革命の時
「――イェラス! イェラス!」
ラハゴの声で、ゴブリンのイェラスは目を覚ました。
寝ぼけ眼できょろきょろと辺りを見渡すと、自分と同じように寝ぼけた様子のゴブリンたちがたくさんいるのがわかる。
「あれ、俺たちはギデオンさまをお出迎えしようとして……」
「気を失ったのだ。あの方の怒りに触れたのだろう。だが、ギデオンさまは俺たちに怒っていたのではない。不当な支配者に怒っていたのだ」
「不当な支配者?」
「あの方が、昨夜言っていただろう? 囚人たちさ」
ラハゴの言葉に、イェラスは身の凍る思いがした。それで、ばっちりと目が覚めてしまう。
「囚人さまたちに……?」
「『さま』ではないぞ、イェラス。もはや解放のときだ。俺たちは立ち上がらなければならない。見ろ」
言いながら、ラハゴがそばに立つ尖塔を指差す。
その頂上に、ゴブリンが立っていた。
「あ、あの者は……?」
「象牙を手に入れた勇者だ。不当な王から王の証を奪い、正当なる王に渡すために命を燃やした男だよ。名はユナグナ」
「ユナグナ……」
イェラスは、そのゴブリンの姿を見上げた。
朝日を背に浴びて立つ彼は、身体中に痛々しい傷があった。
「――聞け、我が同胞よ!」
尖塔の頂上から、ユナグナが叫んだ。
「ペッカトリアに『喜びの日』がやってきた! 夜の帳を晴らす、栄光の光が! 新たなる英雄が現れ、ペッカトリアは新しい時代を迎えつつある!」
周囲のゴブリンたちがざわめく。
彼らの誰かが、「……ギデオンさまのことだ」と呟いたのを皮切りに、うねりのような熱気が伝播していく。
「――そうだ、ギデオンさまだ。俺たちに『喜びの日』をもたらす方の名前は、ギデオンさまだ」
「あれから、あの方はどこに行ってしまわれたのだ?」
その質問に答えたのはユナグナだった。
「いま、ギデオンさまは囚人たちと戦っている! 俺たちを洗脳し、ただただ搾取のための圧政を敷いていた悪しき囚人たちと! あれを見るがいい!」
ユナグナがさっと指差す先に、巨木が立っている。
距離はここから一、二キロはあるだろう。
みな、ぎょっと固まった。それほどの遠くにありながら見てとることのできる木の巨大さを、理解したからだ。しかも、その木は一夜にして現れた……。
「あれこそはギデオンさまの意志だ! いま、ペッカトリアには、ギデオンさまの操る植物が満ちている。だが、俺たちがそれを恐れることはない! 植物は囚人しか襲わず、俺たちゴブリンを襲わない! ギデオンさまの敵は、囚人たちだけだ!」
ユナグナが宣言するように叫び、また聴衆の意識を引きつけた。
「昨日、囚人たちは極めて残忍で、極めて愚かな決定を下した! 囚人奴隷と奴隷を全て処刑するという決定だ! やつらの中に流れる血は狂っている! ギデオンさまの怒りももっともだ!」
それで、イェラスは昨晩ここを通って行ったギデオンの言葉を思いだした。
――いまペッカトリアでは愚かなことが起ころうとしている! 極めて非人道的で、畜生にも劣る下劣な行為が! 俺はそれを止めなければならない!
――囚人が、奴隷たちを虐殺するという! そんなことを黙って見ているわけにはいかない! 俺はこれから囚人たちを止めに行く!
