ホムンクルス
「――何なのダナ! 何なのダナ!」
応接室にその少女が飛び込んできたのを見て、フェノムは苦笑した。
「ごめんよ、ソラ。驚かせてしまったかい?」
「……おっきい音がしてびっくりしたのダナ! 壁にも穴が開いてるのダナ!」
その少女――ソラは、エンブレンの稲妻が開けた穴を指差して、プリプリと怒った。
「ぼくの心配をしてくれたっていいだろう? ぼくだって、その壁が受けたものと同じ衝撃を受けたんだよ」
フェノムは手で口を拭い、青い血の付いた人差し指を掲げる。
「オマエの心配なんて、するだけ無駄なのダナ!」
「――フェノム!」
そのとき、遅れてコッコが部屋にやってきた。
彼はさっと顔を青ざめさせると、ソラとは違って心配そうにフェノムの方へと駆け寄ってくる。
「ひどい怪我です! まさか、不意打ちでも受けたのですか……?」
「いや、彼が迷っていたようだったからね。きちんと気持ちの整理をつけられるよう、攻撃させてあげたんだよ。これでペッカトリアの囚人たちは、ぼくに宣戦布告をしたことになる」
するとコッコは、床に倒れるエンブレンの死体を、憎々しげに睨みつけた。
「なんて不遜で汚らわしいんでしょうか……たかが人間が、フェノムに戦いを挑むなどと……しかも、こんな怪我まで与えるなんて……」
「ああ、やはり君は優しいね、コッコ」
そんなことを言っているうちに、フェノムの傷が癒えていく。
「ほら見ろ、どうせすぐ治るくせに、大げさなのダナ!」
「おばあちゃんは黙っていてください!」
「言われなくても、黙るのダナ! わしはオマエタチと遊んでるほど暇じゃないのダナ! ちゃんと壁の穴を直しておくのダナ!」
そう言うと、ソラは肩を怒らせて廊下の向こうへと行ってしまう――と思ったところでUターンしてきて、また大声を出した。
「――そう言えばフェノム! オマエが連れてきたあの魂は、とんだ不良品なのダナ!」
「……あの魂? ひょっとして、ストレアルのことかい?」
「そうなのダナ! わしの言うことをまるで聞かないのダナ!」
ソラは悔しそうに地団太を踏んでいる。
「君の言うことを聞かない魂なんてものが、存在するのかい?」
「存在するから怒ってるのダナ!」
それを聞き、フェノムには心当たりのようなものがあった。
「もしかして、彼は自分の魂を補強しているんじゃないかな? 魂とは結局、特殊なマナの集まりだろう? 彼はマナコールという技法を身につけているからね。それで他のマナを呼び寄せて、自分の魂を操られないような偽装工作を施しているのかも……」
「そんなことができるやつなんているのダナ?」
ソラはきょとんとフェノムを見返していたが、すぐにイライラと眉の角度を急にする。
「――いや、いるわけないのダナ! 全部オマエのせいなのダナ! もう金輪際、オマエの連れてくる人間の魂なんて信用してやらないのダナ!」
嵐のような勢いで、今度こそソラは廊下の向こうへと消え去った。
「……もう、本当にあの人は勝手なんですから」
しばらくして、コッコが口を開いた。
「まだ彼女の魂は完全じゃないんだろう。自分の魔法で自分の魂をすくい取ることは、途方もなく難しいことだからね」
「生きていたとき、おばあちゃんは本当に偉大な方だったんですか?」
「うん。物静かで、思慮深い人だった。ソラが生前のまま甦っていたら、もっとぼくの計画もスムーズに進んでいただろうね。たとえば、象牙の密輸だ。あれは土中魚を使ってやったけど、土人形を使用していれば、もっと簡単に象牙をぼくのところに届けられたろうから」
「おばあちゃんは、ずっと一つのことに夢中なんですよね?」
「ヤヌシスの魂に、だね。うん、生きていたときから、ソラは彼女のことをずっと気にしていた。ぼくもそのことで、相談を受けていたりしてからよくわかる。『どうすればヤヌシスの中から、もう一つの魂を取り出せるのダナ』ってね」
フェノムが肩をすくめて言うと、コッコはぎこちなく笑った。
「……生きていたときから、その口調だったんですね」
「そうとも。いまのソラも、きちんとソラだ。ただ、少し視野が狭くなっているだけでね。だから君が、気に病むことなんて一つもないんだよ、コッコ」
「……はい」
コッコの笑顔には、どこか陰りがある。
「そんな顔をしないでくれと言ってるのに。誰を媒体にしていても、ソラはいまのソラと同じように甦っていただろう。それに、ぼくはいまのソラも好きだよ」
ソラが死んだのはおよそ一年前。
そして、コッコが生まれたのも同時期。
