火竜草の一撃
火竜草――ときに『深緑の火炎息』とも呼ばれるこの魔性植物は、近寄った敵に熱放散を利用したすさまじい攻撃を放つことで知られている、云々。
攻撃用に発達した専用の気孔から発せられる熱は、周りの空気を一気に燃え上がらせ、火竜の吐き出したブレスを彷彿とさせる、云々。
「……俺はこの魔物の熱放散を、右腕の先に延ばしたマナの奔流に乗せて解き放ったということだ。マナコールを利用した火炎ブレス。これが俺のとっておきだ」
「はあ」
「ちなみに、火竜草のもたらした被害の中には興味深いものもあって――」
「もういいっつうの! いまはそんな話をしてる場合じゃねえんだよ!」
べらべらと植物の話を続けようとするギデオンを、ハウルは苛立ちながら遮った。
いつの間にか、ギデオンの身体にあった赤い紋様は消えている。
辺りにまき散らされていた寒気もやんでいる。
そうこうしているうちに、ギデオンはふらふらとよろめき、片膝をついた。
「お、おい、大丈夫かよ……!?」
「力を使い過ぎたかもしれないな……」
ギデオンは、自分の身体の上に群生する森をちらりと眺めた。
「それ、背負ってるだけで消耗するんじゃねえか?」
「まさか俺が、こんな野放図な植物を作るとはな……とにかく力が溢れてきて、植物たちを解き放たなければ疼きを止められなかった……」
「さっきまでのお前、ちょっと変だったぜ」
「……変?」
「身体に赤い紋様が浮かんでた」
ハウルの言葉を聞き、ギデオンが訝しげに眉を寄せた。
「赤い紋様? 自分では気づかなったが……」
「とにかく、その『森』を下ろしたらどうだ? 見ろよ、上ではまだわけのわからねえ植物の成長が続いてる。枝が伸びて、その先に見たこともねえ実がなってる。あれ、まだお前の力を吸い上げてるんじゃねえか……?」
「……植物は俺の奴隷だ」
ギデオンはそう言ったが、表情は明らかに疲労困憊といった様子だった。
そのとき、ハウルの目の前でぎょっとすることが起こった。
ギデオンの顔に皺が走り、そこがピシリとひび割れる。
顔だけではない。皮膚の至るところで同じ現象が起こっていく。
いまやギデオンの皮膚は茶色く変色し、木の幹の表皮のようになっていた。
どんどんと水分が抜け落ちていき、硬質化していく……。
「……まるでツリーフォークだ」
ギデオンは、自分の手をまじまじと見つめて呟いた。
「ツリーフォーク?」
「……言葉を話す木の魔物だよ。だが、俺はドライアドだ……しかも、もう半分は人間だ……」
後半にいくにつれ、ギデオンの言葉はゆっくりになっていく。
それは目の前にいるハウルに向けた言葉というより、虚空に向かって放たれた言葉のように感じた。
ギデオンの眼球までもが乾燥してピシリとひび割れ、ハウルはハッと息を呑んだ。
「なんだか暗いな……ハウル、俺は少し眠るよ……」
「だ、大丈夫か? てめえ、ちゃんと起きるんだよな……?」
「ああ……ペッカトリアを叩き潰すまで、俺は止まれない……」
その言葉を最後に、ギデオンが沈黙する。木の根元で硬質化した彼の身体から、野太い根が飛び出して地面に突き刺さる。
ハウルは身の危険を感じて飛び退った。
遠巻きに見ていると、そのおぞましい『森』は、根を張った場所を中心にしてますます文明への侵攻の手を強めようとしているようだった。
様々な種類の木の枝が幹から伸び、ギデオンが先ほど自ら「野放図」と表現した様子を強めていく。
(ギデオンの野郎、ペッカトリアを叩き潰すとか言ってやがったな……まさか、こいつはギデオンの意志だってのか?)
ハウルに向かって、太い蔓が伸びてくる。
しかし躱すまでもなく、他の蔓がその蔓を叩き落とした。
(……間違いねえ。こいつはギデオンそのものだ。意識を失っても、ギデオンはまだ戦いを続ける気だ)
では、それは誰との戦いだというのか?
