交錯点
辺りは暗くなり、街灯がちらほらとつき始める時間帯になっていた。
メガロがスカーたちを連れてきたのは、南区の貧民街だった。都市壁とほとんど隣接しているといってもいい場所に、こじんまりとした家が建っている。
「……あそこだよ、兄貴」
メガロは青い血のしみ込んだ女物の衣類を、好みのタオルを大事そうに持つ幼児を思わせる態度で握り締めている。
この服は、先ほどスカーの家でクローゼットを漁っていたときに見つけたのだ。
スカーはその服を見たとき、それがあの左右で瞳の色が違う女が着ていた服だとすぐにわかった。そう言えば、初めてメニオールがあの女を地下牢に連れてきたとき、彼女は青く濡れていた。あれこそが、ハウルというガキの血だったわけだ。
「あの家に、狼小僧がいるってんだな?」
「ああ、間違いないよ」
メガロが頷くのを見て、スカーは心が沸き立つのを感じた。
ひょっとしたら、メニオールもあそこにいるかもしれない……。
「よし、お前たちはここで待ってろ。その狼小僧を捕まえてくる」
「え?」
「え、じゃねえよ。もしあそこにメニオールもいた場合、お前たちは邪魔だからな。メニオールは人を操る力を持ってる。お前らまで敵に回すんじゃ、やりにくいったらねえだろ? 兄弟分を殺す羽目になっちまう」
先ほどリンテールを殺したことを棚に上げ、スカーは抜け抜けとそう言う。
「でも兄貴、一人で勝ち目はあるのかい?」
「何が言いたい?」
「いや、一度兄貴はメニオールにやり込められちまってるんだろ?」
「勝ちたいわけじゃねえんだよ。俺はメニオールと殺し合いをしてえのさ。その結果、俺が死んだら、そのときはそのときだ」
するとメガロは訝しげに眉をひそめた。
「死んでもいいってのか?」
「構わねえ。だが、俺だってただじゃ死なねえぜ。俺はしつこい男だからな……」
「待ってくれよ。それじゃ死にに行くみてえな言い方だ。俺は荒事でも役に立つ。ラスティは契約術って役割があるからわかるにせよ、俺くらい連れてってくれてもいいだろ」
メガロはしつこく言い募ってくる。
「おい、メガロ。お前、何を考えてる? この際だ、正直に言えよ」
「……この血の持ち主が、あそこにいるんだ。貴重な欠陥生物が」
そう言うと、メガロは青い血のついた服に鼻をこすりつけ、思い切り息を吸い込んだ。
「ああ、たまらねえ……この血はもはや芸術さ。いったいどうやって作り出したんだ……」
「そいつの血が欲しいのか?」
「そうさ。あそこにメニオールがいたら、兄貴はきっとそいつに夢中になる。そしたら、狼小僧の方には逃げられちまうかもしれねえ……」
「てめえはどうしようもねえイカれ野郎だな!」
スカーが声を上げて笑うと、メガロは拗ねるようにして口を尖らせた。
「……兄貴に言われたくねえよ」
「……くっく、いいぜ、メガロ。お前も来い。だがメニオールには、絶対に触れられるな。彼女の付与魔法を張り付けられたが最後、お前の身体はもうお前のものじゃねえ」
「わかった。肝に銘じるよ」
「ラスティ、お前はここで待ってろ」
そう言って、スカーは今度、もう一人の同行者の方を振り返った。
「……俺も兄貴の魔法を借りたままだったら、戦力になれたんだがな」
「馬鹿言え。いまの契約術の方が、よほど役に立つ。お前がいる限り、メニオールは二層世界に行けねえ。ずっとこうやって、ここで俺と鬼ごっこをする羽目になるのさ」
「わかったよ、兄貴。俺は俺のできることを――て、ありゃ何だ?」
言葉の途中で、ラスティは突然大きく目を見開いた。
「どうした?」
「……ほら、あっちの道! なんだあの化け物は……?」
「化け物だと?」
スカーは、ラスティの指差す方向をしげしげと見つめた。
薄暗がりの向こう――スカーたちが来たのとは逆方向から、妙な虫を連れた二人組がやってくるのが見えた。
見たことがない虫の魔物だ。大きさは中型の犬程度だろうか。
光り輝く鱗粉で、身体中にびっしりと生えた白い毛がキラキラと輝いている。
蜘蛛のようにも見えたが、羽が生えている。とはいえ退化して飛べないらしく、頭部を地面にこすり付けるようにして地を這っている……。
虫は首輪が嵌められており、そこから伸びる鎖を奴隷と思われる女が握っていた。
そして、その女の横を歩いているのは――。
「……ありゃあ、昨日の騎士さんじゃねえか」
スカーは、奴隷女の横を歩く男に見覚えがあった。
昨日トバルの工房で会った騎士だ。
確か名前はストレアル。彼は、フェノムの客人だとか何とか言っていたはずだが。
「兄貴の知り合いかい?」
「知ってるっていや知ってるが、それだけだ。二、三会話したくらいの仲だよ」
だが、どうしてあの男がここにいる? 昨日あいつは、スカーのヒントをもとに、とある奴隷女を探して、ゴスペルの屋敷に向かったはずだった。
ちょうどいま、メガロのやつが握り締めている服を着ていた女だ。
あの騎士はゴスペルの屋敷で、目当ての女を見つけられなかったのだろうか? メニオールが何かを隠すなら、きっとそこだと思ったのだが……。
「……まずいな」
スカーは、顔をしかめて呟いた。
「まずい? 何が?」
「あの野郎は現役の王国騎士で、腕前はフェノムのお墨付きさ。女神の加護ってやつを持ってて、俺じゃあとても敵わんそうだ」
「兄貴よりも強いってのか?」
「お前らは誰に捕まった? 騎士だろ? つまりは、そういうこった」
スカーが言うと、メガロとラスティの表情が曇る。
この監獄に入れられるほどの罪人ならば、身柄確保のために、国から強力な騎士が派遣される場合がほとんどだ。聞いたことはないが、おそらくこの二人にも相応の騎士が差し向けられたのだろう。
「……じゃあ突入はやめとくかい?」
「いや、ちょっと様子を見よう……あの騎士はちょっとした散歩をしてるだけかもしれねえしな。見ろよ、あの虫は足がうじゃうじゃとありやがる。たまに散歩させとかねえと、足の使い方を忘れちまうのかもしれねえぜ」
スカーがそんな冗談を言っていると、虫がスカーの目当ての家の前でピタリと止まった。
騎士と奴隷女は、その場で何やらひそひそと話し合いを始めた。
「……どうやら、兄貴の予想は外れたみてえだな。あれは単なる散歩じゃねえぜ」
「そんなことは、わかってるよ」
「どうする?」
メガロに訊ねられ、スカーはじっと考え込んだ。
あそこにメニオールがいるかもしれない。だとすれば、こうして指をくわえて待っているわけにはいかない。
だが、あの騎士は直接やり合うためには危険な相手だ。
(命は一つしかねえ……俺の命は、メニオールのためにしか賭けられねえってのに)
そうこうしているうちに、騎士は身振りで虫と奴隷女を遠ざけた。
それから、家の玄関の方に向かって悠然と歩を進めて行った。




