奴隷と密約
ハウルの昇格に関してドグマに会いに行ったが、彼は誰かと面会中だったらしく、その後に会うにしてもすでに時間が遅いということで、ギデオンたちは宮殿を去ることになった。
医者のところへ向かう竜車の中で、ギデオンはハウルに彼やミレニアの境遇を話した。
「別に誰に買われようと俺は構わねえぜ。そいつの死期が早まるだけだ」
「大丈夫だ。俺が朝一番にドグマに掛け合って、お前を推薦する。そうすれば、競売にかけられることはない」
するとハウルは自分の足に嵌められた足輪に視線を落とし、それからまたギデオンの方をちらりと一瞥した。
「……礼なんて言わねえからな」
「礼が欲しくてやってるわけじゃない。俺がやっていることは結局のところ、あのスカーの言うとおり偽善だ。視界に入った誰かの痛みを取り除こうとしているだけで、根本的な解決をしているわけではない。ここには囚人奴隷が他にも、山ほどいるっていうのにな……」
ギデオンがトーンダウンする中、ハウルはどこか居心地が悪そうにしていた。
「しかし残酷な制度だ。囚人奴隷の推薦なんて、普通は主人が率先して行うわけはない。自分の奴隷として置いておいた方がよっぽど利口だからな」
「自分の手に余ったときだけとか、そういうことか?」
「だろうな。必然的に、自分の力に自信のあるやつが囚人奴隷を買うようになる。そうやって、またそいつは力をつける。ドグマのやつが、ここの囚人の生活を貴族の暮らしとか言っていた理由が、何となくわかってきた」
「弱いやつは一生、そいつらの囚人奴隷ってことかよ」
「そうだ」
頷くギデオンの頭にあるのは、もちろんミレニアのことだった。
スカーにはあのあと、彼女を丁重に扱うようにと何度も釘を刺した。ギデオンとミレニアが相互補助の契約を結んでいることを伝え、彼女の身に何かがあればただではすまさないとすごんでみたものの、それがどれだけの効果を発するかわからない。
そもそもスカーには、カルボファントの象牙の在り処というギデオンの急所をすでに握られている。こんなにも誰かに手玉に取られるという経験は、これまでの人生で一度もないことだった。
(あの男は、王さま気分でふんぞり返っているドグマなんかより、よほど性質が悪い。いまは気まぐれで俺に協力を求めてきているが、絶対にいつか大きな障害として立ちはだかるに違いない……)
竜車が目的地に到着すると、ギデオンは白亜でつくられた病院らしき建物の入り口をノックした。
そこから出てきたゴブリンは、大きな目をギョロギョロと動かし、見慣れぬギデオンを訝しげに眺めたが、下を見てギデオンの足に足輪が嵌められていないことを確認すると、途端ににっこりと笑みを浮かべた。
「ご用向きはなんでございやんすか! 旦那さま!」
「今日、ここに囚人が五人運び込まれたはずだが」
「囚人さまが……? ひょっとして、あの薄汚い囚人奴隷どもでございやんすか? 確か、今日この街に入ったばかりで、まだ足輪を嵌められていないのをいいことに、分不相応な処置を恵んでもらっている乞食どもが、五人ほど運び込まれやんしたが……」
「それを依頼したのが俺だ」
「おお、何と、そうでしょうとも! 慈悲深き主人に恵まれ、なんと幸運な所有物なのかとみなで噂していたところでございやんす! さ、さ、どうぞ、こちらへ……」
そのゴブリンはギデオンたちを病室へと案内する間に、五人の容体をざっと説明した。
どうも、何人かはすでに目を覚ましたようだった。ただ、いきなり見知らぬ緑色の生物たちの働く場所に放り込まれ、状況がわからずに萎縮してしまっているらしい。
「そりゃあ、そうだよな。誰だって目が覚めてそんな展開だったら、落ち着いてられる自信なんてねえからよ。なあ?」
ハウルは茶化した態度で、ギデオンに同意を求めるようにそう言った。
