切り札
「ミスリルを自在に操れるようになったとき、ぼくが想定する最大の敵はペリドラだったんだ。彼女は魔法に頼らず、己の肉体と体力を武器として戦う。一方で魔法に頼って戦う者ならば、その魔法を奪ってしまえば何もできなくなるわけだからね」
フェノムは剣を一閃し、ギデオンの足場を支えている木を切り捨てた。
ゆっくりと倒れる木から跳躍し、大地に着地する。
フェノムの言葉のせいというわけではないが、ギデオンは、そばにあるペリドラの亡骸に目をやった。彼女のすぐ近くに、巨大な大槌が置かれている。
「その大槌は、大地穿ちという。それを、彼女の墓標代わりに掲げてやろう。フルールから授けられ、彼女だけが扱うことができた武器――いや、兵器だ」
ギデオンは、大槌を握った。
そして力を集中する。肩口からメキメキと生え出た蔦が右腕を覆い、その先にある大槌を絡め取った。
急造のサポーターの力を借り、ギデオンはたちまち大地穿ちを持ち上げた。
「――驚いた! 君の腕力はペリドラ並みか!」
「呼吸を制限すれば、これくらいのエネルギーを生み出すことは可能だ。流石にあんたのミスリルでも、俺の体内にあるマナを吸うことはできないだろ?」
「しかし、それではすぐに息切れを起こすよ」
「どうかな?」
ギデオンはフェノムに向かって、一直線に飛び込んだ。
大槌の一撃を受け切れないと思ったのか、フェノムは大きく横に飛んで突撃を躱そうとする。
ギデオンは今度、左手から蔓を伸ばし、フェノムの身体を絡め取った。
「ほう……!!」
「あんたが死ぬまで、叩き潰し続けてやる!」
「残念ながら、それは不可能だ!」
バチバチと音を立てながら、蔓が分解されていく。そしてそこに、新しく細身の刺突剣が構成される。
切っ先はギデオンの心臓に向いていた――
しかし、ギデオンはそれを意に介さなかった。
鋭く尖った剣が、ギデオンのまとったアダメフィストの鎧を刺し貫く。切っ先が心臓に到達し、鋭い痛覚への刺激で目の前が明滅する。
「……ほら、言わないことじゃない。勇気は買うけどね」
「……俺は、不可能という言葉が嫌いだ」
「……何?」
「不可能を可能にするのは、錬金術師だけの特権じゃないぞ!」
ギデオンは目を見開き、思い切り大地穿ちを振り抜いた。
大槌は油断していたフェノムの身体をまともに捉え、軽々とエントランスの天井まで吹き飛ばす。
一瞬の静寂とともに、フェノムが地面に落ちてベチャリと青い血が飛び散った。
即死だ――普通であれば。
ヴェイリックスが自身の傷を修復するのを、ギデオンはじれったく思いながら待った。
あの程度で、フェノムが死ぬとは思えない。
自身の身体を、思い通りに作り変えてしまっている人間。そんな存在自体が反則じみた相手が、いま対峙している敵なのだから……。
案の定、青い血だまりの中でフェノムがゆっくりと立ち上がる。
「まったく、君には驚かされっぱなしだ……ギデオン……」
バチバチと物質が変換される音が響き、フェノムの身体が修復されていく。
そうしている間に、こちらの修復もようやく完了する。
「君のような生き物が存在するとはね。本当にこの世界は広い」
「……あんたに言われるとはな」
ギデオンは大槌を構えた。
いまのような肉を切らせて骨を立つ戦術では、どうにもあと一手に欠ける。何とか隙を作って、こちらの攻撃を先に叩き込まなければならない。
そんなことを考えている間にも、フェノムの作った刺突剣が降り注ぐ。
ギデオンは攻撃を避け、ときに大槌で薙ぎ払い、必死に頭を巡らせ続けた。
植物を生み出しても変換される。大気のマナを使って攻撃しても、ミスリルに吸収される。
おまけに、肉体は再生を繰り返すときている。
――強い。
まさに、圧倒的な強さ。
だが、その強さを認めるわけにはいかなかった。
なぜならギデオンが教わった考え方では、単なる戦闘能力の高さを強さと同一視しないからだ。
「……そうとも。強さとは、力をもって何を為すかだ。力をもって為したことの大きさだ。そして、あんたが為そうとしていることを、俺は正義と認めるわけにはいかない!」
ギデオンは、空間に木々を乱立させた。目的は二つある。
一つ目は、刺突剣の雨を妨ぐため。直線的な軌道を描くフェノムの攻撃は、その場に障害が増えれば通りにくくなるはず。
もう一つは、もちろんこちらの攻撃のためだ。木々はいい目くらましの役目を果たす。
木に身体の片方を預けながら、少しずつフェノムとの距離を詰めていく。それだけで全範囲だった剣の攻撃範囲を制限することができる。
ギデオンは続けて、マナコールを使って大気のマナを自身の上方へと呼び寄せた。
「ペリドラ……あんたの無念を、いま晴らしてやる」
ギデオンは大地穿ちに向かってそう語りかけた。
それから木の影から飛び出すや、フェノムに向かってその大槌を思い切り投擲した。
「むっ……!!」
フェノムは跳躍して、その攻撃を躱す。追撃を防ぐためか、彼は木々の向こうに身を忍ばせた――しかし、それこそがギデオンの待ち望んでいた状況だった。
「木々よ、そこをどけ!」
空間にひしめいていた木々が、自身の主に頭を垂れるかのように、あるものは根元から真っ二つに裂け、あるものは急速に枯れて、ギデオンからフェノムに続く一直線の道を作り出す。
「これは……!?」
「植物は俺の奴隷だと言ったはずだぞ!」
ギデオンは上方に伸ばしていた左腕を、フェノムに向けた。
すでに腕の先に集まっていたマナの道が、完全に彼の身体を捉える。
ギデオンはフェノムが体勢を整える前に、火炎舌のブレスをマナの奔流に解き放った。
完全に隙を突かれたかたちになったフェノムは、ギデオンの持つ最大の一撃をまともに食らうことになった。
先ほど、彼自身が言っていたことだ。
直撃を受ければ、間違いなくやられていた、と。
今度は完全に捉えた……!
あの状態からミスリルの柱を作り出す時間は、絶対にない。
いかに不死身といえども、身体の全てを消失させてしまえば再生するも糞もない。完全に、勝負は決した。
勝利を確信した刹那――しかし、ギデオンはぞくりと背筋に冷たいものを感じた。
「な……?」
この感覚を、ギデオンはよく知っていた。
リルパがマナの流出点を開き、赤い紋様を身にまとったとき、辺りにまき散らされる途方もないマナに、何度か当てられたことがある。
先ほど自分の方が仕掛けたマナ中毒。どういうわけか、いまになってそれをギデオンが味わうことになっていた。
まっとうな生物であることを放棄していないギデオンは、フェノムのようにその耐性を身につけていないのだ……。
「……まさか世界種に非ざる者との戦いで、これを使うことになるとはね」
熱線の舞い上げた砂埃の向こうから、フェノムがゆっくりと姿を現す。
彼の手には光を放つ宝石が乗っている――いや、あれは宝石などではない。
昨日フェノムの家で見せられた、究極物質。
擬似的なマナの座を生み出すという、その名も――
「賢者の石……」
ギデオンは呻いた。
そうだ――フェノムはまだ、切り札を残していたのだ。
あたりに転がるミスリルの剣が、一気に黒化していく。
突如として現れた世界の大穴。そこからあふれたマナが、凄まじい勢いで空間を侵食していた。




