異常者たちのキメラ
大広間の隅にギデオンを連れて行くと、ハーロッドは声をひそめて訊ねた。
「なあ、何をそんなに暗い顔をしてるっていうんだい? あんな可愛い嫁さんをもらって、何を不服に思うことがあるっていうんだ?」
「これは単なるごっこ遊びだ。俺とリルパはあんたが思っているような関係じゃない」
「結婚したんじゃないのか?」
「リルパは、その意味さえ知らないだろう。周りが勝手に騒ぎ立てているだけだ」
「でも、彼女はあんなに嬉しそうにしてる。少なくとも、お前に惚れてることは間違いねえよ」
「俺は違う。俺はリルパを愛してなどいない」
「なんだ、そういうことか」
ハーロッドは訳知り顔で頷いた。
「マリッジ・ブルーってやつだな。わかるよ。俺も初めて女と結婚しようってときは、そんな風になったもんさ」
とはいえ結局、その女と結婚することはなかったが。
心に決めた彼女は結婚詐欺師で、貢がせるだけ貢がせてハーロッドの手の中をすり抜けて行ったのだ。
ハートを盗まれたその日から、ハーロッドはどんな女も本気で愛することができなくなり、気づけば彼女と同じような結婚詐欺を繰り返していた。
ここに落とされることになった裁判で判事の言った「極めて計画的で悪質」という言葉を、いまでも覚えている。
「でもさ、あんまりしょい込むなよ。お前みたいな若いやつは、女と付き合ったり結婚したりすることを、何か神聖なものととかく勘違いしがちだ。だが、俺は断言するね。恋愛なんてのは、本気でするものじゃねえってな。あれは、単なる遊びだよ」
「忠告されるまでもなく、俺はもう本気で誰かを愛することなんてない。愛してはいけないんだ」
「へえ、ひょっとしてお前にも何か前科があるのかい?」
「前科? どういうことだ?」
「『もう』って言っただろ? 一度、誰かを愛して失敗したってわけだ」
ハーロッドが耳ざとくそう言うと、ギデオンはさっと顔色を変えた。
「……俺が愛した人は不幸になる。俺は人を不幸にすることしかできない」
「なんて傲慢なやつだ! 人の幸不幸なんてのは、お前が決めることじゃねえよ。その人自身が決めることなんだぜ。お前は自分本位で、自分の目からしか世界を見ちゃいねえ……ただ、確かに、誰しも自分の視点以外から物事を眺められないってのも、一つの真理だ。だから、自分勝手に思い悩まず、他人のことは他人に任せて、したいようにすればいいんだよ。それが人生を楽しむコツさ」
「あんたは俺にこんな話をするために、ここまで来たのか?」
ギデオンは、ジロリとハーロッドを見つめた。
「ああ、違うよ。でも、お前のためになるかなと思ったのさ。もっとリラックスして楽しめよ。いまのお前は、まるで葬式に参列してるみたいだぜ」
「実際、これは葬式そのものだ」
暗い顔で大広間の集まりに目を向けるギデオンを、ハーロッドはしげしげと見つめた。
「ひょっとしてギデオン。お前、小鬼は嫌いか?」
「いや、好きだ。この世界は、彼らのためにあるべきだ」
「じゃあ、なんであんなに楽しそうにする娘たちの集まりを、葬式だなんて言うんだ?」
「彼らは間違いを犯している。俺をなにか、リルパ同様優れた存在だと思い込んでいるようだ。俺がやったことなんて、ただリルパに血を提供して、舌鼓を打たせたって程度なのに」
「多分、それだけじゃねえんだろうさ。リルパが誰かの血を気に入ることは、確かに珍しいがこれまでにもなかったわけじゃねえ。そういうやつらは城で丁重にもてなされて……でも、彼女がその味に飽きちまうと、すぐに元の鞘に収まることになった。それが普通だし、血の提供者だってそれを残念がったりしない」
「何が言いたい?」
「でも、お前は違う――そういう話さ。お前には、リルパを固執させちまう何かがあるってことなんだろう。そしてそのことを悟っているから、周りの小鬼もことさらに騒ぎ立てているってわけだ」
「少しいいか?」
「何だ?」
「その小鬼という言い方をやめろ」
そう言って、ギデオンはハーロッドを睨みつけた。
ハーロッドは肩をすくめて応える。
