宣戦布告
外の世界で《麻痺屋》=エンブレンという通り名で知られていたエンブレンは、フォレース有数の闇ギルドに所属する殺し屋だった。
能力は、空間に稲妻を作り出すこと。
『雷紋』という紋章を空間に張りつけ、その紋章間に稲妻の一撃を生じさせることができるのだ。
この力で奪った生命は数知れず。
どこへ行っても、畏怖と敬意を払われる力であることは間違いない。それは監獄世界に堕ちてからも変わらなかった。
フェノムの屋敷にやってきたエンブレンは、小間使いの案内で応接間に通されるまでの間、いくつかこの『雷紋』を設置しておいた。
フェノムはただならぬ使い手であり、万が一の事態になったとき、後手に回っていては勝ち目がなくなるからだ。
(魔法を使うことがなけりゃいいがな……)
そんなことを考えているエンブレンの前で、小間使いが礼儀正しく頭を下げた。
「すぐに主をお連れします、エンブレンさま。ここでお待ちください」
「お前がコッコか?」
「え?」
そう言って視線を上げた少年の顔は、ハーロッドの言う通り、確かに可愛らしく整っている気がした。まるで、どこぞの芸術家の作った人形のようだ。
「そうですが……?」
「血色がよさそうだな? お前は奴隷だろ?」
「奴隷? それは、どういう意味です?」
「奴隷は奴隷さ。お前はこの世界に連れてこられて、フェノムに買われた。そうだろ?」
「ぼくはここで生まれました。つい一年ほど前のことですよ」
それを聞き、エンブレンは眉をひそめた。
「……何だと? 一年前に生まれた? お前はどう見ても十かそこらはありそうだが……」
「よいものを与えられれば、それだけ成長は早くなりますよ。フェノムはぼくに、自身の食べているものよりも遥かに良質なものを食べさせます」
こんなガキの言うことだ。全部が全部、本気にしても仕方がない。エンブレンは、コッコの言うことを話し半分で聞き流しつつも、彼がフェノムの寵愛を受けているらしいことだけは看過できず、渋面を作った。
フェノムは、奴隷を皆殺しにするというペッカトリアの決定に、難色を示すかもしれない……。
「……お前はここで、大事にされてるってことだな?」
「ええ。ですが、ぼくもそろそろ寿命なのです。役目を終えても、ぼくをこの状態でそばに置くフェノムの気持ちはよくわかりませんが、それでもフェノムの心遣いにはとても感謝しています」
「……寿命?」
「そうです。それを迎えるというのはとても怖いことですね……でも、ぼくがそんな恐怖を感じるのも、魂を持っているからでしょう。そして魂を持っているかぎり、ぼくは続けてこの世に存在できるはずです。ですから、こうして魂を持った状態で生んでくれたフェノムには、やはり感謝しています」
「――コッコ、そこまでにしなさい」
そのとき、応接間の入り口から声が響き、エンブレンはハッと息を呑んだ。
振り返ると、この屋敷の主――錬金術師のフェノムが立っている。
「フェノム!」
コッコはフェノムに駆け寄ると、彼が軽く持ち上げる腕を取り、頬擦りした。
「悪い子だ。そういうお話は、お客さまにしてはいけないと言っているのに」
「ごめんなさい。でも、ぼくのことを聞いてくる人なんて初めてだったから……」
「いずれ友だちもできるから、我慢しなさい。そのときには、きっと君の世界はもっと開かれているはずだよ」
「とても楽しみです」
「ソラのところに行っていなさい」
フェノムがそう言うと、コッコはうっとりと自分の主を見つめて「はい」と、短く返事をした。
「……なあ、フェノム。いまあんた、ソラって言ったか?」
コッコがいなくなってから、エンブレンは開口一番にそう切り出した。
「言ったね」
「それはつまり……どのソラだ? まさか、例のソラじゃねえだろうな?」
「君の言いたいソラがいまいちわからないけれど、ぼくが言ってるのは魂兵のソラだ」
「……あのババアは死んだろ?」
「ああ、一年ほど前に。自然な生命は、寿命を迎えるものだからね」
言いながら、フェノムはニコリと微笑んだ。
「相変わらず、あんたは底の知れねえ男だな。何を考えてるか……ときには何を言っているのかさえ、まったくわからん」
「実のところ、わざとこういう物言いをしているときもあるんだ。意味深な言い方をした方が、人の興味を引けるからね」
「いまもそうか?」
「いや、いまは違う。ぼくは君に興味はないし、君に興味を持たれたいとも思っていないよ」
「そいつはご挨拶だな。は、は……」
乾いた笑い声を響かせながらも、エンブレンは自分がじっとりと汗をかいているのがわかった。
「何をしにきたんだい、エンブレン?」
「あんたは囚人会議の集合命令を無視しただろ? その件で俺が派遣されたってわけだ」