すると、ゴブリンは幽霊でも見たかのように口をあんぐりと開けた。それからハウルの足に嵌まる足輪を何度も指差し、吠えるような声を上げる。
「こ、こ、この囚人奴隷が! いま――旦那さまに――何という口のきき方を!」
「ああ? なんだてめえ」
「おい、待て! ……すまない、説明が遅れた。この獣人は追加の患者だ。精神をやられてるから、今日は静かに療養できる部屋を用意してやってほしい」
「せ、精神を……? あ、ああ、そういうことでやんしたか! お、驚きやんした!」
「今日一日、ひょっとしたらお前たちに生意気な口をきくかもしれんが、俺の顔に免じて許してやってくれ」
「もっちろんですとも! 旦那さまの所有物を預からせていただくのでやんすから、誠心誠意尽くさせていただきやんす!」
すぐに気持ちを切り替え、喜び勇んだ様子で二人を先導するゴブリンに聞こえないように、ハウルがぼそりと呟いた。
「……おい、ギデオン……」
「……何だ?」
「……こっちの台詞だろ。いまの、何だよ?」
「……言いたいことはあるだろうが、いまは我慢しろ。明日までの辛抱だ」
「……ちぇっ」
ハウルはまた居心地が悪そうに身を縮めると、小さく舌打ちした。
※
ドグマは仮面の男の前に、目録書の束を置いた。それはスカーが言っていたように、今週入ってくる囚人たちのうち、すでに殺しが完了した者たちのリストだった。
「確認してくれ。こいつらはもうこの世にいねえ」
「依頼は全員だったはずですが」
会合の席につくなり、仮面の男は、リストを見ようともせずにそう言った。
(この仮面野郎……! 調子に乗りくさりやがって……)
口調こそ丁寧だったものの、男は明らかにこちらを見下しており、この世界の王である自分に対してふさわしい態度とは言えなかった。
「いいからちゃんと見ろよ。あんたの目星がいるかもしれねえだろ。誰を殺したかったんだ、え?」
「全員です。あなた方はまだ、仕事を完了していない」
頑なに態度を変えない男を前にして、ドグマはついに声を荒げた。
「てめえ、わかったような口をきいてんじゃねえぞ!」
「わかりますよ。実際にこの目で見ました。今週入所する囚人が、この街に辿り着いていたようでしたし」
「そうかい? じゃあ言わせてもらうがよ……てめえの提示した報酬じゃ、てんで割に合わねえのさ! 三十二人も殺すんだぞ! 俺たちの家族になるやつらをだ! 俺にだって人情ってもんがあるさ……」
すると男が仮面の奥で、ふんと鼻で笑うのがわかった。
「……家族?」
「そうさ! 俺たちは同じ境遇の家族なんだよ! てめえみてえな、育ちの良さそうなボンボンにはわからねえだろうがな!」
「ひょっとしていま、交渉しているつもりですか? 報酬を吊り上げようと? 卑しい人だ」
「断るって言ってんだよ、石頭! ここのボスは俺だ! 俺がやらないと言った以上、仕事なんてものは発生しねえ! 払う予定だった報酬を持って、とっとと帰りやがれ!」
「まあ、待ってください。あなたには、本当の家族がいるでしょう? あなたは彼らの生命を、他の囚人たちの生命と同列に扱おうというのですか?」
そう言うと、仮面の男は目をすっと細めた。
「……どういう意味だ?」
「報酬を上乗せして差し上げましょう。開けてください」
仮面の男が、布で包んだ巨大な何かをテーブルに乗せた。どうもそれはバランスが悪いものらしく、一度ゴロリと転がって止まった。
訝しがりながら、ドグマは包みを開いた。
「……な、なんだこりゃあ……? てめえ、こんなもんをなんのつもりで……」
そこにあったのは、丸々と太った巨大な人間の右腕だった。腕はひじのあたりで切断されており、指先が青く変色している。
「どなたの腕かわかりますか? わからなければ、あなたは父親失格だ」
「ま、まさか、てめえ! これは俺のガキの――!?」
