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監獄ダンジョンと追放英雄  作者: ゆきのふ
世界の大穴
172/219

執着心

 世界と一体になった感覚だった。


 マナを呼べば呼ぶほど、それが自分の力に変わる。

 肉の檻に閉じ込められて生きていたときには、決して得られない感覚だった。


 とはいえ、こんなことができる自分が、何者かわからない。

 怯え、泣き続ける自分を肉の檻の中から丁寧にすくい上げたガキが、何か名前のようなものを口にしていた気がするが、それも思い出せない。


「ふっふん、オマエは今日から、わしの土人形……もうオマエに名前はなく、あるのは役割だけなのダナ」


 ――土人形。


 それがいまの自分の魂を包む身体か。

 しかし肉の檻を脱ぎ去っても、『騎士』という身分と、いままでの自分を取り巻いていた状況だけははっきりと覚えていた。

 そして、いまやるべきことも。


 ……決着がまだだ。


 騎士は、自分の名前よりも遥かに重要な名前を憶えていた。

 その女の名は、メニオール。かつての自分に傷を負わせた、力ある者だ。



 騎士は醜悪な男の顔面に突き刺した剣を引き抜くと、そばで震える奴隷に近づいた。


「大丈夫でしたか?」

「あ、あなたは……?」

「私は騎士。民を守るのが仕事です……いえ、仕事でした、と言った方がいいでしょうか。いまとなっては、それもどうでもいいことですが」

「ああ、騎士さま……」


 奴隷たちは手を合わせ、拝むようにして騎士を見つめた。


「この屋敷の主はどこに行ったのです? 本来、あのような汚物を払いのけるのは彼の役目でしょう」

「屋敷があのような状態で、ご主人さまは昨日から行方不明なのです……」

「行方不明……?」


 騎士は顎をさすって考えた。

 昨日、あのゴスペルと呼ばれる無貌種(シェイプシフター)にとどめは刺さなかった。

 彼とメニオールの繋がりに目をつけ、話を聞くためにここにきたのだが、それも無駄足になったか。いや……。


「ゴスペルの行きそうな場所に、心当たりはありませんか? 彼は間違いなく生きているはずですが」


 奴隷たちはお互いに顔を見合わせ、首を横に振る。

 そのとき、先ほどあの醜悪な男に難癖をつけられて顎を外された女が、「うー!」と唸り声を上げた。


 騎士はその女が何か言いたそうな目をしていることに気づき、彼女のそばに寄った。


「……少し痛みを感じますが、我慢してください。あと、舌を噛まないように」


 彼女の顎に手をやり、ぐっと力を込めると、外れた骨が正しい位置に収まる。

 女は両手で首筋を抑え、何度か咳き込んだ。


「しゃべれますか?」

「は、はい、ありがとうございます、騎士さま……」


 女は涙のにじんだ目で、騎士を見つめた。


「あなたには、何か考えがあるのですか? 何か言いたそうにしていましたが」

「ゴスペルさまが無事というのは本当ですか?」

「本当ですよ」


 もっとも、あの戦いの後で他の者に始末されていれば話は変わってくる――が、無貌種(シェイプシフター)を消し去る力を持つ者など、そうそういないだろう。


 騎士が自信満々に頷くのを見て、奴隷女はほっと安堵の表情を浮かべた。


「心当たりというわけではありませんが、あの方を探す手段はあるかもしれません……」

「ほう? それはどのようにして?」

「ゴスペルさまは、たくさんのキメラを飼っていらっしゃいました。その中に、特殊なフェロモンを含有する糸を出す魔物がいたのです。ゴスペルさまは最近、私たち奴隷にそのフェロモン地で作った服を着せていました。よく奴隷がいなくなるので、その対策だとおっしゃって」

「奴隷がいなくなる?」

「あの方は――私がこんなことを言うのはおこがましいのですが――随分と甘いお方でしたので、他の囚人さまが横柄な態度に出られることも多かったのです。所有物を略奪されることもしばしばおありでした」

