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監獄ダンジョンと追放英雄  作者: ゆきのふ
英雄の目覚め
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妄執の男

 薄明りの中、スカーは目を開いた。


 どれだけ眠っていたのかわからない。しかしうっすらと夜が明けかけているのを見る限り、あれから随分と時間が経ってしまっているのだろう。


「兄貴……目が覚めたかい?」


 そばで胡坐をかくメガロが、スカーの方を見て呟いた。

 メガロはべっとりと血に濡れていた。彼だけではなく、いま二人がいる道のそこら中に血の跡がこびりついている。しかし、メガロ自身に外傷は見当たらなかった。


「……メガロ、ここはどこだ?」

「あの世じゃねえのは確かだよ。でも、兄貴はいま生きてるだけで奇跡だ」


 メガロはおずおずとスカーの左半身を指差す。


 怪訝に思って彼の視線を追うと、そこには黒く炭化した自分の左腕と左足があった。

 ぼろぼろになった左半身の至るところに、血の混じった火傷跡ができている。


「……ひでえな、こりゃ」


 なぜか、スカーにはそれが他人事のように感じられた。

 あの竜の放った暴力的な一撃を受け、どうも自分はこの様ということらしい。


「……痛むかい、兄貴?」


 メガロは目に涙を溜め、顔をくしゃくしゃにしていた。


「おい、何をそんな顔をしてるんだってんだ? お前の大好きな血がそこら中にこびりついてやがるってのに。それとも、俺の血はいらねえってのか?」

「……気休めを言っても仕方ねえから言うが、兄貴はもう長くねえ。俺にはわかるんだ。兄貴の血が教えてくれるんだよ」


 メガロは血に濡れた手を掲げ、指先で血をこすり合わせた。


「……まあ、これだけ血が流れてりゃ普通は死ぬだろうな」

「ペッカトリアには治癒魔法を使えるやつがいねえ……万事休すってやつだ、兄貴……」

「お前は何ともないのか?」

「俺は大丈夫だよ。あの竜の攻撃範囲にいなかった……」

「そいつはよかった」

「兄貴……」


 メガロはついに嗚咽を漏らして泣き始める。


 それを見て、スカーは不思議な気持ちになった。こいつはずっと脅して利用してきただけだというのに、なぜこんなに悲しそうな顔をするのか?


「喜べよ。俺がいなくなれば、お前は晴れて自由の身なんだぜ」

「……俺はどうせはみ出し者さ。どこへ行っても、誰といても気味悪がられる。でも、この監獄の中は居心地がよかったんだ。兄貴たちと一緒にいるときだけ、安心できた。俺たちは似たもの同士だ。そうだろ?」

「そうかもしれねえ」


 短く言って、スカーは横たわったまま空を見上げた。

 東から顔を出す太陽の光が、次第に夜の闇を払っていく。


 思い出したかのように、身体がズキズキと痛み始めた。それがいまのスカーにとっては、心臓の鼓動のように感じた。痛みが、生きているという実感を与えてくれる。


「……ありがてえ、俺はまだ生きてるぜ、メガロ」

「え?」

「むしろ、いまようやく俺はこの世に生れ落ちた気さえするぜ。そうさ、いままでの俺はまるで生きちゃいなかった。果たすべき目的もなく、ただだらだらと時間を消費してただけだ。いまの俺には、まだやるべきことがある。それが何より、ありがてえ……」


 苦痛の腕を操作し、ゆっくりと立ち上がる。少し身体を動かすだけで激痛が走ったものの、スカーはまったく意に介さなかった。


 痛みはむしろ、生きている証拠だ。

 俺は、いまを生きている。


「動いちゃダメだ、兄貴……いや、その身体で動けるはずがねえんだ……」

「メガロ、お前は俺に忠実だった。お前はこれから、お前の道を見つけ出せ」


 ゆっくりと足を踏み出す。


「どこへ行くって言うんだ? まさか、またメニオールのところか?」

「そうさ。それが俺の歩くべき道だ」


 先ほど、彼女に契約術のことを伝えられたのは幸運だった、とスカーは思った。彼女もきっと、自分を殺しに来るだろう。彼女が二層世界に行くためには、スカーの命が失われていなければならないからだ。