決まっている――ギデオン自身がはっきりと言っていたではないか。
敵は、ペッカトリアの囚人たち。
何かのきっかけで、ギデオンと囚人たちの間に決定的な亀裂が生じた。
その結果、彼はペッカトリアへと宣戦布告を行ったのだ。蔓にぶらさがった囚人たちが、ギデオンが現時点で挙げている戦果というところだろう。
辺りが騒然としてくるのがわかった。小鬼たちが集まってきて、突如として出現した強大な植物を呆気に取られた様子で見上げている。
蔓は小鬼にも襲い掛からなかった。
それを見て、ハウルはギデオンが小鬼に敬意を持って接するように言っていたことを思い出した。そう言えば、あいつは小鬼を見る前から小鬼のことが好きだった。
「安心しろ! その植物は危険なもんじゃねえから、そのままにしといてやれ! そいつはギデオンの化身だ!」
ハウルは小鬼たちに向かって叫んだ。
「ギデオンさまの……?」
「あいつにはあいつの戦いがある! あいつの敵はお前らじゃなく、ペッカトリアの囚人たちだ!」
「囚人さま……? リルパのアンタイオが、囚人さまと戦っている……? それはつまり……どういうことだ……?」
彼らは困惑しきった様子で顔を見合わせている。
考えても答えが出ない様子で、訴えるような目でハウルの方を見つめてくる。
「い、いや、そんな目で見られても俺だってわからねえけどよ……」
「あなたさまはどなたさまなのでございやんす? たくましい犬の毛皮を纏っておいででございやんすが……」
「犬じゃねえ! 狼だ!」
ハウルが手を振り上げて怒鳴ると、小鬼たちはまた訝しげに顔を見合わせる。
「……え、どう見ても犬だよな……?」
「オオカミって何だ……? お前、聞いたことあるか……?」
小声でぼそぼそと囁き合っているが、いまのハウルの耳には全てが丸聞こえである。
まさか、この世界では狼という生き物の存在自体がないのか。いや、ひょっとしたら狼も大雑把に、「犬」という生き物にカテゴリーされてしまっているのかもしれない。
そんなことを考えているうちに、疑念に満ちた小鬼たちの視線が飛んでくる。
「怪しいやつ……そもそも、犬の毛皮を被ることに何のメリットもないし……」
「変態の恐れがある……捕まえてひっぺがすか……?」
「うるせえな! とにかく、俺はギデオンの仲間だよ!」
言ってしまってから、ハウルは背中がむず痒くなった。
途端に気まずさを覚え、思わず顔をしかめてしまう。
(俺が、他のやつを仲間だと……? いや、違うな……こう言っといた方が、都合がいいってだけだ!)
その思惑どおり、ハウルの言葉は小鬼たちに劇的な効果をもたらしていた。
彼らは急に瞳を輝かせると、うっとりした様子でハウルを眺めた。
「おお! これはとんだご無礼を! ギデオンさまのお仲間と言えば、わたくしめどもにとって主も同然!」
「よくよく見れば壮観なお顔つきでございやんす! 輝く毛並みは、高貴さを象徴しているようでございやんす!」
「……なんて調子のいいやつらだ」
ハウルは呻いた。
とはいえ、これで小鬼たちに敵意を向けられることはなさそうだ。
どうやらギデオンのやつは、随分と小鬼たちから尊敬を勝ち取っているらしい。
「……とにかく、その植物はおぞましく見えても、お前らの味方だ! 切り倒そうとかするんじゃねえぞ!」
「かしこまりやんした!」
ギデオンのことだ。あんな姿になっても、そのうちケロッと目を覚ますに違いない。
いまはそれよりも、ミレニアの方が心配だった。しかし彼女の匂いを探ろうにも、周りに漂う花々の強烈な悪臭を吸いこんで、鼻が馬鹿になっている。
(くそっ、ギデオンの馬鹿野郎め、よりによって俺の鼻を潰しやがって……)
こうなってしまった以上、足で探すしかあるまい。きっとまだ、ミレニアたちは遠くへ行っていないはずだ。
ハウルは踵を返し、夜のペッカトリアを駆け出した。




