誇り高き統率者
ペリドラは、一瞬リルパの加勢に向かうべきかと考えた。
しかし、ここにはフルールがいる。いまこの城を空にして、彼女の身に万が一のことがあってはならない……。
とはいえ、リルパの身も大いに心配だった。意膜を破り、自身を傷つけられる者との戦闘など、リルパは経験したことがないのだから。
まさかヤヌシスに、あのような力があったとは……。
二人の主の間でおろおろと動揺するペリドラは、エントランスの隅から、バチバチと何かが爆ぜるような音が聞こえてくるのに気づいて、ハッとなった。
「……君の健闘を祈っているよ、フェレシス」
その言葉とともに、ゆっくりとフェノムが立ち上がる。
リルパに貫かれた身体の傷がみるみるうちに癒えていき、最後にそこを白い肌が覆う。
口から垂れた青い血を拭うと、フェノムはニヤリと笑ってペリドラを見つめた。
「さて、リルパがいなくなったことだし、ぼくはこれで何の障害もなくフルールに会いに行けるというわけだ」
「……わっちがおりんすよ、フェノムさま」
「そろそろ認めたまえ。君では、ぼくに勝てない。ぼくはこのとおり、とっくの昔に人間であることを放棄している。世界に、正しい生き物と認識されてすらいないような状況でね」
「そんな方が、よくもリルパのことを怪物などと」
「毒をもって毒を制すという言葉があるだろう。怪物と戦う者は、怪物に近づかなければならない。ただ、それだけのことだ」
フェノムの周りにまた無数の剣が現れ、彼は左右の手でそのうちの二本をそれぞれ掴み取った。
ペリドラは顔をしかめた。
また同じように戦いを続けても、確かにフェノムの言うとおり、こちらに勝ち目はない。先ほど蹴りの一撃を入れることができたのも、彼がリルパに多くの意識を向けていたからに過ぎない。
勝機があるとすれば、それはフェノムがマナ切れを起こしたとき……。
魔法が使えなくなりさえすれば、いかにフェノムが優れた剣の使い手と言えども、体力と筋力で勝るペリドラを打ち負かすことはできなくなるはず。
しかし問題は、この錬金術師がまるで戦いの疲れを見せないことだった。
フェノムは剣を身体の前で構えてから、口を開く。
「ペリドラ、いまなら降伏を認めよう。リルパがいなくなれば、きっと君の意識を覆っていた闇も晴れるだろう。またフルールやぼくと一緒に、ダンジョンに潜らないか?」
「断りんす。フルールさまは、ダンジョンの攻略をリルパに託しなんした。ご自身のお役目は終わったと、そうおっしゃっておりんす」
「彼女らしくないね。君が尊敬したフルールはそんなことを言う女性だったかい? それこそ、リルパという怪物の毒が、彼女に作用している証拠だと思わないか?」
「愛を、毒だと?」
「ふっふ、君はそれを愛と表現するのか。まあ、しかしそれらは、そう違った概念じゃないかもね。確かにぼくも、ずっと苦しんできた――悠久の生を半ば可能とする肉体を手に入れてなお、心を締めつけてくるこの感情だけはどうにもならない!」
無数の剣とともに、フェノムが突っ込んでくる。
ペリドラは大槌で大地を叩いて土を盛り上げ、その場に障壁を作り上げた。
「無駄だ!」
土気色の障壁が銀色に変わり、ペリドラは何が起こったのかわからずに、目を見開いた。
土の障壁は、一瞬にして金属的な輝きを帯び、キラキラと光を反射している。
「い、いったい、これは……!?」
「ミスリルだよ! 君の知らない、ぼくの新しい力だ!」
銀色の障壁がどろりと溶け、無数の剣にかたちを変える。
ペリドラは咄嗟に後方へと飛んだが、切っ先をこちらに向けて飛んでくる鋭い刃の数々を避けきれず、肩と脚に新しい切り傷を受けた。
「ぐぅっ――!!」
「君の考えはわかっているぞ――ぼくの消耗を待っているというわけだ! だが――」
フェノムは、空間にさらに剣を生み出し続ける。
そのあまりの数に、ペリドラはぎょっと目を剥いた。
「――そろそろ本気で行こうか! それが勇敢な君に対する、礼儀というものになるだろうからね!」
広いエントランス中に、剣が満ちている。これらが一斉に掃射されれば、全てを避けきることなど到底不可能だろう……。
「い、いったい、どうやってこれほどの魔法を……?」
「いまぼくの操る剣は、すべてこのミスリルで出来ている。わかるかい? 大気のマナを吸う、ミスリルで出来ているんだ。しかも天然のそれとは違って、改良され、遥かにマナ吸収に優れている」
ペリドラはそれを聞き、小さく唸った。
「では、まさか……」
「そう。ぼくはいま、自分のマナをほとんど消費せずに戦うことができる。最初の剣をミスリルで作ったときに、少しだけ使ったくらいでね。あとは、ミスリルが吸った大気のマナを利用させてもらって、新しい剣を作り出している。そしてそれもまた、ぼくにマナを供給する媒体として機能していくことになる」
辺りを見渡すと、膨大な量の剣が転がっているのが確認できた。
全て戦いの中で、フェノムが生み出したもの。その全てが、いまフェノムの使える力をますます拡大させているとしたら……。
ペリドラは焦り、辺りの剣に向けて大槌を振り下ろした。
「それは、焼け石に水というものだ。確かに、君の大地穿ちは魔法を破壊する。しかしいまのぼくのように、一つ一つを小さな魔法として使われると優位性が激減する。ぼくは君と戦うなら、魔法をひとまとめに使ったりしないと決めていたんだ」
言いながら、フェノムがすっと手を前に出す。
「……最初から、わっちと戦う想定をされていたということでありんすね……?」
「ごめんよ、ペリドラ。君が大人しく降伏してくれればよかったんだが」
フェノムの眼から、涙がこぼれ落ちる。そこにはきっと、かつての仲間に対する同情があったのだろう。
勝敗は完全に決していた。
しかし、ペリドラは諦めなかった。
フェノムが、手をさっと下ろす。それが、一斉掃射の合図となった。
「――フルールさま! わっちに最後の力を!」
降り注ぐ剣の雨を避けようともせずに、ペリドラはただフェノムに向かって突撃をしかけた。
この敵を、フルールとリルパのために、打ち倒さなければならない――たとえ、この命に代えても!
剣が、一本、二本と身体に突き刺さり、辺りに血が飛び散った。
それでも、前進をやめない。やめてはいけない。
剣が肺を貫き、口からゴボリと血が溢れた。視界がかすむ。
それでもなお、ペリドラは前進をやめなかった。
フェノムが、両腕を広げる。
「……気の済むまで戦いたまえ、誇り高き統率者よ。君は見事だった」
ペリドラはフェノムにまでたどり着くと、大槌を振りかぶった。
――ひと月時間をやるよ、ペリドラ。ひと月で、その大地穿ちを使いこなせるようになってみせろ。
「一週間……いや、三日で十分でありんすよ、フルールさま……これしきの重さ……このペリドラにとって、問題になりんせん……」
朦朧とする意識の中、ペリドラは思い切り腕を振り下ろした。
しかし、それで打ち砕かれたはずのフェノムは、無傷のまま悲しげな瞳でじっとペリドラを見つめている。
――背後で、大槌が地に落ちる音がした。
「……ああ、無念」
そう漏らすと、ペリドラは、ゆっくりと膝から崩れ落ちた。