「まあ、そんなことだろうと思ったよ。さっきニグルも言っていたからね。『命令に従えないものは、ペッカトリアの敵として排除する』と」
「ニグルってのは誰だ?」
「君たちがここまで伝令に使わせたゴブリンの名前だよ。知らないのか?」
「伝令を走らせたのはボスだからな。もっとも俺だって、小鬼の名前をいちいち覚えてねえが」
すると、フェノムの表情からすっと笑みが消える。
「『小鬼』という言葉を使うんじゃない。いまから、彼らはこの世界を取り戻す。彼らのことは、正しくゴブリンと言ってやりたまえ」
「何だと……?」
「彼らはこれから混迷の時代に入る。ひょっとすると、また統率者をめぐって争う時代がくるかもしれない。彼らの上には、神も人もいなくなる。もちろん、彼ら自身は神の子を失うことになるとは思っていないだろうが」
「回りくどい言い方をするんじゃねえ。何が言いたい?」
「彼らはこれから、革命を起こすのさ。彼らにとって、ドグマはもはやペッカトリアの王としてふさわしくないからね」
何でもないこととばかりに発せられたフェノムの言葉が、エンブレンにはしばらく理解ができなかった。
「な、なんだって……? 革命……?」
混乱するエンブレンがようやく言えたのは、それだけだった。
「ぼくはずっと、その手伝いのようなものをしていてね。それがほとんど完了したものだから、もう君たちと友だちごっこをしている必要を感じなくなったのさ。会議の集合に応じなかったのも、そのためだ」
「あんた、俺たちを裏切るってのか……?」
「何を馬鹿な。ぼくは最初から、君たちの仲間になった覚えはないよ」
そう言うフェノムの身体からは、強烈な殺気が放たれている――。
エンブレンは途端に及び腰になり、さっと青ざめた。
「ま、待てよ、フェノム! 俺はあんたと戦いに来たわけじゃねえんだ!」
「『ペッカトリアの敵として排除する』んだろう? ぼくとしても、その処分に不服はない。ただ、抵抗はさせてもらうというだけで」
「囚人同士が争うなんて、そんなに馬鹿らしいことはねえよ……そうは思わねえか?」
「いや? 君を含め、この地にいる人間の多くは、とても尊敬できない者ばかりだ。ごくまれに、すばらしい才能を持つ者が現れるけどね。ここ数日のぼくはとても幸福な気持ちだったよ。ストレアル、メニオール、そしてギデオン……ぼくの琴線に触れてくる人間が、立て続けに現れたものだから……にもかかわらず、いまになってよく君のような者が顔を出せたものだ」
フェノムは勝手なことを言って、眉間に皺を寄せた。
「……とても気分を害された。残念だよ、エンブレン」
「ひ、人を品定めできるほど、てめえは大層な人間か!?」
エンブレンを動かしたのは、恐怖感だった。
やらなければ、やられる! いまのフェノムからは、裏社会で生きてきたエンブレンの嗅覚を刺激する、危険な匂いが放たれていた。
さっと部屋の隅に走ってから手の前に『雷紋』を作りだし、ここに来るまでに設置していた他の『雷紋』との直線上に、フェノムを捉える。
壁や柱など、二つの『雷紋』の間にある障害物は関係ない。《麻痺屋》という通り名に似合わず、エンブレンの呼ぶ稲妻は、最高出力で放てば硬い金属さえ打ち砕くことができる。生身の人間がその一撃を食らえば、麻痺どころでは済まない――。
エンブレンは、一切の手加減を加えずに稲妻を放った。
バチリ! という凄まじいショート音が響き渡り、フェノムの身体が痙攣する。
「ど、どうだ……? はっは……」
直撃だ! エンブレンは手ごたえを感じ、焦燥感の中、なんとか笑って気持ちを落ち着けた。
立ったままのフェノムの口から、ツッと一筋の血が流れ落ちる。
――いや、それが血なのかどうか、一瞬エンブレンには判別がつかなかった。
「……え?」
フェノムの口から垂れる液体は――青い。
(青い血……? どういうことだ………?)
エンブレンが、ポカンと呆気に取られているときだった。
「……ふっふ、これで悔いはなくなったろう、エンブレン。君はペッカトリアの伝令としての役目を、忠実に果たしたというわけだ。さて……それでは君の首を、戦いの狼煙の代わりとしようか。ゴブリンたちが勝つか、ペッカトリアが勝つか」
言いながら、フェノムは壮絶な笑みを浮かべた。
「……あるいは、他に勝者がいるのか」
その言葉とともに、空間に無数の剣が現れる。
剣はエンブレンに切っ先を向け、一斉に襲いかかった。
自分の身体から噴き出したのは、赤い血だった。
(そうだよな? 血は普通、赤いもんだ……)
痛みを感じたが、それは一瞬の出来事に過ぎなかった――エンブレンの意識は、すぐに暗闇の中に落ちていった。




