生命の輝き
通りの向こうから小鬼の大群がやってくる。
それをかすんだ視界で捉えたスカーは、呻くようにして呟いた。
「……メガロ、ここまででいい。十分だ」
「え?」
スカーを背負う弟分のメガロが、素っ頓狂な声を上げる。
「え、じゃねえ。お前は逃げろ。逃げて、生き延びるんだ。そして、新しい自由を手に入れろ」
「何言ってやがる? 俺はあんたの正義を見届けるって言ったじゃねえか。いまさら、逃げられるわけがねえ」
「死ぬぞ。見ろ、あの目を血走らせた小鬼どもを……」
先ほどから、二人は小鬼たちから断続的な襲撃を受けていた。
ペッカトリアは変わった――いや、変わりつつある。
囚人を頂点として定まっていた秩序が、いま崩れつつあるのだ。
「あれだけの大群は初めてだ……今度こそ、やつらも本気らしい……本気で、俺たちを殺しにきやがった……」
「俺たちを殺す? そんなこと、小鬼どもにできるわけがねえよ」
「小鬼にはできなくても、俺がお前を殺しちまうかもしれねえ。なりふり構わず力を使ううちにな……不思議と、俺はあの大軍を何とかできちまう気がしてる……でもきっと、お前も巻き込んじまうだろう」
「……それ、本気で言ってるのか?」
「本気さ……逃げろ、メガロ」
それでも、メガロは背中からスカーを下ろそうとしない。
「意地を張るな。死にたくねえだろ?」
「そりゃそうだけどよ……俺はどうすりゃいいんだ? 小鬼があれだけ俺たちを敵視してる以上、もうこの世界に自由はねえだろう……兄貴は、自由を見つけろって言うけどよ……」
「そんなことまで面倒見られるかよ。自分の頭で考えやがれ……」
「でも……」
そう言ってこちらをちらりと一瞥するメガロの目は、不安に揺れていた。
「……俺たちは自由であるべきだ。そうだろ、メガロ」
「ああ」
「俺たちは元の世界ではみ出しもんになって、この世界に突っ込まれちまった。そしていま、この世界でもはみ出しもんになろうとしてる」
「……ああ」
「だったら話は簡単じゃねえか。新しい場所を探しにいけばいいのさ。ダンジョンに潜れよ、メガロ」
それは、咄嗟の思いつきだった。いままで考えたこともないアイデアだったにもかかわらず、スカーはそれを妙に気に入ってしまった。
「ダンジョンに?」
「そうさ……お前の力は、ダンジョンの攻略に役に立つこともあるだろうぜ……血の声が聞こえるなんて不気味な力だが、適材適所って言葉もあるくらいだしよ。ここにお前の自由はねえのかもしれねえ。でも、ダンジョンの先にはきっとあるさ……」
「……そうか、ダンジョンか」
「俺は二層世界までしか行ったことがねえが、そこですら、この世界や俺たちの世界からは想像もつかねえような場所なんだぜ。海と、そこから生え出した巨大な木々の世界だ……言の葉ってやつを巡って、人魚って種族が争ってる」
「人魚? 聞いたことないな」
「人間と魚のハーフって言えばいいのかな……色々な種類のやつがいる。上半身が魚の顔をしているやつとか、下半身が魚の尾びれになったやつとかな。ほとんど俺たちと姿かたちが変わらねえやつらだっている。不思議なやつらさ」
言いながら、スカーは以前に何度か会ったことのある人魚たちのことを思い出した。
ここの小鬼たちは、いま、スカーたちの世界で広く使われている中央大陸語を話す。フルールが現れてから、その言葉が広まったためだ。
だが、人魚たちが使う言葉は一風変わっている。それでいて、きちんとスカーたちとも意思を伝え合うことができた。
それが、彼らの使う魔法の一つなのだ。
「やつら、陸に上がっちまうと言葉を失っちまうのさ。そのために、言語の海から養分を吸い上げた世界樹から、言の葉ってやつを集めてる。しばらく行ってねえから、いまはどうなってるのか知らねえけどよ」
「言の葉を集める……不思議な表現だ」
「言の葉から、あいつらは『言葉』を作るんだ。そいつは言ってみりゃ、誰にでも意思を伝えるための翻訳魔法だな。フルールたちがこの世界に来たばかりのころは、二層世界から仕入れたその翻訳魔法で、小鬼たちは俺たちノスタルジア人と意思疎通を図ってたって話だ」
「……へえ、面白いな。色んな歴史があるもんだ」
「ダンジョンに興味がでてきたろ?」
「……ああ」
「自由は、きっとあるはずだ。俺たちみたいなはみ出しもんだって、手に入れられるような自由がな。お前は、それを探せ。文字通り、世界は広いんだぜ」
すると、メガロは自信なさげにうつむいた。
スカーは彼を励ますようにして、肩を強く叩いた。
「行け、メガロ! 自由を見つけろ! だが、お前がいまから向かう世界は、ここほどぬるくはねえだろう。囚人だからって理由で優遇されるわけでもねえ。行くなら、気をつけて行くんだぜ……」
「わかったよ、兄貴」
「……よし。じゃあ、下ろしてくれ」
メガロはまだ迷っている様子だったが、背負っていたスカーをゆっくりと石畳に降ろす。
「ふ、ふ……それでいい。さあ、行っちまいな……いまだから言うが、お前と一緒にいて、俺は割と楽しかったぜ……」
「俺もだ。いつか、地獄で会おうぜ、兄貴」
「……ああ」
メガロが走り去っていく。しかし、彼は一度スカーの方を振り向いた。その顔は涙で濡れていた。彼はまた前を向き、走った。それから、もう二度と振り返ることはなかった。
「どこかに、お前を認めてくれる世界があればいいな、メガロ……」
スカーは前を向いた。
視界はかすんでいたが、怒号とともに小鬼たちの大群が近づいてくるのがわかる。
「囚人、スカーだ! やつを打ち倒せ! 新たなるペッカトリアのために!」
「――新たなるペッカトリアだあ!? そんなくだらねえもんのために、俺とやり合おうってのかあ!」
スカーは目を見開き、『苦痛の腕』を伸ばした。
いままで四本しかなかった魔法の腕の数が、一本一本と増えていく。いまの自分には、限界がない気がした。
数百――いや、数千はあるかもしれない――スカーの傷ついた身体から生え出た無数の『苦痛の腕』は、彼がその魔法で届き得る全ての空間を埋め尽くしていた。
スカーを中心にできたおよそ半径十メートルほどの球状領域は、いまや完全に彼の制空圏と化している。
小鬼たちが、勢いを止めずにその領域に突っ込んでくる――それが、虐殺の始まりだった。
小鬼たちは途端に、『苦痛の腕』ならぬその『苦痛の壁』に行く手を遮られ、身の毛もよだつような叫び声を上げて、バタバタと倒れていく。
「――皆殺しだ! 俺の邪魔をするやつは、皆殺しにしてやる!」
「くっ……近づくのが無理なら、ここから射殺せ!」
小鬼たちは弓に矢をつがえ、一斉に放った。
しかし、それらもすべて『苦痛の壁』に阻まれて地に落ちる。
「な、何だと!?」
「効くわけあるかい、そんな攻撃がよお!」
スカーは、自分の生命が煌々と燃えているのを感じた。
最後の最後で手に入れたこの力は、途方もない輝きを放っているようだった。




