自由への闘争
「や、やりました、ご主人さま……これで、卑しいわたくしめをこの街の囚人として推薦してくださるのですね……?」
目の前の囚人奴隷が歓喜する様を、ギィルは舌なめずりしながら眺めていた。
場所は、屋敷の広々としたホール。備え付けられた天窓から、朝日が差し込んできている。
囚人奴隷の周りには多くの死体が転がっていて、一面に血だまりが広がっていた。ナイフを片手に佇むその囚人奴隷自身も、擦り傷や切り傷が全身にできている。
彼に向け、ギィルは拍手をした。
「お前はよくやったぜ、すばらしいファイトだった。よくぞこの死闘を生き抜いたな」
「はい……わたくしめの力は、きっとペッカトリアのために役立ちます……」
「とはいえ、俺だってここまでの人間を殺したことはねえ。お前はとんだ悪党だ」
すると、囚人奴隷の顔がさっと曇った。
「す、すべてをわたくしめがやったわけではありません……それに、これはギィルさまのご命令で……」
「おいおい、俺のせいだってのか? 俺は、生き残った者を自由にしてやるって言っただけだぜ。囚人奴隷なら、一級身分の囚人に推薦する。奴隷なら、ひと財産とともにノスタルジアに送り返す。そう言っただけで、殺せなんて一言も言ってねえ」
ギィルは囚人奴隷に近づき、ニヤリと笑った。
「これは全部お前が、お前の意志でやったことだ。俺に責任を押し付けるな」
「そんな馬鹿な……」
「馬鹿? てめえ、俺を馬鹿と言ったか、いま?」
ギィルはさっと表情を変えた。
侮辱は許せなかった。ずっとエンブレンの下でこき使われていたギィルは、仲間内でもっとも下っ端扱いされていることにイラついていた。
昨日ペッカトリアで決定した契約によって、もう仲間たちも、あのエンブレンさえも恐れなくていい。もう誰からも馬鹿にされなくて済む。
そう考えていた矢先、いまこの囚人奴隷は自分のことを「馬鹿」と言ったのだ……。
「てめえ、生意気だぜ。そんなに殺しの上手いやつが偉いってのか?」
思えば、エンブレンがこの世界を我が物顔で歩いていたのは、彼が強力な力を持っていたからで、もっと言えば、その力で多くの人間を殺して入所してきたからだった。
この世界では、罪状が重い人間ほど一目置かれる。
「おい、てめえ、まさかこんなに人間を殺したって、俺に自慢してるんじゃねえだろうな? 俺よりも立場が上だって、そう思ってやがるんだろ?」
「ご、ご主人さまが何をおっしゃっているのか、わかりません……」
「俺だって、殺そうと思えば殺せたんだぜ。これはゲームなのさ。お前は俺の用意したゲームの中で勝っただけのことなのに、もう俺よりも偉くなった気でいやがる。許せねえ……」
「わたくしめは勝ちました……生き残りました……」
泣きながら、懇願するようにすがりついてくる囚人奴隷を、強引に振り払う。
「俺の方が、てめえよりも偉い! こんなにたくさんの人間を殺したお前を殺せば、俺の方が偉いってわけだ。そうだろ?」
「そ、そんな、馬鹿な……ご主人さまは約束されました……生き残れば解放すると約束されました……」
「まだ『馬鹿』と言いやがるか!」
ギィルは、沸騰した頭で力を放った。
右肘から手にかけてめきめきと筋肉が盛り上がり、剛毛が生えてくる。
これがギィルの魔法だった。
触れたことのある生き物の力を、右腕限定で使うことができる。
今回のこれは、幼いころに街を立ち寄った猟師が、近所の森で仕留めてきた熊だった。
熊の腕を振るうと、囚人奴隷の首は簡単に吹き飛んで行く。
頭を失った胴体がぐらりと揺れ、膝から崩れ落ちるようにして倒れた。
「ほら、見ろよ! やっぱり俺の方が強いじゃねえか。俺の方が、てめえよりも偉いのさ……」
ギィルはすでに死亡した囚人奴隷の頭を拾い上げ、ブツブツと呟いた。
しかし、怒りは収まらなかった。
さっと辺りを見渡すと、目の濁った死体たちが自分を侮辱しているように思えた。
「生意気だぜ、てめえら! いまのを見てなかったのかよ! お前たちの中で一番強いやつよりも、俺の方が強いんだ! 俺は偉いんだ!」
叫びながら頭をかきむしっていると、頭に痛みを覚えた。頭から血が出ている。
それで、ギィルはまだ自分の腕が熊化していることを思い出した。
するどい爪に、自分の頭皮の一部と髪の毛がこびりついている。
「ひゃあああああ!」
驚いて尻餅をついてしまう。
辺りから発せられる無言の嘲笑が、ギィルをさらに苛立たせた。
「――ち、ちくしょうめ、わからせてやる! わからせてやる!」
立ち上がり、囚人奴隷の頭を脇に抱えてホールを飛び出す。