「ヴァロと言いましたかね? 愚かな父親のせいで、あなたの子どもはもう誰かと抱擁を交わすこともできない。もっともあんなブタには、抱きつかれる方も困るでしょうが」
「ヴァロはどこにいる! この仮面野郎!」
ギデオンにやりこめられたヴァロは、あれから目を覚ますと荒れに荒れて宮殿を飛び出していった。いまごろ、適当な小鬼でもいじめて憂さ晴らしをしているのだろうと思っていたが……。
「あのブタは私が預かっています。『パパ、パパ……』と泣きわめいて困りますよ」
ドグマは怒り狂って、仮面の男に突進した。
すでに立ち上がっていた男は、ひょいと跳躍して突進から身をかわす。軽やかに宙を舞って着地してから、男は何事もなかったかのようにすっと立ち上がり、ドグマの方を振り返って冷淡な声を出した。
「仕事をする気になりましたか、ボス?」
「……てめえ、もう生かして帰さねえ!」
ドグマは亜空間から愛用の斧を取り出すと、仮面の男に向けて思い切り振りおろした。
相対する男は、咄嗟に腰に差していた剣を抜き、上段に構える。
完全に虚を突いて繰り出されたドグマ渾身の一撃を、彼は細い右腕一本で受けることになった。
二人の体格差は明らかで、勝負の結果は目に見えていた。
鈍い衝突音が響き渡り――
……そしてドグマは、自分の斧が切断されたことを知ると、驚愕に目を見開いた。
「ば、馬鹿なァ……!?」
「いまのはどうやったのです? あなたの魔法は無から物質を作ることですか? とはいえ、私には通用しませんが」
仮面の男が悠然と構える剣は、金色に光り輝いている。
「な、何だその剣は……てめえはいったい……?」
「騎士にとって剣は誇り。それをこんな薄汚い場所で振るうことになろうとはね。慙愧に堪えませんよ」
「騎士だと……?」
「そのとおり。私はフォレース王と王国を守護する者。この場所はフォレース王国の所有地であり、あなたは暫定的にその管理を任されているだけの身分なのですよ。身の程をわきまえてほしいものです」
「……その騎士さまが、なんで囚人を皆殺しにしようってんだ?」
「もちろん、フォレース王国のために」
そのときドグマの脳裏に浮かんだのは、ギデオンの罪状だった。あいつは無謀にも、国家転覆をはかったという話だ。
(スカーの読みは当たりやがったな……やっぱりこいつの狙いはギデオンだった……)
冷や汗をぬぐうドグマの前で、仮面の男は剣を鞘に納めた。
「……巨人は頑丈です。殺すのにはいささか骨が折れる」
「何だと……?」
男の剣には、ドグマに死を覚悟させる迫力が備わっていた。ひとまずそれが収められたことに、ほっと息をつく間もなく――
「あなたの話ではありませんよ。要するに、ここにいない哀れな巨人の坊やは、まだ死んでいないということです。私の依頼を完遂していただければ、お返しいたしますよ」
「そ、そいつは確かなんだな……?」
「もちろん。ですが、急いでくださいね。私は我慢強い方ではありませんから。事実、こんな汚らしい場所の空気を吸い続けているという現実が許しがたい。この上なくね……」
すでにこの空間の支配者は、ドグマではなく仮面の男だった。
ふいにドグマは、強大な力を持つ魔女フルールの前で、自分がずっと小さくなっていたことを思い出し、渋面を作った。
いつだって自分よりも強いやつはいる。
だが、立ち回り方を心得ることで、いつだって地位をひっくり返すことができる。
「……わかった。今晩中に新入りどもを皆殺しにする」
「すばらしい。一つ言っておくと、リルパなる力で私を排除しようとは思わないことです。この世界の神など、私の前では取るに足らない。なにより父親に反抗の意思ありとして、可愛い坊やが悲しむことになりますからね」
ドグマは、目の前の男が抜け目なく釘を刺してきたことに、内心で毒づいた。
もはや残された方法は一つだった。
……スカーには悪いが、やはりギデオンには死んでもらう。もちろん、他の新入りたちもだ。
 




