フェレシスとヤヌシス
ゴルゴンの瞳は、幼いころからフェレシスに苦痛しかもたらさなかった。
その瞳のせいで、物心ついたときからずっと自分の住処は暗闇。
話に聞いたところによると、フェレシスは瞳を開いたその日に両親を石化してしまったということらしく、それからずっと視界を封じられて生きてきたのだった。
ある日、みなし子として村の孤児院で生活するフェレシスのもとを、数人の大人たちが訪れて言った。
「この村の一員として、これからも生きていくつもりはあるか?」
「……はい。私はここを出ても、どこにも行くところはありません」
「では、その両の瞳を潰すことだ、フェレシス。お前の瞳は呪われている。きっと、前世でよほど悪行を積んだのだろう。その罪を償わなければ」
「瞳を潰せば、罪を償うことができるのですか?」
「きっと神もお赦しになる」
それを聞いて、フェレシスはパッと心が明るくなるのを感じた。
「それで赦しを得られるのなら、いくらでも目を潰します! 私の罪は、瞳にあったということですね! ああ、どうしていままで思いつかなかったのかしら……?」
「いい子だ、フェレシス。明日、医者を連れてくる。痛いのは嫌だろう?」
「痛くたって構いません! いますぐ、こうやって――」
目隠しの上から瞳を押しつぶそうとするフェレシスを、大人たちが慌てて止める。
「明日まで待ちなさい! お前の覚悟はわかったから……」
怯えるような態度で彼らが出て行ったあと、フェレシスは幸福感でいっぱいになった。これで、疎外感を覚えずに済む。
孤児院でもフェレシスは一人だった。でもこれからは友だちがたくさんできて、みなと変わらず、楽しく生きることができるのだ。
視界は失っても、いままでだってそれに頼らず生きてきた。フェレシスは生まれつき、熱を感知する力に長けていた。それで物事を把握することができたので、特に何かを「見る」ことの必要性を感じなかったのである。
……そうして幸せいっぱいのまま眠りについたフェレシスは――しかし寝苦しさを覚えるほどの暑さで目を覚ました。
あたりに熱気が漂っている。パチパチとものが爆ぜる音がした。
「火事だわ……大変……」
フェレシスはさっと青ざめ、部屋から逃げ出そうとした。
しかし、扉が開かない。外開きの扉なので、この火事で何かが扉の向こうに倒れてしまい、閉じ込められてしまったのかもしれない。
「助けて! 誰か助けて!」
フェレシスは窓に駆け寄ると、外に向かって大声を出した。
そして、ぎょっとする。燃えているのは、この孤児院だけではない。村全体が、炎の熱気に包まれている……。
「ど、どういうこと……? ああ、こんなことって……」
フェレシスは恐怖で頭がおかしくなりそうになり、その場にペタンと尻餅をついた。
あと一日で幸福が訪れるはずだったのに……この村に受け入れられ、友だちを作って楽しく生きるはずだったのに……。
「――ああ、ここにいたのデスね! 神聖なる瞳を持つ、メフィストの巫女は!」
そのとき、開かない扉の向こうから、そんな声が聞こえた。
「……え?」
「間に合ってよかったのデスよ! あなたの瞳が潰されてしまうのではないかと、肝を冷やしました!」
その声とともに扉が爆発して燃え上がり、一瞬で炭化して崩れ落ちる。
そこに立つのは、小さな少女だった。もちろん、見えるわけではない。熱を帯びる輪郭で、そう判断したというだけ。
彼女はフェレシスに近寄り、力強く抱き締めた。
「ああ、ワタシのゴルゴン……メフィストよ、お恵みに感謝いたします……」
「え、な、何なんですか、あなたは……」
「ワタシはヤヌシス。メフィストより、神託を受けた者デス。そんなことより、行きましょう。ここにいたら、炎で焼け死んでしまいます」
その言葉で、フェレシスは自分の置かれている状況を思い出す。
燃え盛る村……。あとたった一日で、手に入った幸福……。
「ああ、村が……私の幸せが……」
「大丈夫、あなたを苦しめるものは、全てワタシが燃やしました。もう安心デスよ」
「も、燃やした……?」
「ええ、こうやって」
ヤヌシスが手を掲げると、その先の壁が爆破炎上した。
「ま、まさか……あなたがこの村をこんな姿に……?」
「もちろん。この村の愚か者どもはワタシのゴルゴンを虐げ、あまつさえその瞳にさえ手を出そうとしたというではありませんか! 間に合ってよかったデスよ!」
「そんな……」
「ああ、お礼はいりません! 受託者が巫女を助けるのは、当然の責務デスからね!」
ヤヌシスは困惑するフェレシスの手をぐいと引き、燃え盛る孤児院の中を駆け出した。
「助けて……誰かあ……」
そのとき廊下の脇で、すすり泣く声が聞こえた。