「それはできんさ。なぜなら、俺はペッカトリアの囚人だからな。小鬼を管理する立場上の問題がある。それに、小鬼たちも自分たちのことを小鬼という。それを侮辱的な呼び方だと思っていないのさ」
「お前たちに、言わされているだけだ。彼らはゴブリンだ」
「俺だって言わされてるんだ。ペッカトリアにな。わかるか? 誰かにじゃない。ペッカトリアにだ」
すると、ギデオンは眉をひそめた。
「……あんたはわけのわからないことを言うやつだ。ペッカトリアを動かしているのはあんたたち囚人だろう」
「それはそうだが、組織っていうのは単なる個人の集まりじゃねえ。一人一人が一の力を持ちよっていたはずなのに、十人の総体の力が百や二百になったりもするのさ。組織の中にいる個人の考えとして組織のルールは決定されるはずだが、そのルールってやつは今度個人を超越して存在することになる。国の法律しかり、宗教の戒律しかり。それは空気と言ってもいい。価値観と言ったり、常識と言ってもいい。人が決め、しかし人を越えて存在するもの。それが組織を動かし、同時に組織を縛る」
ハーロッドはギデオンに顔を寄せ、声をひそめた。
「……とりわけ、ペッカトリアって組織は怪物だ。異常者たちのキメラだよ。そこに蔓延する空気は醜悪で、怖気の走る価値観が常識面してやがる」
「あんたもその一員だ」
「そうとも。お前もな」
ハーロッドはニヤリと笑ってから続けた。
「本題を伝えるぜ、ギデオン。俺がここに来た理由だ。ペッカトリアでは、これから虐殺が始まる。さっき、会議でそういう決定が下されたんだ」
「……虐殺?」
そう言って、ギデオンはポカンと口を半開きにした。
「そうとも。囚人奴隷と奴隷を全員処分するんだと。メニオールっていう女を探し出すためにな」
「やめさせろ」
「それはできない。理由はいま話した」
ギデオンはいきなりハーロッドの胸ぐらを掴み、ものすごい力で彼を壁に押し付けた。
「……俺にあたるな、ギデオン。悪いのはペッカトリアだろ?」
「お前もその一員だ! ふざけるな!」
「俺だって怖いさ。俺の他にも、怖がってるやつはたくさんいたはずだ。でも、どうしようもねえんだよ。それがペッカトリアの総意なんだ。物事を動かそうとする者、そして決まったことに従う者。大別すれば、この世界にはその二種類の人間しかいねえ……いや、もう一種類いるかな。空気を読めず、排除される者だ」
ハーロッドは、ギデオンの腕を強引に振り払った。
「……俺は最後の一種類にはなりたくねえ。組織の空気に従ったまでさ……」
「ドグマを殺せば、ペッカトリアは止まるのか?」
「わからねえやつだな! 個人の問題じゃないって、いま言ったばかりだろ」
「じゃあどうすればいい! お前たちを全員殺せばペッカトリアは止まるのか!」
「それこそナンセンスってもんだ。囚人はもうこの世界の歯車の一つなんだぜ。それを排除するのは、この世界の崩壊を意味する。たとえば、お前が好きだという小鬼さ。囚人に管理されて生きてるやつらが、囚人たちなしでやっていけると思うか?」
その問いに、ギデオンは迷う素振りも見せずに即答した。
「思う。彼らは俺たちよりもよほど頭のいい種族だ」
「お前は馬鹿だぜ、ギデオン。いや、考える時間が足りないだけかもしれねえ。お前がこの世界に来て、まだ一週間程度だ。お前はまだまだ無知過ぎる……」
「無知? お前のいう醜悪な空気を吸い、怖気の走る価値観を持つことが、知識をつけるということなのか? それが賢くなるということなら、俺は馬鹿なままでいい。狂った歯車を使うことでしか動かない世界なら、いっそ止めてしまった方がいい」
ギデオンは燃える目でそう言うと、ハーロッドを置いて歩き出す。
「お、おい! どこに行くってんだ?」
「ペッカトリアだ」
「ちょっと待てよ! 俺はリルパに、お前をすぐに返すって約束しちまったんだぜ。せめて、リルパに一声かけてから……」
「俺の知ったことじゃない。俺はもともと、あいつのものでも何でもない」
――こいつ、完全にイカれてやがる!
ハーロッドは、リルパさえ歯牙にかけずに大広間を出て行くギデオンを、ただ見送ることしかできなかった。




