二人の使者
スカーから厄介事を押し付けられたエンブレンは、焦燥感の中にいた。
これから意向確認に向かわなければならないフェノムは、ペッカトリアの囚人たちの中でもっとも巨大な力を持つと噂されており、流石のエンブレンもいままでちょっかいをかけたことはなかった。
ならばと、依頼を反故にしてやろうかとも思ったが、いまのペッカトリアに蔓延する妙な雰囲気を考えると、それも危険な気がする。
人間狩りなどという常軌を逸した発想。
囚人たちの中には、身の保身を優先して、本心を言い出せなかった者もいたに違いないと信じたいが……。
ただ過程はどうあれ、結果的にそんな残虐なアイデアを受け入れてしまうほど、いまのペッカトリアは狂ってしまっている。
ここで彼らの決定に逆らうと、今度は自分の身が危ない。
前門の虎、後門の狼とはまさにこのこと。
(くそっ……スカーの野郎、覚えてやがれ!)
エンブレンは内心で毒づくと、単身でフェノムの屋敷に向かうことにした。
もはや手下の囚人を連れて行くこともままならない。これまで媚びへつらっていたやつらは、途端に手のひらを返して私事を優先し出した――すなわち、奴隷の処分だ。
(俺もあとで、奴隷を処分しなきゃならねえ。自分の手でやった方がいいだろうな。他のやつらの薄汚ねえ手でやられるくらいなら……)
最近買った女奴隷は中々の器量よしで、しばらくは楽しめそうだったが、こうなってしまっては仕方がない。
そんなことを考えているときだった。
道の向こうから着飾った雌の小鬼の集団がやってきて、エンブレンはおやっと思った。
「ああ、これはこれはエンブレンさま! ごきげんはいかがでありんす?」
「てめえら、これは何の真似だ? 仮装大会でもやろうってのか?」
「仮装大会! 面白い考えでありんす……あとでメイド長さまにご提案を――」
「――ちょいとそこの! 綺麗なお嬢さん方!」
そのとき、小鬼の一行とエンブレンの会話に割って入ってくる声があった。
声のした方を見ると、瞳をキラキラと輝かせた伊達男のハーロッドが立っている。
「ハーロッド……?」
エンブレンが眉をひそめた瞬間、小鬼たちから黄色い声が飛ぶ。
「きゃあ、ハーロッドさま! ハーロッドさまでありんすよ!」
「ハーロッドさま! 西区のルルゴニュと別れたという話は本当でありんすか!?」
「おっとっと。そんなことまでもう伝わってるのかい? 彼女とは、お互い方向性に違いがあったんだ。俺はいまでも彼女を尊敬してるし、彼女だって俺の決断を尊重してくれたはずだ」
「ということは、いまフリーでありんす……?」
「そういうことになるかな」
ハーロッドがフッとニヒルに笑うと、小鬼たちが彼の周りに我先にと群がった。
「――素敵! カッコいいでありんす!」
「おいおい、ちょっと待ちなよお嬢さん方。俺はいまから仕事に向かうんだぜ」
「お仕事? 何のお仕事でありんす?」
「ギデオンとお話に行くのさ。で、あいつがいるって噂のフルールの城に向かうんだ」
「ではわっちらと行先は同じでありんす! 一緒に行きなんすよ!」
「何だって?」
ハーロッドは、彼女らの言葉に驚いたようだった。
「いまからフルールさまのお城でパーティーが開かれなんすよ。どうも、リルパが新しいお姿をお披露目されるとかいうことで」
「新しい姿……リルパがか?」
「そうでありんす。生涯のパートナーとなるアンタイオを得て、リルパは新たな門出を迎えたとのことでありんす!」
「へえ……昨日今日と小鬼たちがおかしかったのは、そういうわけか。リルパも、すっかりオトシゴロってことだな」
「ええ。今朝など、わっちらも城から現れるアンタイオの出待ちをしておりんした。あの光景を、ハーロッドさまにもご覧いただきたいものでありんしたよ! アウィス大門のあたりは、凄まじい小鬼の数でありんした! それだけ、わっちら小鬼たちにとって、リルパとアンタイオの動向が大きな関心事ということでありんす!」
「アンタイオってのは、ギデオンのことか?」
「そうでありんす! ああ、わっちとしたことが、とんだご無礼を! アンタイオというのは、わっちら小鬼の言葉で、『愛する男性』という意味でありんす」