彼は孤児院で暮らす子どもの一人で、フェレシスを「目なし」と呼んでからかういじめっ子だった。
どうやら、燃え落ちた柱に足を挟まれ、動けなくなっているらしい。
しかしヤヌシスは、彼の声など聞こえなかったかのように、そこを素通りしようとする。
「待ってください! 助けないと……」
「助ける? 誰を?」
きょとんとした声を出すヤヌシスに、フェレシスは必死になってその少年を指差す。
「ワタシは、彼を助けているではありませんか? ワタシの炎は、煉獄の炎。罪人を焼き、その汚れた魂を浄化するのデス。この村は、あなたを育てる揺りかごとして相応しくなかった。むしろあなたを排斥し、ずっと苦しめ続けてきました。彼を含めた住民全てに罪があります。その罪をいま、償わせているのデスよ」
「あなたが、何を言っているのかわからない……」
「彼はあなたをいじめませんでしたか、フェレシス? 仲間外れにしたでしょう?」
「それは……私が生まれながらの罪人だったから……呪われた瞳を持っていたから」
「ああ、なんてこと……この村は、高貴なあなたに間違った価値観を植え付けるという大罪まで犯したようデスね! 目を覚まして、フェレシス! あなたが間違っていたのではありません! あなたを取り囲む環境こそが、狂っていたのデスよ!」
ヤヌシスはヒステリックに声を荒げ、そして、動けない少年に向けて手のひらを開いた。
ボン! と爆ぜる音が響き、少年が熱に包まれる。
絶叫が響き渡り、フェレシスはハッと息を呑んだ。
「これが正しいあり方デスよ、フェレシス。あなたは不当な苦しみを受け続けてきました。彼が憎いでしょう? この村が憎いでしょう? そう感じることが、普通デスよ。なぜなら、あなたは生まれながらに正しいから」
「生まれながらに、正しい……私が……?」
フェレシスは誰かに肯定されることなど、生まれて初めてだった。
「そうデスとも! ワタシはあなたを肯定しますよ、フェレシス! 偉大なるメフィストのために働く種族、それこそがゴルゴンなのデス! あなたは神に選ばれ、神がこの汚れた地に遣わした希望の光なのデス!」
少年の絶叫は続く。しかし、その声は少しずつ力を失っているように思えた。
フェレシスは彼の苦しみを想像して、相応しからざることを考えている自分に気づき、ぞっと血の気が引く思いをしていた。
ざまあみろ、と。
心の中で、確かに悪魔のささやく声が聞こえたのだ。
「考えを改めなくては、フェレシス! あなたの身につけた価値観の全てが、まるで逆なのデス! あなたが正しいと感じる窮屈な理屈こそが間違っていて、あなたの罪悪感を生み出す全ての概念が正しいのデス! あなたはワタシのゴルゴンなのデスよ、フェレシス!」
逆? ではこのささやきは、悪魔のものではないのだろうか……?
よくよく思い返してみると、ささやいているのは悪魔ではなく、天使ではないかという気がしてくる。
「――ざまあみろ」
天使の言葉を、フェレシスは自分でも言ってみた。
燃え盛る炎に抱かれ、力なく叫ぶ少年に向かって。
そのとき、ずっと心に抱えていた鬱屈した劣等感が、パッと晴れる気がした。
フェレシスは目隠しを取って、辺りを見渡した。
そしてそこに広がっていた光景を見て、うっとりとため息を漏らす。
空間を占める赤い炎。そして、もうもうと上がる黒い煙……。
「ああ、綺麗。あなたの炎は、とても綺麗ですね、ヤヌシス……」
「わあ! それはまだ早いデスよ、フェレシス! きちんと、メフィストから授かった神託の内容を説明してからでないと!」
ヤヌシスは両手で顔を隠し、しゃがみ込んだ。
「ああ、ごめんなさい……!」
慌ててそう言ってから、フェレシスは改めて目隠しをした。
「あの……もう大丈夫デスか?」
「大丈夫ですよ。きちんと瞳は隠しました」
おずおずと、ヤヌシスが立ち上がる。
「はあ、びっくりしました! でも、あなたの心の迷いは晴れたようデスね?」
「はい。あなたは、私を助けに来てくれたんですね?」
「そうデスよ!」
ヤヌシスは、えっへんと胸を張る。
その子どもらしい仕草に、フェレシスは思わず笑みを浮かべてしまった。
「私たち、友だちになれるでしょうか、ヤヌシス……」
「友だちになんてなれませんよ! ワタシたちは、そんな俗な言葉では言い表すことのできない、それ以上の関係になるのデス!」
友だち以上の関係と聞いて、フェレシスは思わず顔が熱くなるのを感じた。
(いや、でもヤヌシスは女の子だし……)
頬が熱くなるのは、決して燃え盛る炎のせいだけではなかった。
最終章の開幕です。だいたい、あと十数話でしょうか。
最後まで頑張りますᕙ(`・ ω ・´)ᕗムキッ