ユナグナは続ける。
「お前たちにも経験があるはずだ! 囚人たちは、他の生き物を虐げることに喜びを見出す! 俺たちの同胞が、どれだけやつらの勝手のせいで死んでいった!? もう目を瞑り、狂気の嵐が過ぎ去るのを、ただじっと待つような態度はやめなければならない! 思い出せ、十年ほど前に失われてしまった輝かしき時代を! フルールさまの治世を!」
フルールの治世と聞き、辺りがまたどよめく。
若い小鬼の中には、その時代を知らない者もいた。だが、年老いた小鬼たちはその時代をしっかりと語り継いでいた。
何よりも、日々この街に現れるリルパの存在と、彼女への信仰心が、あの偉大なる魔女の治世に対する郷愁じみた感情を、みなの中に共有させていた。
「フルールさまは俺たちと囚人たちを平等に扱った! だが、あの方の権力を笠に着て大きい顔をしているだけの、いまの巨人はどうだ? 同郷の人間だということを理由に囚人を優遇し、ゴブリンだということを理由に、俺たちをその下に置いた! 俺たちはフルールさまに対する尊敬を身分という鎖にすり替えられ、ただただ為されるがまま事態を受け入れた! この鎖を引きちぎらなければならない! 俺たちはいまこそ、自由を勝ち取らなければならない!」
「――自由だ! 俺たちは自由のために戦わなければならない!」
イェラスの横に立つラハゴが大声を上げ、方々からそれに同調する声が上がった。
「戦いだ! 『喜びの日』は待つものではない! 自ら掴み取るものだ!」
「俺たち小鬼の力を、いまこそ発揮するときだ!」
「――俺たちは小鬼ではないぞ、同胞!」
尖塔の上から、ユナグナが叫んだ。
「それこそ、俺たちの中に卑屈さを植え付けようとしたあの巨人のやり方なのだ! 俺たちから名前を奪い、誇りを奪い、ただただ自分の頭で考えられないように命令を与えた! 俺たちは失った全てを取り戻し、やつから与えられた全てを放棄する! 俺たちはゴブリンだ!」
「――俺たちはゴブリンだ! 俺たちはゴブリンだ!」
いまや、辺りには視覚化された怒りが満ちているようだった。
闘争に次ぐ闘争――かつて全てのゴブリンが統率者の座を目指して激しく争っていた時代の、高貴なる野蛮さが甦ったように感じた。
イェラスは、昨夜ギデオンの身体に現れた怒りの紋様を思い出した。
囚人たちに向けられていたあの方の怒りと一体になることは、とても幸福なことだという実感があった。
「ペッカトリアから、狂気を取り除くのだ!」
ついにイェラスは、胸に満ちる怒りとともに叫んだ。
「そうだ! 狂気の王を打ち倒せ! 偽りの王をその座から引きずりおろせ!」
誰かが呼応し、場を支配する熱はますます強まっていく。
もはや西の門周辺に集まるゴブリンたちは、怒りで一体となっている。それは、ある種の幸福感を伴っていた。
そのとき、尖塔の頂上にいるユナグナが、悠然と右腕を掲げた。
その手には、宝石のような物質が握られている。
みな、それを見てどよめきの声を上げた。
「おお、まさか……」
「見るがいい、同胞よ! これこそが王の証だ! あの巨人がリルパを巧みに操るため、独占を目指したカルボファントの象牙だ! だが、その占有はいまこの瞬間を持って崩れ去った! 見るがいい、同胞よ! この象牙をその目に焼き付け、理解するのだ! この瞬間をもって、もはやあの巨人は俺たちの王ではなくなったと!」
その理解は、ゴブリンたちの中に一瞬で広がっていく。心を一つにした彼らにとって、それはあまりにも容易いことだった。
「いまこそ偽りの王から、正しき王に王冠を移さなければならない! 俺たちと、俺たちのリルパを正しく導ける王だ! リルパのアンタイオであるあの方こそ、ペッカトリアの王だ!」
「そうとも! 無名の時代は終わった! 俺たちは俺たちの目で見て、俺たちの頭で考え、俺たちの意志で王を選ばなければならない! 象牙を使い、リルパすら搾取の手段と化していたあの忌まわしき王を、ペッカトリアから排除するときだ!」
「戦いのときだ、同胞たちよ!」
ユナグナが叫んだ。
「このペッカトリアを、囚人の手から取り戻す! 進め! 俺たちはゴブリンだ! 『喜びの日』をこの手に!」
「――俺たちはゴブリンだ! 『喜びの日』をこの手に!」
ゴブリンたちは、ユナグナの号令に唸りのような歓声で応えた。




