神の紋様
病院で教えられたとおりに街を進み、墓地へとたどり着いたギデオンは、その近くに建つ何の神を信仰しているのかわからない教会へと足を踏み入れた。
その中で一人、妙な儀式を行っていた黒装束姿の年老いたゴブリンは、ギデオンを見ると、恭しい態度で頭を下げた。
「これはこれは囚人さま。あなたに神の導きがありやんすように」
「ここにくるのは初めてだから教えてほしい。この教会では一体、何の神を信仰している?」
「ここは多神教です。好きな神を信仰すればいいのでございやんす」
神というのは、そういう大雑把な信仰を嫌うと思うが、この際そんなことを言って物事をややこしくしたくないと思ったギデオンは、素知らぬ様子で教会内を見渡した。
どこもかしこも手入れが行き届いており、ピカピカに光り輝いている。ここでも、ギデオンはゴブリンという勤労な種族が好きになった。
視線を上にやると、教会の天井には天井画が描かれており、そこにはギデオンもよく知る神々の特徴をおさえた絵もあった。とはいえ神を知識として知っているだけで、基本的に無神教のギデオンには、どの神にもほとんど興味がわかない。
……いや、一つだけあったか。
「リルというのはどれなんだ? つまりは、あなた方の神ということだが」
「あそこにいらっしゃいやんす。『喜びの日』をもたらすお方。あの、赤い模様を身体に浮かび上がらせているのが、リルでございやんす」
ギデオンはその絵を探し当てると、なるほどと思って老ゴブリンを見やった。リルの姿は、この街に住むゴブリンたちの姿と似ていた。特徴的な、身体に走る赤い模様。
「わかったぞ。さては、ゴブリンたちが身体に赤い塗料で模様を描くのは、リルの真似をしているからなんだろう。どうかな?」
ギデオンが訊ねると、そのゴブリンはひどく驚いた様子だった。
「失礼でございやんすが、旦那さまは他の囚人さまとは少し違っておられるようでやんすね……」
「そうかな」
「我々の文化に興味を示す方など、これまでおりやせんでした。そもそもまず、我々を『ゴブリン』と呼ぶ方がおりやせん。小鬼と呼ばれやんす」
「言ってしまえば、俺たちは侵略者だ。そのことが心苦しい。あなた方の神の横に、俺たちの世界の神を並べてしまうなんて、本当はあってはならないことだ。だから俺は、ここではあなた方の文化を優先したい」
ゴブリンは奇妙な表情を浮かべた。
「別に侵略ということではありやせん。魔女フルールさまのおかげで、我々小鬼どもは発展いたしやんした。いまから考えると、小鬼たちのしていたもとの暮らしは、それは貧しいものでございやんした。わたくしは今年で六十になりやんすが、物心がついたときからいままで、一気に発展してきたこの街を見てきた、いわば生き証人でございやんす。そのわたくしめの意見を申し上げるなら、昔の暮らしに戻ってもいいと言われても、とても戻る気はございやせん」
「フルールは優れた為政者だったか?」
「それはもちろんでございやんす」
「ではドグマは?」
すると、ゴブリンはすぐに皺をくしゃりと歪め、満面の笑顔になった。あまりに急激な変化であったため、見ていたギデオンが驚くほどだ。
「もちろん、最高の王でございやんす! 支配者たる器を持った方でございやんす!」
「……すまない。そういう答えしか返せないんだったな。悪い質問だった」
ギデオンは痛々しい笑顔のゴブリンをしばらくじっと眺めてから、ここに来た本題を切り出した。
「実は、この街で死んだ人間の墓を探している。メニオールというハーフエルフの女だ。探せるか?」
「その方は囚人さまだったので? それとも、囚人奴隷?」
「違いがあるのか?」
「埋葬の仕方が変わってきやんす。囚人さまには墓が一つ与えられやんすが、囚人奴隷は火葬ののち、共同埋葬になりやんすから」
思えば、面会室で会っていたメニオールが足に輪をしていたかを確認していなかった。彼女はどっちだったのだろう?