「その目に焼き付けやがれ! 俺がどれだけ多くの人間を殺せるかってのをよ!」
ペッカトリアでは、いま人間狩りが行われているはずだ。
スカーも言っていたことだが、みながみな自分の管理する奴隷をきっちりと殺処分できる囚人ではない。他人任せにされた奴隷どもが、いまごろ街をさまよっていることだろう。
「てめえらをちゃんと皆殺しにした時点で、俺は優れた囚人なのさ! その上、他のやつらの尻拭いまでしてやるってんだからな! え、聞いているか?」
ギィルがそう問いかけても、囚人奴隷の頭部は何も言葉を返さない。
イライラして放り出してやろうかとも思ったが、それでは証人がいなくなってしまう。
虚栄心とともに屋敷を飛び出したギィルは、一本向こうの道で、小鬼たちが争っているのを見ておやっと思った。
「……なんだあいつら? 何を争ってやがる?」
「邪魔をするな、同胞よ! 俺たちが争い合い、血を流すことに何の意味もない!」
「ならば馬鹿なことをやめろ! ペッカトリアの支配者に牙を剥くなど、不敬極まりない!」
彼らは口々に叫びながら、揉み合っている。
「――いたぞ! 囚人だ!」
そのとき、小鬼の一匹が血走った目で、ギィルの方を指差した。
いち早く駆け寄ってきた小鬼たちの一団が、焦燥感を露わに、ギィルの身体を守るようにして取り囲んだ。
「おいおい、こりゃ何の真似だ?」
「お、お逃げください、やつらの狙いはあなた方囚人さまたちなのでございやんす!」
「狙い? どういうこった?」
「反乱でございやんす! 馬鹿な小鬼が、身分もわきまえずに反乱を起こしたのでございやんす!」
ギィルは、その言葉を聞いてポカンと呆気に取られた。
「……反乱だと? なんで小鬼風情が俺たちに牙を剥くってんだ?」
「貴様らが、ペッカトリアの支配者として相応しくないからだ!」
怒号とともに突撃してきた小鬼たちを、周りの小鬼たちが必死に抑え込もうとする。
「やめろ! やめろ! 取り返しのつかん事態になるぞ!」
「すでに賽は投げられた! お前たちこそ正気を取り戻せ! この十年の間ペッカトリアを覆っていた狂気の霧を払うときがきたのだ!」
「黙れ! 貴様らは己の欲望に支配されているだけだ! この世界から、秩序を奪い去ろうというのか!」
「秩序だと!? あれを見るがいい! あれがお前の言う秩序か!?」
そう叫ぶ小鬼は、ギィルの腕の中にいる囚人奴隷の頭部を指差していた。
「見ろ、やつらは何の抵抗もなく同族を殺す! そこには意味も罪の意識もなく、あるのはそれを誇ろうとする態度と、快楽だけだ! それを狂気と呼ばずに何と呼ぶ!」
それで、ギィルを守る小鬼たちが一瞬ひるむ。
「この街全体で、いま同様のことが行われている! 人間が、怪物によって虐殺されているのだ! ペッカトリアにのさばる、囚人という怪物にだ!」
「き、貴様らがやっていることも同じだ! こうやって、ペッカトリアを血で汚そうとしている!」
「俺たちの血には意味がある! 俺たちが流す血は硬く固まり、未来のペッカトリアのための礎となるだろう! 『喜びの日』のために死んでいった全てのゴブリンたち! そして生きながら『喜びの日』を迎えるゴブリンたち! 両者に違いはない!」
小鬼たちは、ナイフでお互いの首を掻き切り合った。
「き、貴様たちは間違っているぞ……」
「許せ、同胞よ……だが、俺たちはリルのもとで永遠になるのだ……」
二匹の小鬼が息絶え、ギィルを守る警護のたちにほころびが生じた。
その隙間を縫って、矢が放たれる。
「は? え?」
ギィルは、自分の右腕に突き刺さった矢を呆然と見下ろした。
(どうして俺が傷ついている? なんで小鬼風情が俺に逆らうことができるってんだ? 俺は偉いんだ。一級身分の囚人なんだぞ……)
刹那、身体の中に燃え上がるような痛みを感じた。
矢じりが爆発し、ギィルの右腕を吹き飛ばしていた。
「あ、ああああああああああ! い、いてえええええええぇえっ!」
叫び声を上げる間に、矢の雨が降り注ぎ、ギィルの身体を蜂の巣にする。
「な、なんでだ? 俺は偉いんだぞ! てめえら、自分が何をやっているかわかってんのかよ! てめえらが何百匹死のうが、俺の命には代えられねえんだぞ!」
「……何百匹? 今日はその何百の何倍ものゴブリンが、血を流すことになるだろう。それなら構うまい?」
血走った小鬼の目を見て、ギィルはぞっと寒気を覚えた。
「てめえら、狂って――」
その先を続けることはできなかった。身体に刺さった矢が爆発し、ギィルの意識を永遠の闇へと吹き飛ばした。