ソラの死体はいま土の下にはなく、こうしていま動いて新たな魂を抱くほどになっている。
このコッコは、ソラの死体をもとにしてフェノムが作り出した欠陥生物だ。
言うならば、世の錬金術師たちが追い求めるフラスコの中の小人。
フェノムは自分の身体を崩しては再構成するうちに、いつの日か世界からまっとうな生物と認められなくなったが、そこで確立した技術を使えば、まったく新しい人間を誕生させることもできるだろうと確信するようになった。
コッコは、その第一号ということになる。
役目はもちろん、さまよえるソラの魂を身体に呼び戻すこと。
何よりもまず、ソラの魂を定着させるためには、生前に彼女がなじんだ身体が必要だったのだ。
そしてその魂の召喚は成功したのが、一月ほど前の夜である。
その日、コッコの中にソラの魂が生じたときのことを、フェノムはよく覚えている。
震えながら怖い怖いと泣くコッコを一晩中抱き締めていると、一緒に、彼の身体の奥にいるソラの魂を抱き締めているような気になった。
それからソラの魂は順調に自我を取り戻して行き、ときにコッコの身体を乗っ取って自分が前面に出てくるほどになった。
そこまで魂がしっかりしてくれば、彼女がフルールから授かった土人形の魔法を使い、自分の新しい身体を作り出すことができる。
そうしてソラが土からいまの身体を作り、魂の取り換えを行ったのが、ようやく三日前のこと。
これにてフェノムの計画は準備期間を終え、いよいよ実行段階に入ったというわけだ。
「……おばあちゃんを、ぼくの身体から分離するのが早かったんじゃないでしょうか?」
しかしコッコは、その日からずっと自分を責めていた。ソラが、話に聞かせていたほど偉大な人格者ではなかったため、その責任が自分にあると思っている様子だった。
「あるいは、ぼくを女の子の身体で作った方がよかったとか」
「どうして?」
「だって、子どもは女の人が産むんでしょう? お腹にもう一人の人間がいる間、その女の人は魂を二つ持ってることになります。きっと、ぼくが男の子の身体で魂を二つも持っていたから、その影響でおばあちゃんはあんな風におかしく……」
「そんな影響は一切ないよ。男とか女とか、人間のそういったことに深い違いはないんだ。ぼくも昔女の身体をしていたときがあるけど、それで特に何か変わったことはなかったしね」
その言葉を聞き、コッコは驚いた様子だった。
「そうなんですか? フェノムが女性の身体を?」
「うん。変かい?」
まじまじとフェノムの身体を見てから、コッコはさっと顔を赤らめた。
「ああ、ごめんなさい……」
「あっはっは、そうする必要があったんだよ。とある人……昔の仲間であり、最後には強大な敵対者にもなった人が、女に弱くてね。その人を打ち負かすために、自分の身体を女の身体に作り変えたんだよ。いまから思うと、あれもいい経験だった」
「フェノムが女性になったら、きっと美しいでしょうね……ああ、いまももちろん美しいですけど……」
「男とか女とか、人間のそういったことに深い違いはないんだよ」
フェノムはうっとりとこちらを見つめるコッコの頬を撫でながら、同じ言葉を繰り返した。
「性別とかは、その人間の持つ性質の一つに過ぎない。女だろうと男だろうと、尊敬できる人には心惹かれてしまうものだし、その逆もしかりだ」
「フルールがフェノムのものでなかったということが、ぼくには信じられません」
「そんなことはない。ぼくは自分の弱さを知っている。フルールを手に入れていたら、いまのぼくはなかったろう……ぼくは敗北者であり、さらに言えばその敗北を好ましく思っている傲慢な人間だ。実のところ、ぼくはいまのこの状況が結構気に入っているんだよ、コッコ」
そう言って、フェノムはエンブレンの死体をちらりと見つめた。
「とても心躍るというものだ。強大な敵対者がいるということは。いや、ペッカトリアの囚人たちなんかじゃない。ぼくが戦うのはリルパ……そして、彼だ」
「彼?」
「ああ。あの男を見たとき、ぼくの心の中に妙な期待感と不安が沸き起こった。あるいは彼は、リルパよりも強大な敵としてぼくの前に立ちふさがるかもしれない」
「リルパよりも? それは流石に考え過ぎでは……」
「考え過ぎであって欲しい。フルールのことを思うなら、リルパ以上の障害なんて想像したくもない……だが傲慢なぼくは、同時に彼に期待してしまっているんだよ」
――男の名は、ギデオン。
フェノムはその男を見たとき、これまで相対した存在たちが持ち得なかった、まったく異質な力を感じ取っていた。