「それは知ってるよ。ルルゴニュは、俺のことをアンタイオとは呼んでくれなかったがな……」
ハーロッドが、芝居がかった仕草で肩を落とすと、小鬼たちの目がギラリと光った。
「いやあ、所詮、ルルゴニュは遊女でありんすよ! 誰かと本気で恋愛しようという気ではなかったのでありんしょう! でもわっちは違いなんすよ、ハーロッドさま!」
「かあっ! 黙りんす! ハーロッドさま! この女ではなく、わっちこそお勧めでありんすよ! 何しろわっちは、昔から男に腕相撲で負けたことがなさんす!」
「なあんて、野蛮な! ハーロッドさまの好みは、もっとおしとやかな女でありんす! それこそ、わっちのように虫も殺せないような……」
「お前はこの前、森で蜂を殺しておりんした! 『ハチミツは肌にいい』とか言って、蜂刺されのブツブツ状態で帰ってきたのを忘れなんしたか!」
「静かにするんだ! 静かにするんだぜ、お嬢さん方!」
どんどんと脱線しそうになる雌の小鬼たちを、ハーロッドが一喝した。
「とはいえ、君たちの目的はよくわかった。こんなに綺麗に着飾った娘さんたちが、もうすぐ日も暮れるって時間にどこに行くかと思えば、お城でお祝いがあるってことだな?」
「そうでありんす!」
「目的地が一致したのは幸運だったな。一緒に行こう」
そのときになって、ハーロッドはようやくエンブレンの方に顔を向けた。
「……ところで、そこにいるのはエンブレンの旦那じゃねえか」
「……相変わらず、お前はモテるなハーロッド」
それはエンブレンなりの皮肉だったが、目の前の伊達男には言葉通りにしか伝わらなかったらしい。
ハーロッドは、嬉しそうに笑ってから口を開く。
「あんたも災難だったなあ。まさか、フェノムのところに使者で行くことになるなんてよ。代われるもんなら代わってやりてえが」
「……いや、流石の俺も、お前の立場は遠慮したいね」
雌の小鬼にもみくちゃにされて嬉しそうにするハーロッドを、エンブレンは怖気を覚えながら見つめた。
「そうかい? まあ、仕事が終わればあんたも城にきなよ」
「あそこは女の城だろ? 用があればともかく、普通は入れねえはずだ」
「女装でもすれば入れるかもしれねえぜ。あんたはわりと、綺麗な顔をしてるから」
「……お前、まさかそっちの気もあるのか?」
「そっちって、どっちだよ? 俺はただ、愛に正直なだけだぜ……ああ、そうだ」
ハーロッドは上着のポケットからコインを取り出し、ピンと親指で弾いてきた。
キャッチして見ると、それはフォレース金貨だった。
「いまから、フェノムのとこに行くんだろ? だったらそれを、あいつのところにいるコッコって子どもに、俺からって言って渡してくれよ。可愛らしい顔をしてるんだ。本当は何か買ってやりたいところだが、話したこともなくてな。好みがわからん」
「子ども? 奴隷か?」
「そりゃそうだろ? ここにいる人間は、囚人か、囚人奴隷か、奴隷だ」
「じゃあ、そいつも処分されちまうんじゃねえのか?」
「フェノムは俺たちの輪に入ってねえよ。ありゃ、俺たちだけの取り決めだ」
「俺はフェノムに、その輪に加われって話をしに行くんだぜ、ハーロッド」
すると、ハーロッドはまたニヒルに笑って返す。
「……せいぜい気をつけろよ、エンブレン。フェノムの逆鱗に触れないようにな」
「それはこっちの台詞だ。お前が会いに行くギデオンってやつは、前の囚人会議の様子を見る限り、とんだ聞かん坊さ。リルパの後ろ盾を得て、いまごろ得意満面ってやつじゃねえか?」
「俺にはこんなに味方がいるんだぜ? それに、あの城にも俺の味方をしてくれるはずのメイドたちがたくさんいる。聞けば、あそこのメイドは一鬼当千の力を持ってるっていうじゃねえか」
自信満々にそんなことを言うハーロッドを前にして、エンブレンはこんなやつを真面目に相手している自分が馬鹿らしくなってきた。
(色ボケ野郎が……危機感まで性欲に変えちまってやがるんだろう)
「ま、お互い頑張ろうぜ」
ハーロッドが手をひらひらと振ったが、エンブレンはそれを無視して踵を返した。