「怪我の功名ってやつだな……問題は、彼女が俺を見つけ出すまで、俺の命がもつかどうかってとこくらいか……」


 いや、もつかどうかではない。もたせるのだ。

 心臓が勝手に止まろうとするのならば『苦痛の腕』を身体に突き刺し、強引に動かしてでも血を供給し続けてやる。

 いまのスカーは、ただ執念だけで生きていた。


「メニオールは俺の女神だ……俺を罰することができるのは、彼女だけだ……」

「――兄貴!」


 よろめいたスカーの身体を、メガロががしりと支えた。


「てめえ、まだいたのか? とっとと失せろ……」

「俺に行く場所なんてねえよ。さっきも言ったろ」

「……殺すぞ」

「殺せるもんなら、殺してみろよ」


 メガロは涙を拭うと、有無を言わさぬ態度でスカーを背負い上げた。


「俺が兄貴を連れて行く。せめてメニオールに会うまでは、体力の消耗を避けるべきだ」

「てめえは、どうしようもねえ馬鹿野郎だ……」

「何とでも言えよ――ってかよ、賢かったら、こんな監獄世界に送られてねえだろ」

「違いねえ……てめえ、笑わすな……」


 ぜえぜえと、いまの自分にできる笑い声を上げているうちに、スカーは次第に身体が冷えてくるのを感じた。


「俺は悪人だな、メガロ……」

「ああ、大量の人間を殺した極悪人さ。しかも、人の痛みを自分に置き換えて考えられねえサイコ野郎だ。もちろん、俺もな」


 メガロが笑い、スカーも笑み代わりに顔を歪めた。


「人の痛みか……そいつを俺に教えてくれたのがメニオールだった……彼女が受けるべき痛みを俺が受けたとき、俺はそいつを知ったんだ……馬鹿な話だが、『ああ、俺の魔法で殺されたやつらは、みんなこんな痛かったんだな』って思ったよ……」

「やっぱ、イカれてるぜ」

「そうだな……その瞬間、普通なら罪悪感ってもんが芽生えるもんなんだんだろう。だが、俺の良心ってやつは、ちっとも痛みやがらなかった……俺はいままでただ自分の欲望に従って生きてきて、いまも欲望に塗れて死のうとしてる。まったく、救いようのねえ人間だ」

「俺は許すよ」

「何だと……?」

「誰にも許されずにあの世へ行くなんて、怖いじゃねえか。だから、兄貴も俺を許してくれ。俺自身、これまでやってきたことに対して何の罪の意識も抱いてねえが、その罪を全て許してくれ」

「やっぱり、てめえは馬鹿野郎だな……」

「これって、俺たちが悪いのか? 俺はずっと疑問に思ってたのさ。異常ってのは、正常から外れたやつらってことだろ。でも正常側にいる人間が多いから、それが正常扱いされてるだけで、俺たちから見ればそっち側にいるやつらの方が異常なんだぜ。俺たちがいた世界は、罪を感じられない人間が少数派で、悪者にされちまう世界だったってだけだ」

「……お前はいい哲学者になれるよ」

「そうだろ? 本当はこの世に善も悪もねえのさ。あるのは個人個人の都合だけだ。兄貴も俺も悪人だが、それは単なる少数派の正義の中にいちまったってだけだ」

「……俺の正義は、自分自身の欲求に従うことだ」

「俺もそうさ。だからいま、こうして兄貴の手伝いをしてる」


 そう言って、メガロはまた笑った。


「……あんたの最後を、俺に見せてくれ。あんたの正義をな」

「わかったよ……」


 気を抜くと飛びそうになる意識を、スカーは必死になって現実に縛り付けた。


 妄執――いまのスカーを動かしているのは、その二文字だった。

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