「すまない。どちらかわからない場合はどうすればいい?」
「墓守に探させやんす。名簿がありやんすから。ちなみに、そのメニオールはいつごろ死亡したかわかりやんすか?」
「ひと月ほど前だ」
すぐに老ゴブリンは、奥から墓守を務める小鬼たちを呼び出した。
彼らはギデオンを見るとみんなニコニコと笑い、これ以上ないと言わんばかりの態度で、仕事を請け負ってくれた。
調べてもらったところによると、メニオールの身分は囚人奴隷で、共同埋葬されているようだった。
墓守の一人に連れられ、ギデオンは暗い墓地を歩いた。墓石が整然と立ち並ぶ様子から受ける印象は、こちらの世界も元いた世界も変わらない。おごそかで、息が詰まってくる。
「こちらでございやんす。囚人奴隷メニオールは、ここに埋葬されているのでございやんす」
「共同埋葬の場合は、火葬して骨だけを埋めるんだったな」
「そのとおりでございやんす。ここにメニオールの遺骨が納められておりやんす」
礼を言って一人にしてもらうと、ギデオンはその場でひざまずいた。
目の前の墓石には、他の大勢の名前に混じって、きちんと『メニオール』の名前が刻まれている。
「……あんたにはずっと後払いで報酬を渡していた。だがあんたが死んでしまったことで、最後の情報分を渡し損ねてしまっただろ。ここで金を稼いで、また今度金貨を持ってくるよ。天国に行く駄賃にしてくれ」
「……そんな金があれば、自分のために取っといた方がいいと思うがのう」
突然声が響き、ギデオンは背後を振り向いた。
いくつかの墓石を挟んだ向こう側に、老人が立っている。ゴブリンではなく、人間の老人……。
「おぬしがギデオンじゃな?」
「そうだ。あんたは?」
「この施設の管轄を任されておる囚人じゃ。アルビスという」
「管轄? この施設の管轄者は、さっきの老ゴブリンではないのか?」
「実質的にはな。じゃがこの街に、囚人の庇護下にない小鬼などおらんからのう。わしらは囚人同士で自分の管轄地を決め合い、庇護した小鬼たちから税を徴収しておる。そして、ここはわしの管轄というわけじゃ」
「庇護? 搾取の間違いだろ?」
ギデオンの言葉に、アルビスはニヤリと笑った。
「……なるほど。お主が何をしでかしたか知らんが、この街のルールを快く思っていないということはわかった。ボスのお怒りももっともじゃ」
「ドグマが何か言ったのか?」
「お主を殺せと言っておる」
それを聞いても、ギデオンは特に驚かなかった。
むしろ、なるほど、とだけ。
ドグマはカルボファントの象牙を狙う敵として、こちらを認識したということだ。最後の面会に応じなかったのは、もう殺す気でいたからかもしれない。
「……一応言っておくが、あんたも切り捨てられるぞ。結局、あいつはまた知らぬ存ぜぬで通すんだからな」
「わしがお主を始末してしまえば、それで済む話では?」
「俺はいま機嫌が悪い。馬鹿な老いぼれに、死者とゆっくり話す時間さえも奪われてな」
ギデオンの言葉が終わる前に、アルビスはさっと手を振り上げた。すると、周りの土がモコモコと盛り上がり、その下から腐った人間の身体がいくつも這いずり出してくる。
「そんなに死者と話したければ、ほれ、こやつらとゆっくり話すとよかろう!」
「……死体は火葬だと聞いたが」
「それは囚人奴隷の話。よかったのう。お主の目当ての死者が囚人奴隷で。こやつらは、誇りある一級身分の囚人――その亡骸じゃよ!」
老囚人アルビスの言葉とともに、腐った肉体の下から白い骨を露出させた亡者が、意志なき瞳で襲い掛かってきた。
次回、ちょっとした山場です。




