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監獄ダンジョンと追放英雄  作者: ゆきのふ
囚人都市ペッカトリア
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生態系の頂点

 突如として眼前に現れた絶望的な脅威に、ギデオンは戸惑いを隠せなかった。


「あなたには罰を与えるね。わたしはこの世界の秩序だから」


 リルパが一歩を踏み出すと、無意識のうちにギデオンは一歩後退する。


 自分が一歩前に出ると、相手は一歩引く……そんなゆっくりしたイタチごっこが楽しかったのか、リルパはクスクスと笑ってから――一気に踏み込みの速度を上げた。


 ギデオンはなりふり構わず植物を活性化し、自分とリルパの間に幾重もの障害物を張り巡らせた。


 並みの金属よりもよほど硬いアダメフィストの樹皮を使った堅牢な砦だ。その気になれば、ギデオンは一国の軍隊からも自分の身を守り続ける自信があった。


 防衛の役割を与えられた樹皮層の連なりは、さながらギデオンを中心として年輪を刻む大樹の幹のようだった。


「硬いなあ。硬い? いや、硬くないかも……」


 バリバリと何かがめくられる音とともに、緊張感のない声が、次第にギデオンの方へと近づいてくる。


(アダメフィストの砦が、足止め程度にしかならないのか!?)


 こいつはとんでもない怪物だ。ギデオンは心臓が早鐘を打つのを感じながら、この窮地を脱する方法を考えた。


 どんな植物なら、この怪物を止められる? もう一度マンドラゴラの絶叫をやってみるか?


 しかし先ほど少し離れた場所にいたとはいえ、この少女にもマンドラゴラの声は聞こえていたはずだった。


 にもかかわらず精神に何の影響を受けていなかったところを見ると、リルパにその攻撃は通用しないものと見ていい。攻撃の機会が何度も得られると考えにくい現状で、試しにこれでいくという選択肢を取るほど、悠長に身構えていられない。


 やるなら、最大のとっておきを繰り出すしかない。


 ギデオンには、瞳術師のキャロルの手を借りて調整していた切り札がある。


 その最終調整をミレニアに手伝ってもらう予定だったが、威力だけならもう完成の域に達していると考えていい。あとは色々な場面で臨機応変に使用したり、小回りを利かせたりとか、そういう類の微調整が必要なだけだ。


(全力で叩きこんでやる……! 植物の熱放散を舐めるなよ……)


 そのときバリバリと樹皮がはがされる音がやみ、場がシンと静まり返った。

 ギデオンは敵の気配が消え去ってしまったことに戦慄した。


 直線的に突っ込んでくるのではなかったのか? いったいどこからくる……?


「見つけた。引きこもりさん」


 声がしたのは真下だった。

 ギョッとして視線を下ろすと、地面から不自然に生えた幼いリルパの笑顔が、こちらを見上げていた。


「う、うおおおおおあああァァァァァ!」


 ギデオンは焦燥感とともに絶叫し、その怪物に右腕を向けた。


「く、くたばれ怪物! これが俺の――」


 何かが、ギデオンの目の前で宙を舞う。


 赤い液体をまき散らして飛んでいくのが自分の右腕だと気づくのに、しばらく時間がかかった。


「……え?」

「俺の、何?」


 リルパは何の抵抗も感じさせない様子で土中から這い出すと、クスクス笑いながらギデオンの前に立った。


 少し離れた場所に、主人から切り離された身体の一部がドサリと落ちる。


 ギデオンは、どこかぼんやりしたまま自分の右腕の方に目をやった。二の腕から先の方がなくなっていて、すっぱり切れた綺麗な断面から、赤い血が勢いよく流れ出していた。


 なぜかそのときになって、ようやくギデオンは冷静さを取り戻した。

 いや、冷静というよりは、それはほとんど諦めに近い感情だったのかもしれない。


「……驚いたな」

「驚いた。何に?」

「お前のような怪物がいるという事実に。上には上がいるものだ」

「そう」


 短く言うと、リルパは自分の腕をギデオンの腹に突き刺した。


 その一撃は、硬化された身体を容易く貫通する。

 新しくできた傷跡から、また血が流れ出ていくのを感じながら、ギデオンの意識は次第に薄れていった。


 膝から崩れ落ち、華奢な少女にもたれかかるギデオンの首筋に、リルパが噛みついてくる。


 そのとき、ああ、そう言えば、とギデオンは思い出した。


 リルパが、人間の血を好んで飲むということ。


 つまりは、こいつが生態系というわけだ。

 これは、力のあるものが力のないものに対して行う、捕食活動に過ぎないのだ――と。


 しかし、そんな絶望的な状況の中、ギデオンはこの怪物を排除するもっとも有効な方法を閃き、人知れずニヤリと微笑んだ。


 ――それは、毒だ。


 ギデオンの体内には、ありとあらゆる植物が取り込まれている。毒性植物を活性化させて血液中に猛毒を作り出すことなど、あまりに容易いことだった。



 ※



 口の中に広がる芳醇な味に、リルパは目を大きく見開いた。

 

 これほど力強い血を飲んだことがない!


 リルパの一番のお気に入りである『最愛の人(フレイヤ)』の血にも負けない、美味しくて活力に満ちた味だった。


「どうしよう、すごく美味しいんだけど……」


 口を離して一人呟くと、途端にリルパはおろおろし始めた。


 大変だ! こんなに美味しいものを枯れさせてはいけない!