「なるほど」


 騎士は目を細めた。先ほどのような汚物が幅を利かせている世界だ。そういうこともあるだろう。

 女は続けた。


「実際に、そのキメラを使ってフェロモンを辿り、いなくなった奴隷を見つけ出すこともありました。大半は死亡していましたが……」

「あなたのお話はよくわかりました。そのキメラの個体が生き残っていればいいですが」


 そう言って、騎士は崩れた屋敷の方をちらりと一瞥した。彼女の言うキメラの多くは、昨日自分が切り殺してしまったはずだ。


「しかし、そのキメラが生き残っていたとしても、ゴスペル自身はフェロモン地の衣類を着ていないのでは?」


 すると、彼女は咄嗟に複雑そうな表情を浮かべる。


「……最近、ゴスペルさまは新しく買った奴隷をお気に召していた様子でした。ずっとそばに置いて離さず、それはもう大変な可愛がりようで」

「それがどうしたというのです?」

「その奴隷もこの場にいません。ひょっとしたら、ゴスペルさまはその奴隷を連れてどこかに行っているのかもしれません」

「ゴスペルの行先は辿れずとも、その奴隷の行先なら辿れるかもしれないというわけですか」

「そう……だと思います」


 彼女は随分と歯切れが悪い。


「ゴスペルが心配ですか? 彼はあなたにとって、随分と大切な存在のようだ」


 騎士がそう聞くと、女はさっと顔を赤らめた。それが、彼女の複雑そうな表情の答え合わせになっていた。


「も、もちろん大切です! 私たちの大切なご主人さまですから……」

「その奴隷というのは女性でしょう?」


 彼女はポカンと呆気に取られたような顔になる。


「そ、そうですが……どうしてわかったのです……?」

「いえ、勘です。ただ私にも、その女性に心当たりがあるのですよ」


 ニヤリと笑みを浮かべながら、騎士はその女の姿を思い浮かべていた。

 黒い艶やかな髪。そして、金色に輝いた左目……。


「……安心しなさい。ゴスペルはその奴隷に対し、あなたが心配しているような特別な感情を抱いていませんよ。ただ、匿っていただけです」

「匿う? 何からです?」

「脅威から。しかし、その脅威はすでに過ぎ去りました。過ぎ去ったというより、()()失われた(・・・・)という表現が正しいかもしれませんが」


 もはやミトラルダに興味はない。ホロウルンからの寵愛を失ったいま、フォレースとラビリントへの信仰は消え去っていた。そういう意味では、女神の加護は呪いのようなものだったのかもしれない。自分の心を一つに縛り付けるための、重苦しい愛の呪い……。


 騎士は腕を伸ばし、その先にある五本の指をしげしげと見つめた。

 薄く細かいひび割れが走っていた土くれの身体は、いま完全に元通りになっている。


「……さて、こちらの熱も失われてきたようですね。ようやく水分が戻ってきました。先ほどの汚物も、なかなかやるようですね」

「はあ……?」

「ああ、脱線してすみません。とにかく、そのキメラを探しましょう。手伝ってもらってもいいですか?」

「もちろんです!」


 彼女はそう言って他の奴隷たちを振り返った。


「みんなもやりましょう。こんなところでメソメソしていても、何も事態は解決しません。ご主人さまに戻ってきてもらいましょう」

「しかし、その囚人さまが言ったのが本当だったら? 奴隷を皆殺しにすると……」


 奴隷の一人が、囚人の死体を指差して言った。


「ゴスペルさまが、そのようなことをお許しになるはずはありません!」


 力強く宣言する彼女の様子を見て、騎士はこの世界のアンバランスさがおかしくなって、一人笑みを漏らした。


 あの無貌種(シェイプシフター)の方が人間よりも人間的な思考をして、こうして周りの尊敬を勝ち得ているとは、なんとも皮肉な話ではないか。

 やはりこの世界は狂っている。


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