?」
「地下室がある」
少し降りていくと、ぼんやりとした明かりが見えてきた。
地下室には、いくつか格子扉がはめ込まれた牢屋のような小部屋がいくつかあった。
小部屋の中に何かがいて、ごそごそと動いている。片足に鎖をつけられているらしく、思うように身動きが取れないようだった。
これはスカーの奴隷だろうか? まさか、ここで拷問か何かをして楽しんでいる?
先ほどラスティの言っていたことからもわかるように、スカーは人を殺すのを何とも思っていない節がある。というよりも、むしろ――ミレニアにはとても理解できない感情だが――殺しを楽しむことさえできる異常者なのだ。
「死にたくないだろ、ミレニア」
スカーは、蠢く何かがいる小部屋の前で振り返ると、ミレニアに問いかけた。
「……あなたの慰みものになるくらいなら、死んだ方がマシです」
「落ち着けよ。お前は無貌種という生き物の存在を聞いたことがないか?」
「無貌種? いえ……」
「どんな姿にもなれる生き物のことさ。オレは伝手あって、それを手に入れることができてな。といっても、完全な個体じゃねえ。あいつらは自分たちが何者かって考えるあまり、よく自閉症を煩う。さらに運が悪いやつの中には、人間で言う植物状態にまで陥っちまうやつも多いのさ。哲学者過ぎるんだな」
スカーは肩をすくめて、続けた。
「オレがもらったのもそういうやつだ。まずはこいつを見な」
牢屋の中には、スカーそっくりの人間がいた。それは、牢屋の前にスカーがいるのに気づくと、途端に怯えだした。
これがどんな姿にでもなれるという無貌種? 確かに、二人はそっくりだ……。
スカーは格子の鍵を開け、小部屋へと入っていく。そして突然、わけのわからないことを言い出した。
「おい、スカー。てめえ、一年くらい前にドグマから奴隷の女を貰ってたって話を、オレにしたっけかな?」
「し、したよ。話せることは全て話した……」
「嘘を吐くんじゃねえ! あやうく、あのデブの前でぼろを出すところだったじゃねえか!」
懇願するように這いつくばるそれを、スカーは思い切り蹴りつけた。
そうしてしばらく哀れな囚われ人を足蹴にしてから、ミレニアの方を振り返る。
「……わけがわからないって顔をしてるな。説明してやろうか? あるとき、このクズはとある女に手を出したのさ。自分よりも弱い女をなぶり殺しにするのが趣味のこいつには、うってつけの囚人奴隷だった。しかし運の悪いことに、その女はこのクズよりも遥かに強い力をもっていた」
わけがわからない。わけがわからない方向に、話が進んでいる……。
「女は、クズをぶちのめしてから考えた。利口に立ち回る手段をな。女は運も味方して、すでにこの世界で無貌種たちと接触できていたから、植物状態の個体を手に入れて自分の死体を偽装し、逆に自分に手を出したクズと入れ替わった。……ところでミレニア、オレの力は何だ?」
「え……それは……い、生き物と神経回路を繋げて……」
「そう。そしてさっきオレは言ったよな? オレはずっと、一つのことで気が張っちまってるってな。いや、無貌種の神経回路をいじって、スカーの顔を作るのはわりと簡単なんだ。大きな傷で誤魔化せるから、そこまで複雑に表情を動かさなくてもいい。一番難しいのは声だ。これは結構、練習したんだぜ」
その瞬間、スカーの顔が――これまで、ミレニアがずっとスカーだと思っていた人間の顔が――どろりと溶け、その下から美しい女性の顔が現れる。
ミレニアはあまりの衝撃に驚き、ハッと息を呑んだ。
女性が煩わしそうに首を振ると、豊かな金髪がさらりと落ちた。
「……これが無貌種だ。ま、いまはオレの――いや、アタシの奴隷だな」
これまでの低い声ではなく、いまや鳥が歌うような美しい声でそう言う女性は、自分の手に乗ったスカー状の薄膜を見つめた。
サイズは上半身を覆うくらいだろうか。それは少しだがウニョウニョと動いており、さらによく観察すると、その薄膜の裏側には確かに、付与魔法を構成していると思しきマナがべったりと張りつけられている。ミレニアの目には、それが見えた……。
「お前の死体は、これで用意してやる。アタシがやったのと同じようにな。なに、囚人奴隷の死体は火葬ののちに共同埋葬だ。死体がうっかり抜け出して、骨がちょっとばかり減っても誰も気づかねえ。これはそういう話さ、ミレニア」
「あ、あなたは誰なんです……?」
少なくとも、スカーではなかったのだ。そう呼ばれる男のふりをして、ずっと周囲を欺いていたこの女性の名前は――。
「この監獄ダンジョンを攻略する女だ。名前はメニオール」
彼女は自分の耳を指差し、ニヤリと笑った。純粋種の耳ほどではないが、彼女のそれは特徴的な尖り方をしていた。
「半端物のメニオールだ」