 ゴブリンたちのお話しによると、「生き物は生きるために食べるのでございやんす」ということだったが、リルパに言わせれば「いや、生き物は食べるために生きるのでございやんす」だった。


「リルパは決して、そのような下々の使う言葉を使ってはだめでございやんす……」


 そのときゴブリンたちは何かおろおろしていたが、リルパは気にしなかった。


 要するに、ゴブリンたちとリルパの哲学は違っている。食事は何にも勝る快楽だし、美味しいものを食べること以上に大切なことなんてない。


 となると、いまのこの状況は危機的だった。

 貴重な最高級食材が、どんどんと失われている……しかも、自分のポカによって。


「……いや、これはラーゾンのせいだ! ラーゾンが、ギデオンが悪いとかいうから!」


 そんなことを言っている場合ではなかった。死んでしまった人間に罪をなすりつけても、事態は好転しない……とはいえ、ラーゾンが悪いことは確かだけれども……。


「ああ、どうしよう……もっと早くに美味しいって教えてくれてたら、こんなことにならなかったのに……」

「……俺の血を飲んだな……? ただでは済まんぞ……見ていろ、お前がどれほどの怪物であろうと、最後に笑っているのは俺だ……」

「え?」

「『強さ』とは……力をもって為したことの大きさだ……」

「何か変なこと言ってる……」


 青ざめた顔でぶつぶつと呟くギデオンを見て、リルパは絶望的な気分になった。

 きっと、もう意識が朦朧としているのだ。この出血の量だし、無理もない。


 このままでは大きな損失がやってくる! 世界的損失だ!


 リルパは、自分がもっと幼いころ、崖から落ちて膝を擦りむいたときのことを思い出した。

 確かあのときは、病院に連れて行ってもらったっけ……。


「そ、そうだ! 病院に行けばギデオンも助かるかもしれない!」


 リルパは焦燥しながら、ギデオンをひょいと担ぎ上げた。

 そしてすぐ、目の前に広がるゴツゴツした壁に行く手を遮られる。


「――邪魔だよ! こっちは急いでるの!」


 壁を見てイライラしたリルパは、そこにこぶしを思い切り叩きつけた。轟音とともに壁に大穴が空き、視界が一気に開ける。


 リルパはギデオンを担いで走った。墓地を抜け――教会を飛び越え――ペッカトリアの風景を、どんどん視界の後ろへと置き去りにしていく。


 そしてあっという間に白亜の建物へ辿り着くと、その辺りに広がる惨状に目を剥いた。

 たくさんのゴブリンたちが倒れている。


 ここで何かがあったのだ!


 ひょっとしたら、リルパから美味しいギデオンを奪ってやろうという謎の陰謀があるのかもしれない……。


「キリンキ! キリンキはどこ!?」


 リルパは、この病院を管理するゴブリンの名前を呼びながら、そこら中に物がひっくり返っている建物内部を走った。


「……うう……リルパ……?」

「あ、キリンキ! 大丈夫!?」

「わ、わたくしめは何を……? 確かシェリーさまの仮面をいただき……」

「そんなことより、無事だったならギデオンを診てよ! 死んじゃう!」


 リルパはキリンキの肩をがくがくと揺すって懇願した。


「リ、リ、リルパ……ありがたき幸せでございやん……あ、でも、ちょっと揺すり過ぎ……」

「早く! お腹に穴が空いちゃって、右腕もないんだよ! でも美味しいんだ!」

「そ、それは大変でございやんす。いったい誰が、リルパの美味しいお気に入りにそのような真似を……」


 リルパは気まずくなって、さっと目を逸らした。


「し、知らない……見つけたらこうだったんだもん……」

「……リルパ?」


 胡乱気なキリンキの声が響いた。懐疑的という声は、こう出すのだと言わんばかりの声だった。


「い、いいから、とにかく治してよ! キリンキならできるでしょ! わたしの膝小僧も治したんだから! あのしみる薬をギデオンにも塗って!」

「い、いえ……しかし……お腹(・・)()()()空いて(・・・)()右腕(・・)()ない(・・)……?」


 キリンキは、戸惑った表情でギデオンを見ている。


「そうだよ? わたしがやったんだから間違いないし」


 しまった、ついぽろっと言ってしまった。でも、キリンキなら許してくれるはずだ……。

 しかしリルパは、あまりにもキリンキが困惑している様子なので、いよいよ心配になってきた。


「ご、ごめんね。勘違いがあったんだよ。ラーゾンが悪いんだ。わたしはギデオンが悪いなんて、これっぽっちも思ってなかったんだけど……」



「――いえ、この囚人さまには右腕もありやんすし、お腹に穴など空いておりやせんが……」



「……え?」

 

 リルパは驚いて、ギデオンの身体に目をやった。

 キリンキのその言葉どおり、ギデオンの身体はどこかが欠損しているどころか、傷一つついていない……。


「あれ、どういうこと?」

「いえ、わたくしめに聞かれやんしても……そう言えば、この方はギデオンさまでございやんすね。先ほどここをお訪ねになられたとき、一度お顔を拝見いたしやんした」

「いや、最初からそう言ってるじゃん。誰だと思ってたの?」


 キリンキはリルパの質問を一旦保留にし、ギデオンの胸に尖った耳を持っていく。


「……心臓も動いておりやんすね」

「心臓が動いてる?」

「ええ、リルパの美味しい血は枯れておられやせん。このお方は、生きておられやんすから」

「よかったあ! ……でも、最初からわたしはわかってたけどね……?」


 美味しい血の泉が枯れずに済んでホッと安心した途端、リルパは何だかキリンキに申し訳ない気持ちになってきて、彼からまたさっと目を逸らした。



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